「死ぬこと以外、かすり傷」 女子柔道48キロ級の日本代表である渡名喜風南が、その言葉を母親から言われたのは、大学1年の時だった。テレビで優し気なおばあちゃんが言っていたのを聞いた母親が「おもしろい言葉があるよ」と渡名喜に教えてくれた。東京五…

「死ぬこと以外、かすり傷」

 女子柔道48キロ級の日本代表である渡名喜風南が、その言葉を母親から言われたのは、大学1年の時だった。テレビで優し気なおばあちゃんが言っていたのを聞いた母親が「おもしろい言葉があるよ」と渡名喜に教えてくれた。



東京五輪での金メダルが期待される女子柔道48キロ級代表の渡名喜風南選手 写真:西村尚己/アフロスポーツ

「言われた時は、なるほどと思いました。柔道のスタイルに変化はなかったですけど、気持ち的な変化は大きかったですね。ひとつの負けを気にせず、次に向けてがんばろうっていう気持ちにさせてもらいました」

 この頃、渡名喜は、高校時代こそインターハイ、全日本ジュニア選手権では決勝まで進み、アジアジュニアでは優勝を果たすなど、成長をつづけていたが、大学に入ってからはなかなか勝てず、思うように試合ができない時期がつづいていた。そんな時、この言葉をかけられて、気持ちがラクになり、浮上のきっかけをつかんだ。

「そのあと、2017年の世界選手権で優勝してからもちょっと苦しんだ時期があったんです。優勝して、初めて追われる立場になって、勝たないといけないという意識が強くなって......。その時も、負けても気にせずに次の勝利に向けてがんばろうって思えたんです」

 それから渡名喜は、昨年2月、女子48キロ級東京五輪代表に内定した。それは小3の時、地元・神奈川の相武館吉田道場で柔道を始めて以来、体と心に無数の"かすり傷"を受けて成長してきた成果だった。
 
 柔道を始めた頃、渡名喜は喧嘩が強く、勝つまでやめない火の玉のような女の子だった。仲間意識が強く、ドッジボールをしているところに男子がサッカーボールを投げてきたり、遊びの邪魔をされると「イラッ」ときて、手を出した。負けた男子が泣いて謝るほどで、そのことで先生によく怒られた。当時、好きなことは格闘技、好きな選手は総合格闘家のミルコ・クロコップ。アイドルなどにはまったく興味がない、男子顔負けの「格闘少女」だった。

「格闘技、好きでした。そこから戦い方を学びましたし、末っ子でお姉ちゃんとよくケンカをしていたので、他の子より強かったと思います」

 渡名喜自身は格闘家を目指したかったが、母親が反対した。女の子だからそういう競技はやらせられないということで、相武館吉田道場に連れていかれたのだ。
「道着を着せてもらい、打ち込みとかをやらせてもらって、すごく楽しかったんです」
それが柔道家・渡名喜の生まれた瞬間だ。

 中学では小学生時代の和気あいあいとした雰囲気からピリピリした中で練習をするようになった。立ち技と寝技の打ち込みで相手が一定の体勢からスタートするという反復練習を2時間、休みなく続けた。試合に勝ち始めるようになると生来の負けず嫌いな性格が表出してきた。

「とにかく負けたくないという気持ちで柔道をしていました」

高校に入り、1年の頃はなかなか勝てない時期がつづいたが、高2の時に全日本ジュニア48キロ級で3位になった。この頃、渡名喜は、あることを克服し、いい心理状態で試合に臨めるようになっていた。

「緊張を楽しめるようになりました。それまでは緊張して、試合で自分の力を発揮できなかったり、自分が思うように組み手ができなかったりしたんです。でも、勝てるようになっていくと自信がついて、極度の緊張ではなく、程よい緊張で試合に臨めるようになったんです。今はもう試合では緊張しないので、逆にテンションを上げるためにバンバンと体や顔を叩いて、これからいくぞ!って気持ちを盛り上げています」

 柔道の試合では始まる前、コーチが選手の背中や肩を叩いたり、選手が自らの顔を両手で叩くシーンをよく見かける。渡名喜もよくやり、たまに叩きすぎて顔が真っ赤になる時があるそうだが、あれは気合注入で、集中力を高める「戦いの儀式」でもあるのだ。

 自分の弱さを克服していく一方で、自分の柔道スタイルを磨き上げていった。道場では自分よりも体の大きな選手と組み、そこで技をかけることで「投げ力」をつけていった。

「道場では、足技と寝技を何度も反復練習で自分の型にしていきました。小外刈りは自分の得意技になりましたし、寝技は高校の時に試合で押さえ込んで勝つことができて、『自分は寝技ができるんだ』って自信になり、自分のものになりました」

 自信がついていく中、ライバルとの競争にも闘志を燃やした。

 女子48キロ級には、近藤亜美という絶対的な存在がいた。同年齢で高3のインターハイから競い合い、リオ五輪48キロ級で銅メダルを獲得するなど、この階級屈指の強敵である。東京五輪を目指すためには、乗り越えないといけない相手だった。

「常に追い続けてきた存在ですし、近藤選手を越えないと五輪はないと思っていました。自分にとっては、すごく大きな存在です」

 負けてはいたが、渡名喜は苦手意識がまったくなかった。むしろ戦うのには「得意な選手」という感触を得ていた。

「自分は、相手と組んだ時、得意な選手、苦手な選手というのがわかるんです。苦手な選手は、守りに入ってしまうことが多くて、そうなると投げられてしまうんですけど、逆に攻めに徹底できれば、勝てます。近藤選手には積極的に攻めることができたので得意な選手に入ります」

 渡名喜は、試合中、よくゾーンに入るという。ゾーンというのは極度の集中状態で、相手との戦いのみに専心する状態のことである。よくアスリートが使う言葉だが、戦いに集中し、周囲の声がまったく聞こえなくなることだ。

「コーチの言葉とか、試合に勝つための言葉は耳に入ってくるんですけど、それ以外の周囲の声は、入ってこないですね。しかも、試合中はぜんぜん疲れないんです」

 東京五輪の枠をかけて戦った2019年のグランドスラム大阪、準決勝で渡名喜は、ゾーンの状態に入って近藤と対戦。両者譲らない互角の戦いの中、渡名喜が反則勝ちをし、そのまま優勝まで突っ走った。そうして翌2020年2月、東京五輪女子48キロ級の代表内定を勝ち取ったのである。

「東京五輪の代表に内定するまでは、長くもあり、短くもありという感じですね。でも、相手が日本人、外国人に関係なく、安定して試合に勝ち続けることがすごく難しかったです。勝ち続けないと五輪の代表に選ばれないので」

 国内の代表枠を得る戦いも大変だったが、金メダルへの道には世界のライバルたちが立ちはだかる。とりわけウクライナのダリア・ビロディドは、絶対に越えなければならない相手になる。モデルとしての肩書を持つほどの美貌と抜群のスタイルを持ち、日本でも人気がある選手だ。身長172㎝の長身で手足が長く、148㎝の渡名喜とは24㎝の差がある。昨年までは、4戦4敗だった。

「ビロティド選手は長身で、組んでみて苦手な選手だなって思っていました。いつも上を見ている感じでしたし、出足が早いんです。手足が長いのでなかなか自分の技をかけられなくて、先にかけられることが多く、いつも守りから入ってしまって......」

 東京五輪に向けて、もはや負けるわけにはいかない。分析を重ね、対策を練り、約1年ぶりの実戦となった今年1月のワールドマスターズ準決勝で世界選手権2連覇中のビロディドと対戦した。

「前はけっこう相手を見て、試合をしていたんですけど、その時は相手を見ずに自分からどんどん攻めていくようにしたんです。道場で172㎝の選手は階級が上になるんですけど、そういう選手と組手をして、体の大きさに慣れるようにしました。相手に持たれてしまうと怖さがあったのでそこを克服し、真正面からではなく、横から勝負しにいくようにしました」

 渡名喜は、終始攻めの姿勢を貫き、一本背負いの技ありでビロディドを破った。コロナ禍で練習が制限される状況の中、相手を研究しつつ体幹を鍛えるなど地道な鍛錬が実を結び、心技体が充実した姿がそこにあった。

「コロナ禍を経て、成長したのは精神面ですね。自分が負けるパターンとして『負けてしまうかもしれない』という心の揺らぎがけっこうあったんですけど、それが今回、試合をこなしていく中でなくなってきたなと思いました。どんな時も『ここチャンスだな』って思うようになったんです」

 今や渡名喜は、非常に完成度の高い柔道家になった。その自信の表れだろうか、東京五輪の代表になってもプレッシャーはほとんど感じないという。

「48キロ級は伝統的な階級ですけど、勝たないといけないというプレッシャーはあまり感じていないです。自分はマイペースなので、そういうのを気にしないですし、他人の評価とかも気にならないんですよ。感情の起伏とかもないですね。あまり感情を表に出さないタイプなので、自分はけっこう喜んでいても、そうは見えないみたいで、周囲からは『わからない』ってよく言われます(笑)」

 図太い神経は、国際試合や大一番には必須だ。

 東京五輪では、48キロ級が柔道競技のオープニングゲームになる。ここで勝って勢いをつけられるかどうかで、日本人選手の活躍、メダルの獲得数に影響を与えることになる。渡名喜は、非常に大事なトップバッターになる。
「最初ですが、特にプレッシャーはないです。どの大会もいつも(48キロ級は)最初なので、慣れていますから。あまり気負いすぎず、自分らしく、自分主体の柔道で戦いたいですね。そうして一つ一つ確実に勝って、優勝を目指していきたいと思っています(笑)」

 その笑顔は、自信に満ちて頼もしかった。

 東京五輪の選考となる大会の前から五輪までは週1回程度のオフはあったが、コロナ禍の影響もあり、外に出かけることも遊ぶこともせず、次の練習のためにケアをしたり、休養して時間を過ごした。文字通り柔道にすべてを捧げてきた。

 東京五輪で勝ったら「放牧」が希望だ。

 1週間ぐらいのオフをもらい、好きな伊坂幸太郎の小説を読んでゆっくり時間を過ごすのを楽しみにしている。もちろん、その前にIJF世界ランク2021年5月の次点で1位のディストリア・クラスニキ(コソボ)と2位のビロディドを破って世界の頂点に立つこと。

 それが、「至福の時間」を得るための条件になる。