「ハードルが高ければ高いほど燃えるタイプなんです」2年ぶり2回目のNFLチアリーダー挑戦のため渡米直前の彼女は、ニコリと笑った。曽我小百合さん。2007年から2014年シーズンまで富士通チアリーダー『フロンティアレッツ』としてフロンティアー…

「ハードルが高ければ高いほど燃えるタイプなんです」

2年ぶり2回目のNFLチアリーダー挑戦のため渡米直前の彼女は、ニコリと笑った。

曽我小百合さん。2007年から2014年シーズンまで富士通チアリーダー『フロンティアレッツ』としてフロンティアーズを応援してきた。2014年、フロンティアーズが初の日本一になったシーズンにフロンティアレッツも『Xリーグ・チア・オブ・ザ・イヤー』を受賞。チーム、チア・スクワッド共に結果を残すことができたことも後押しになって、2015年、長年の夢だったNFLチアリーダーに挑戦する決意を固めた。

NFLのチアリーダーは大半が20代。30代になってからの挑戦が少し遅いことは承知の上だった。「20代の時は、まだフロンティアレッツの活動をやりきった感覚がありませんでした」

中途半端では決して投げ出さない責任感の強さと、一度決めたらやりきる芯の強さは、NFLチアリーダー挑戦にも発揮されている。

2015年の春に渡米。しかし、オーディション受験者向けに開催されたワークショップ参加中に右膝を負傷してしまった。後に前十字靭帯の断裂だと判明したが、当初はそれほどの大怪我だと思っていなかった。加えて会社を退職し、家族の反対を押し切っての挑戦だったため「簡単に帰ることはできない」と、挑戦を続行。負傷後に2チームを受験し、オークランド・レイダースのオーディションは最終選考まで残った。

しかし、最終選考の振り付けの中に、負傷が影響してできない動きがあった。

「仮に合格してもシーズンを全うすることができない」

1年目の挑戦はここで断念した。

昨2016年はフロンティアーズのチアスタッフをしながらリハビリに励んだ。

3歳から中学生までクラッシックバレエを習っていた。「子どもの頃から踊るのが大好きでした」。中学生の時はバスケットボール部に所属。そのほかにも様々なスポーツに取り組んだ。チアリーディングと出会ったのは日大櫻丘高校入学時。新入生歓迎イベントでアメリカンフットボール部専属チアリーダー(※)のパフォーマンスに魅せられた。

「ダンスで人を魅了する華やかさだけでなく、競技スポーツ的な要素や応援する楽しさ、全部がミックスされている。インスピレーションで『これだ!』と思いました」

本職は管理栄養士。社会人1年目は病院の給食を担当し、毎朝3時から800人分の食事を作っていたこともある。フロンティアレッツで活動していた時は、チアや選手の健康管理と栄養指導にも携わり、パフォーマンス向上に貢献した。

管理栄養士とチアリーダー。一見するとまったく違うように見えるが、曽我さんは共通点があるという。

「私の原動力は人の笑顔です。管理栄養士は料理、チアリーダーはパフォーマンス、方法は違いますが、人を応援し、笑顔と元気を与えるという点においてはどちらも同じだと思っています」

NFLチアリーダーはどのチームもベテラン、新人、関係なく毎年、3〜4月に行われるオーディションによって選抜される。30名前後のスクワッドに10倍以上の応募がある。

「オーディション合格が最終ゴールではなく、NFLチアリーダーとしての活動を通じて、チアリーダーとして、女性として大きく成長していきたいと考えています。また、管理栄養士として、選手やチアリーダーがどのような食生活を送っているのか、最高峰の実態を学んで、日本の選手やチアリーダーに還元したいと思っています」

2月9日に渡米した曽我さんは、現地でNFLチアリーダーが開催するオーディション受験者向けのワークショップに参加しながら、挑戦の準備を進めている。

※ハドルマガジン2017年3月号Vol.26掲載記事