陸上・日本選手権、寺田明日香の成長「辞めた時はここに立てると思っていなかった」 東京五輪代表の最終選考会を兼ねた陸上・トラック&フィールド種目の日本選手権第3日が26日、大阪・ヤンマースタジアム長居で行われた。女子100メートル障害では日本…

陸上・日本選手権、寺田明日香の成長「辞めた時はここに立てると思っていなかった」

 東京五輪代表の最終選考会を兼ねた陸上・トラック&フィールド種目の日本選手権第3日が26日、大阪・ヤンマースタジアム長居で行われた。女子100メートル障害では日本記録保持者の寺田明日香(ジャパンクリエイト)が13秒09(無風)で、11年ぶり4度目の日本一に輝いた。五輪内定はお預けとなったが、31歳が日本記録を連発した今季の活躍を印象付ける走りを披露。引退、出産などを挟み、11年前とは異なる「人に頼る」強さがあった。(文=THE ANSWER編集部・浜田 洋平)

 11年間で得たものは大きかった。集中力をMAXにさせたスタート。寺田はいつも通り鋭い視線をレーンに向けた。ピストル音とともにスイッチオン。10台のハードルを飛び越え、先頭でフィニッシュした。タイムは13秒09と満足いくものではなかったが、20歳以来の日本一だ。

 会見では開口一番に「もう、つらかったです」と苦笑い。一度競技から離れた時期を思い返すと、潤んだ瞳で声を震わせた。

「日本選手権は本当に特別だなと思いました。復帰して3回目。11年前に優勝した時ってどんなふうだったんだろうと思うと、ちょっとウルウル来ました。辞めた時はここに立てると思っていなかった。11年の時を経て、また優勝の景色が見られたと思うと凄く感慨深かったです」

 2010年に日本選手権3連覇。輝かしいキャリアを築いた一方で、怪我などを理由に23歳だった13年に一度引退。14年に結婚し、長女・果緒ちゃんを出産した。大学で児童福祉を学んでから企業勤務も経験。出産から2年を過ぎた頃に受けたオファーで、7人制ラグビーに挑戦した。

 引退前は「弱い部分を他人に見せたくなかったし、できるだけ人に頼りたくなかった」と何でも自分でこなそうとした。トラックから離れ、夫に出会い、娘が生まれ、大学の授業や社会人経験、ラグビーで多くを学んだ。再び陸上への情熱が燃え上がり、18年12月に競技復帰。若い頃と比べ、最も変わったのは「人に頼ること」だった。

「今の自分には人の力があると思います。自分一人で走っているつもりではなく、自分に驕ることもない……かな?(笑)。自分だけの力じゃなくて、いろんな方々の力を借りてできている。(悪い時は)私だけのせいじゃないし、みんなのせいでもあるし、でもみんなの日本記録でもあるし、そう思えるところが凄くよくなった部分かなと思います」

東京五輪閉会式は一人娘の誕生日「終わった後に甘やかしてあげたい」

 今では「チームあすか」を結成し、コーチ、トレーナー、栄養士、針治療担当、理学療法士、歯科矯正、メンタルケア、運営など大所帯で活動。夫がマネージャーを兼ね、果緒ちゃんが「応援団長」だ。今は、仲間を頼りながら走っている。

 他人との共同作業は絶大なパワーを生んだ。復帰初年度の19年9月に日本記録を樹立。今季は4月末に1年7か月ぶりの自己ベストとなる12秒96(追い風1.6メートル)、6月1日に12秒87(追い風0.6メートル)と自身の日本記録を2度更新してみせた。陸上競技から離れた時期があったにも関わらず、復帰後はさらなる進化を遂げている。

 今大会で五輪内定を得るには、参加標準記録12秒84を突破した上で3位以内が条件だった。内定はお預けとなったが、レース前時点で世界陸連の定めたワールドランクは36位。40位以内の五輪出場圏内にいる。「ランキング待ちの状態。今回の結果でランキングを上げられると思う。たぶん大丈夫」と期待して待つだけだ。

 今大会、6歳の一人娘・果緒ちゃんは25日に遠足を終えて大阪入り。同日夜の準決勝の応援に駆け付けていた。ママにとってかけがえのない原動力。五輪閉会式の8月8日、果緒ちゃんは7歳になる。「閉会式はできれば一緒に過ごしたいけど、もしかしたら過ごせないかもしれない。終わった後に甘やかしてあげたい」。復帰後に掲げた目標は「東京五輪ファイナリスト」。一生忘れられないプレゼントを贈るために戦う。(THE ANSWER編集部)