1997年のフランス・ワールドカップ最終予選。試合後に加茂周監督が更迭されたアルマトイでのカザフスタン戦と、コーチか…

 1997年のフランス・ワールドカップ最終予選。試合後に加茂周監督が更迭されたアルマトイでのカザフスタン戦と、コーチから昇格した岡田武史監督の初戦となったタシケントでのウズベキスタン戦との間の1週間の有効活用に、山中にある巨大湖のイシククルを見にキルギスを訪れたベテランジャーナリスト。無事に目的を遂げてすっかり満足すると、日本サッカー史に残る1戦を目撃するためにタシケントへと向かうのだった。

■巨大空港で、英語が全く通用しない!

 空港内に入って、さらにびっくり。チェックインカウンターが緑がかった石で造られた、他の空港では見たこともないような豪華で巨大なものだったからです。

 マナス空港が完成したのは1974年。つまり、ソ連時代のことでした。
 当時のソ連は超大国の一つとしてアメリカと対峙し、共産党の支配が揺るぎない時代、レオニード・ブレジネフ書記長の時代でした。むしろ、アメリカの方がベトナム戦争で挫折を味わい、ウォーターゲート事件でリチャード・ニクソン大統領が辞任するなど大きく揺らいでいたのです。

 そのソ連という社会主義国では「計画経済」といって経済政策はすべて国が管理しており、「費用対効果」を無視したような記念碑的建造物がたくさん造られていました。便数の少ないビシュケク(フルンゼ)にこんな大きなターミナルビルが造られてしまったのも、きっとそのせいでしょう。

 しかし、その豪華で巨大なチェックインカウンターには係員も乗客も、誰もいませんでした。なにしろ、ターミナル全体が閑散としているのです。時々アナウンスもありますが、キルギス語とロシア語だけで英語のアナウンスはまったくありません。

「さて、チェックインしたいんじゃが、どげんしたらよかとね?」とウロウロしているうちにだんだん出発時刻が近づいてきました。

■「チェックイン」や「英語」がない空港だった

 見ると、奥の小さなゲートのようなところに乗客が並んでいるようです。行ってみると、たしかにそこが61便の出発ゲートでした。

 つまり、この空港では「チェックイン」という“面倒な”作業は行われていなかったのです。時間になったら直接ゲートに行って、そこで航空券(ボーディングパス=搭乗券ではない、チケットの方)をビリッと破ってもらいます。そして、ゲートのそばに置いてある、年代物のバネ秤で荷物の重さをチェック。それで、すべて終わりです。

 乗客は、そのまま階段を降りて飛行機の前まで荷物をゴロゴロの引きずって行き、そこで係員に荷物を渡して積み込んでもらいます。ロストバゲージ(荷物の紛失)が起こりようがない、最も安心な方法と言えましょう。

「ボーディングパスがない」ということは、つまり機内は全席自由席です。約30人乗りのヤク40型機に乗り込んだ僕は、すぐに左側の窓際の席に座りました。タシケントまでの2時間強のフライトで天山山脈の景色を楽しむためでした。

 世界の辺鄙なところを旅行していると、空港に辿り着くと一安心できます。なにしろ、チェックインから搭乗までの空港のシステムは万国共通ですし、たいていの空港では現地語以外に英語が通用します。だから、困難な旅行を続けていて空港に着くとホッとするのです。

 しかし、このマナス国際空港のように全世界共通のシステムと違っているうえ、英語が全く通じない空港もあるのです。空港で大変だった思い出というとインドのニューデリーとナイジェリアのラゴスを思い出しますが……。

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