陸上競技・走り幅跳びと100mのT12(視覚障がい)クラスで日本記録を持つ澤田優蘭。東京2020パラリンピックは、日本代表選手団最年少の17歳で出場した2008年北京パラリンピック以来の大舞台だ。走り幅跳びのメダル候補でもあり、体幹トレーニ…

陸上競技・走り幅跳びと100mのT12(視覚障がい)クラスで日本記録を持つ澤田優蘭。東京2020パラリンピックは、日本代表選手団最年少の17歳で出場した2008年北京パラリンピック以来の大舞台だ。走り幅跳びのメダル候補でもあり、体幹トレーニングとヨガで手に入れたしなやかな身体で「ダイナミックなジャンプを見せたい」と意気込む。そんな澤田はどんな競技生活を送ってきたのか――。

初の国際大会が北京パラリンピック

両親は私が6歳くらいから目が悪いことに気づいていましたが、大きな支障はなかったんです。でも、中学生になって、パッと出てきた自転車への対応が遅かったり、陸上部の練習で大きなメディシンボールを使ったトレーニングをしているとき、顔面に当たってしまうことなどが増えた。最初は不注意のせいかと思ったのですが、実際は見えにくくなっていました。

「活発な子だった」という澤田。中学時代、部活中に見えにくさを自覚した

入学直後、体育の授業の一環で全国障害者スポーツ大会の東京都予選に出場することになり、練習を始めたんです。練習では、補助の方がついてくださってぶつかる恐怖がなく、見えにくくなる前と同じ感覚で走れて本当に楽しかった。授業では、恩師である三浦真珠先生が「陸上、本気でやってみない?」と声をかけてくださり、だんだんと陸上にのめりこんでいきました。

一生懸命やりました。でも、今思うと気持ちがついて行っていませんでしたね。海外の選手と戦えた手ごたえはなかったです。だから、今度、パラリンピックの舞台に立つときは、きちんとメダリストという立場で立ちたいと感じた陸上のスタートとなりました。

北京にはT13という今より軽いクラスに出ていたんですが、ロンドン開催の1、2年前にこのクラスの走り幅跳びが実施されるのかしないのかで揺れ動き、もやもやしていました。同時に私自身の見えにくさも増し、怖くて思い切り走れなくなっていたんです。

澤田にとって恩師の三浦先生は競技を語るうえで欠かせない存在だ(写真は2017ジャパンパラ陸上競技大会)

走りこむことはできるけど、当時、見えないなかでどう技術を習得するかがわかっていませんでした。とくに走り幅跳びは技術種目なので、見て真似することが大事。でもこのころ、フォーム確認に使っていたデジタルカメラの画像だと、私は細かい動きが見えない。北京から伸び悩み、目標の5mにたどり着けず、もがいていました。

就職後も競技を続けるならアスリート雇用も視野に入れて就職活動しなくてはいけない。でも、私はその道は選ばず、社会人のスキルを身につけてから、自分の余裕ができたときにまた戻ってこようと思いました。本気でパラリンピックを目指せば、誰かのサポートを受けなければならず、私一人の問題ではなくなってくる。そこにすべてを捧げる覚悟を持てなかったんです。

仲間の成長に触発されて復帰を決意

インチョン2014アジアパラ競技大会がこれまでになく報道されて驚いたとともに、2009年にアジアユースパラ競技大会で一緒だった佐藤智美選手や高桑早生選手らが記録を伸ばしていることを知ることができたんです。その活躍を知って「私も、またやりたい」と思いました。ここが大きな転機でした。

ダイナミックなジャンプが持ち味の澤田。現在は助走スピードを活かしたシザースに取り組んでいる。写真は2020年の第31回日本パラ陸上競技選手権大会

ちょうど前の会社を辞め、6月に今の会社に入った数日後というタイミングでした。「やっと……」という気持ちで涙が出ました。

チームウランは、三浦先生がいて、跳躍コーチである宮崎利久さんがいて、塩川さんがいてという構成です。塩川さんには、最初はフィジカルトレーニングを見ていただいていたんです。でも、「100mもやりたいけど、ガイドランナーがいない」と言ったら、塩川さんが務めてくださることになりました。

ガイドの塩川さん(右)とともに練習に励む(写真は2020年12月の沖縄合宿)

塩川さんと100mの練習を始めた頃は、ガイドで走るのが初めてだったので、私が相手に合わせてしまい、自分が思い切り走れるようになることからスタートしました。その後、塩川さんについていく練習をして、やっと基礎となる腕や足の軌道がわかってきたんです。

環境を整備して技術を習得!

まず宮崎さんは「幅跳びとはどういうものか」を教えてくれました。初めて幅跳びの技術に触れられたという感じで、幅跳びがわかってきたことは大きく、とくに空中動作が変わりました。それが北京の結果につながったのだと思います。

一人ではできないけれど、支えてもらって自分が不可能だと思っていたことが可能になっていることを実感しています。一緒に戦ってくれる人がいることが私を強くしてくれた。だから、私は恩返しの意味を込めて競技をしています。

走り幅跳びでは6m台を出して金メダルというのが目標です。メダルのラインは5m70あたりになると思うので、まず自己ベスト越えしないとですね。100mは決勝に立つために12秒フラットをめざしています。

オンラインインタビューで東京パラリンピックへの意気込みを語ってくれた澤田

これからも動きと感覚を何回も繰り返して、それがいつでもできるようにしたいです。ちょっとしたズレですべてが崩れてしまうので、一つひとつの動作を丁寧に。夢に近づくため、一段二段飛ばしはせず、着実に技術を積み上げていきたいです。

text by TEAM A

photo by X-1