伊藤隼太インタビュー(前編)近畿大から1年目にして、躍動感あふれるプレーとともに数々の豪快なアーチで、日本球界にインパク…

伊藤隼太インタビュー(前編)

近畿大から1年目にして、躍動感あふれるプレーとともに数々の豪快なアーチで、日本球界にインパクトを与えている阪神タイガース・佐藤輝明。一方、佐藤以前の「右投左打・阪神ドラフト1位」を追っていくと、この男に突き当たる。

2011年に阪神からドラ1指名を受けた伊藤隼太だ。昨年限りで9年間まとった虎のユニフォームに別れを告げ、現在は四国アイランドリーグplus・愛媛マンダリンパイレーツのコーチ兼任選手を務める伊藤にインタビュー。前編では、阪神時代を振り返り、「ドラフト1位」の肩書きの重圧などについて語った。



今年から愛媛マンダリンパイレーツのコーチ兼選手となった伊藤隼太

【しんどかった「阪神ドラ1」】

ーー今季から愛媛マンダリンパイレーツに入団、コーチ兼任選手となりました。愛媛の地で5カ月近く過ごしてきて、今あらためて阪神タイガースでの9年間をどのように感じていますか?

伊藤隼太(以下、伊藤) 阪神時代には、もちろんコーチや先輩はいて、アドバイスを求めれば教えていただけるんですが、基本的には誰も助けてくれない。打席の中は孤独ですし、それに打ち勝たないといけないですから練習ではひとりの時間が大切だと思っていました。

 でも、その中で自己満足にならないように突き詰めて、バッティングについて四六時中考えていることが多かったですね。ここ数年はうまくいかないことが多かったですが、悩むことも多く、出口の見えない中で答えを探していた感じでした。

ーーそういった中で「阪神ドラフト1位」というのは、自分自身で意識しなくても、周りから意識させられる材料だったと思います。

伊藤 正直に言えばしんどかったです。「これくらいやってくれて当然だろう」という空気感が伝わってきましたから。

 僕が「ドラ1」というようなことを気にしない性格だったら......。昨年の阪神ドラ1の佐藤輝明くんはそこをあまり感じていないようですし、どの球種に対しても崩れずに思い切り振っている。ふてぶてしさや、評価に対するいい意味での鈍感さも持っていますよね。

 僕も細かいところを気にしないようにしていたら、「もっと気楽にプレーできていたのかな」とは感じます。特に最初の2、3年はそんな感じでした。

ーー何か動きを見せれば、スポーツ紙で「隼太が○○」という見出しが踊っていました。

伊藤 そういったことを気にして一喜一憂していたんです。浮かれていた部分もあったかもしれません。特に入団1年目のキャンプでは地に足がついていなかったです。

 僕は人と違ったプロ野球での生活を送れたかもしれませんが、確固たる自分を持っていなかったです。周りからもてはやされて、期待されて、結果が出なくて落されるのは辛かったですね。

【注目されなくなって定まった覚悟】

ーー伊藤選手にとって阪神時代は、そういった状況を打破する戦いだったと思います。

伊藤 でも、3、4年目になると注目されなくなってきたんです。次の若い選手が入ってきたので。入団当初は嫌でも注目されて、大した選手でもないし、大した結果も出していないのに毎日取材を受けて。

 正直、「ほっといてくれ」と思っていたんですが、そういった取材が減ってきて、5年目に右肩をケガした時には「記事にならない」と、相手にされなくなった。そこで、今まであったものがなくなった時、何もしていないのに注目してもらえていたのは恵まれていた状況だったと感じました。そして、「もっと頑張って取り上げてもらおう」と思ったんです。

 最初のころは生意気に(取材に対して)「もういいですか」という感じでしたが、5年目以降はメディアの皆さんとの接し方も変わったと思いますし、真摯さや言動を意識するようになりました。

ーーそういった姿勢の変化が2017、18年の代打成功率の高さにもつながったのでしょうか?

伊藤 NPBの1軍でプレーするには覚悟が必要だと思います。周りには「もっとリラックスして」と言ってくれる方もいたんですが、僕はそうできなかった。集中しきって、「結果次第では、明日メシが食えない」と思わないと結果が伴わなかったです。一日一日、神経をすり減らして一打席一打席に全神経を集中してやっていました。自分の一投一打によって、他の人や家族の生活、ファンの皆さんの想いを背負っていたら、軽いプレーはできないです。

 ドラフト1位の選手として入団し、当たり前のように試合に出してもらっていた時には気づけなかったんですが、試合に出場できるのがどんなに幸せなことか、と。僕の場合、いざ試合に出たくても出られない立場になった時に、「必死になってやらないといけない」ということに気づくのが遅かった。もっと若い時に気づいていれば、阪神での結果は変わったと思います。

ーーただ、そこに気づけたのは人生のうえで大きな収穫でしたね。

伊藤 そうですね。こういった経験を愛媛マンダリンパイレーツの若い選手たちにも伝えていきたいです。

(後編につづく)

【profile】 
伊藤隼太 いとう・はやた 
1989年、愛知県生まれ。中京大中京高、慶應大を経て、2011年ドラフト会議で阪神から1位指名を受ける。1年目から開幕スタメン外野手として出場したものの、成績を残せずに1軍に定着できない日々が続いた。17年から代打で頭角を現し始め、18年にはシーズン通じて1軍に帯同しチームに貢献。20年に戦力外通行を受け、21年より四国アイランドリーグplus・愛媛マンダリンパイレーツでコーチ兼選手を務めている。