恋人よ、人はなぜ、まだ見ぬ地への憧れを抱くのであろうか。――こんなことをつぶやいているかどうかは知らないが、今日もまた…
恋人よ、人はなぜ、まだ見ぬ地への憧れを抱くのであろうか。――こんなことをつぶやいているかどうかは知らないが、今日もまた放浪するサッカージャーナリストは、サッカー観戦にかこつけてはせっせと世界地図の未踏の地を塗りつぶしにあちこちのスタジアムへと出かけていくのであった。
■三蔵法師や孫悟空の通った道
首都ビシュケクももちろん見物しましたが、四半世紀が経過した今、何を見たのかほとんど記憶がありません。ただ、街の中心にある大統領官邸の巨大さと荒れ果てたナショナルスタジアムだけが鮮明に記憶に残っています。
さて、キルギスでぜひ行ってみたいところがありました。それが、イシククル湖です。
出発前に英語のガイドブックを読んでいたら、こんなことが書いてあったのです。
「イシククル湖周辺はかつては完全な統制地域で外国人は絶対に近づくことができなかった。というのも湖には潜水艦や魚雷などを開発するソ連海軍の研究所やソ連政府要人用の保養施設(サナトリウム)があったからだ」、と。
そのイシククル湖も、ソ連崩壊=キルギス独立後は外国人でも自由に行くことができるようになっているそうです。「そりゃ、行くっきゃない」と僕は思ったわけです。
イシククル湖は山の中の湖で表面の標高が1607メートル。南米ペルーとボリビア国境にあるティティカカ湖に次ぐ標高の高い大きな湖です。また、湖の深さは668メートもあって、世界で7番目に深いんだそうです。だからこそ、ソ連海軍が研究所を設置したのでしょう。そして、ここに研究所を設置したのは、ソ連の中でも最も内陸部にあるキルギスには西側の人間が容易に近づけなかったからでもあります(現在も、ロシア海軍の研究施設が存在しているそうです)。
遠い昔には三蔵法師が天竺に向かう途中、この湖の湖畔の道を通ったとも言われていますし、モンゴルの軍勢が野営したとも言われています。
さて、ホテルで聞くと「バスに乗ればいいんちゃう?」というので、僕はビシュケク中心部にあるバス・ターミナルに行ってみました。すると、ターミナルの入口前にミニバスが並んでいて運転手が大声で行き先を注げています。
■「チョルポンアタァ!、チョルポンアタァ!」
「チョルポンアタァ!、チョルポンアタァ!」と叫んでいるミニバス(ロシア語で「マルシェルートカ」)が停まっていました。チョルポンアタはイシククル湖北岸の、かつての要人用のサナトリウムがあったという人口1万人の町です。ミニバスは客の人数がそろうとすぐに発車しますから、こちらの方が早く着けるでしょう。運賃は60ソムでした(当時のレートで50円ほど)。
こうして、僕はミニバスに揺られて湖を目指したというわけです。
しかし、道路は湖から離れたところを通っているのでなかなかお目当ての湖を眺めることはできませんでした。チョルポンアタに着いて、ようやく湖は見えましたが、これも期待外れでした。
日本人は「湖畔」というと対岸に美しい山が見えて、新緑や紅葉で飾られたそんな美しい風景を思い浮かべてしまいます。しかし、イシククル湖は面積が琵琶湖の9倍、東西180キロ、南北60キロのラグビーボール型をした湖ですから、チョルポンアタから対岸は見えません。つまり、普通の海みたいなものなのです。
もうサナトリウムも閉鎖されてしまって温泉などもありませんでした。それで、寂れ切ったチョルポンアタで昼食をとってから、僕は再びミニバスに乗ってビシュケクに戻ってきたというわけです(最近は観光開発もされているそうですが)。
チョルポンアタを訪れた翌日、僕は飛行機でウズベキスタンの首都タシケントに向かいました。巨大なマナス空港では、なかなか面白い体験をしたものですが、その話はまた次回にでも……。