格闘家・白鳥大珠。「キックの王子様」の愛称で知られる彼は、その名の通りキックボクシング界において世界王者に輝く実力者でありながら、持ち前のルックスを活かしモデル業もこなすなど、まさに「天が二物を与えた」格闘家だ。現在は立ち技打撃格闘技「R…

 格闘家・白鳥大珠。「キックの王子様」の愛称で知られる彼は、その名の通りキックボクシング界において世界王者に輝く実力者でありながら、持ち前のルックスを活かしモデル業もこなすなど、まさに「天が二物を与えた」格闘家だ。

現在は立ち技打撃格闘技「RISE」の舞台を中心にプロキックボクサーとして戦う白鳥だが、彼のルーツはどのようなところにあるのだろうか。

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父親の影響で始めた格闘技・・・いつしか自身の意志へ

 

「RISE WORLD SERIES 2019 -61kg級王者」、「第5代RISEライト級王者」など、これまでキックボクシングの舞台で数々のタイトルを獲得し活躍を続けている白鳥だが、そもそも彼はどのようにして格闘技の世界へ導かれたのだろうか。

「元々父親が格闘技を見ることが大好きで、僕が小さい頃からテレビでK-1などの格闘技の試合がやっていると、無理やり見せていたらしいんです。父親自身、格闘技をやりたかったみたいなんですが結局やることがなく、僕にやらせたかったみたいです。その頃から『お前は将来格闘技をやるんだぞ』と言われていたようでした」

格闘技好きの父親の影響もあり、その父親に小学1年生の頃空手道場に連れていかれたことがきっかけで白鳥の格闘家としての人生がスタートする。

「空手をやること自体は嫌々ではありませんでした。初めて大会に出場したのは小学校2年生だったと思います。この時は負けちゃいましたね。でも、凄く楽しくて、そこから頻繁に試合に出るようになりました。当時試合がトーナメントだったので、試合に出てどんどん勝ち進んで行き、高学年になると、全国大会で優勝することもありましたね」

 

その後、中学2年生の初めまで空手を続けたのち、キックボクシングへと転向した白鳥。

この頃から次第に自身の格闘技に対する思いも変わってきたという。

「キックボクシングに転向した1番のきっかけは、テレビでK-1を見ていて、自分もいつかこの舞台に立ちたいと思ったことですね。もうこの頃は、父親にやらされて、と言ったことはなく、自分の意思で格闘技をやっていました」

キックボクシングに転向後、中学3年生でプロデビューを果たすことになるが、そのデビュー戦について白鳥はこう振り返る。

「実は、僕プロデビューのつもりで試合に出ていなかったんですよね。当時のジムで『試合に出てみるか?』と言われ出場してみたらプロルールの試合で・・・。試合が終わってからプロデビューだったことに気がつきました(笑)ちなみにデビュー戦は負けました。相手も大人で、僕自身プロデビューに向けて練習していた訳でもなかったので、そりゃあ負けますよね」

格闘家人生を変えた「鶴の一声」

 

 

その後もキックボクシングを続け、高校3年生でWPMF日本スーパーフェザー級王座のタイトルを獲得した白鳥。だがこのタイトル獲得した直後、突如モチベーションが低下してしまったという。

「その頃、ジムとの関係性で悩んでいたり、自分で色々考えることも多くなったことからモチベーションが下がっていってしまいました。
実は当時、キックボクシングをしながら、ボクシングの練習にも通っていたんです。その時に、ジム含めキックで色々悩んでいたことと、通っていたボクシングジムの会長から『うちでやってみないか?』と半ば冗談まじりですが、誘われたことが重なって・・・。色々考えた結果、じゃあボクシングやってみようかなと思いボクシングを始めました」

ちょうどその頃大学にも通っていたという白鳥。大学時代についてはこう振り返っている。

「大学ではスポーツ科だったので、ストレッチについてやテーピング、栄養学などを中心に学んでいましたね。でもほとんど遊んでいました(笑)
当時、格闘技もやっていましたが、それと並行してアルバイトもしていました。アパレル店員やカフェ店員などをしていましたね。」

大学生活を送りながら、ボクシングを続けていた白鳥。だが、卒業のタイミングである決断に迫られたという。

「大学卒業のタイミングということもあり、このまま格闘技を続けるのか、一般企業に就職するか悩んでいたんですよね。ボクシングジムの会長にも相談していました。
本当に悩んで色々な人にも相談した結果、このままここで辞めるのは勿体無いなと思ったんです。自分でも悩みに悩みましたが、まだ若いですし、格闘技を続ける事を決断しました」

だがこの頃、格闘技を続ける決断をしたものの、大学4年時にはほとんど練習にも行っておらず、自身の格闘技に対する熱は冷めていたと話す白鳥。ここで辞めるのは勿体無い、でも格闘技へのモチベーションは上がらない。どうしたらいいのか。

そんな時、彼の元へある人物から連絡があったという。

「練習にほとんど行っていない時期が続いていて、自分の中でもう一度1からボクシングをやろうかなと思っていた時に、那須川会長から電話がかかってきたんです。実は最初にキックをやっていた時、通っていたジムは違ったものの、アマチュアで大会に出た際に那須川会長と知り合って、何回かTEPPENの練習にも呼んでもらっていました。
キックを辞めてからは一度も連絡をとっていなかったんですが、ちょうどこのタイミングで連絡を頂いたんです。
『最近何やってるんだ?』と。そこで、色々と迷っていることを相談しました。
その時に、『うちに来ないか?一緒にRISEを盛り上げよう』と言われました。その場では『やります』とは言わずに、一回練習にいきますと言って練習に行ったんです。
ボクシングをやりながらも、やっぱりキック自体も好きで、YouTubeやアベマTVなどでキックの試合はみていたんですよ。その(那須川会長から誘われた)練習に行った際に、もう1回格闘技をやりたいという思いが湧いてきたんです」

現所属ジムであるTEPPEN GYM・那須川会長の「鶴の一声」で1ヶ月後にはジムを移り、再びキックボクサーとしてスタートした白鳥。

そこから彼の「真の格闘家」としてのキャリアが始まる。

 

※健康、ダイエット、運動等の方法、メソッドに関しては、あくまでも取材対象者の個人的な意見、ノウハウで、必ず効果がある事を保証するものではありません。

[文/構成:ココカラネクスト編集部]

 

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