6月5日に鳥取市で行なわれた、"布勢スプリント2021"。男子100m決勝で山縣亮太(セイコー)が、9秒95の日本記録をマークした。 彼にとって9秒台は悲願だった。2017年に桐生祥秀(日本生命)が出した9秒98を皮切…
6月5日に鳥取市で行なわれた、"布勢スプリント2021"。男子100m決勝で山縣亮太(セイコー)が、9秒95の日本記録をマークした。
彼にとって9秒台は悲願だった。2017年に桐生祥秀(日本生命)が出した9秒98を皮切りに、2019年にサニブラウン・ハキーム(9秒97)、小池祐貴(9秒98)と、山縣にも9秒台の期待がかかるようになり、自身も9秒台を最大の目標としていた。
ケガなど試練を乗り越え、日本人4人目の9秒台を出した山縣亮太
しかし、2020年は新型コロナウイルス感染拡大により、東京五輪は延期。ひざを痛めて、出場できたレースは8月のセイコーグランプリのみ。タイムは10秒42で予選落ちという結果だった。
今季は、東京五輪参加標準記録の10秒05突破を最優先課題として、2月のレースからスタート。しかし、4月29日の織田記念で優勝はしたものの雨が上がった後だったこともあり記録は10秒14。5月5日の水戸大会は雨が降った上に、強い向かい風という悪条件で10秒71だった。
どの大会も天候に恵まれない山縣だったが、今大会はやっと好条件がそろった。予選では3組中2組が2.6mの追い風参考記録(2.1m以上)になる中、山縣の組だけが1.7mと公認範囲内の追い風に収まり、10秒01を出して東京五輪参加標準を突破。目標のひとつをクリアした。
この大会はトップ選手たちにとって、五輪代表が決まる6月24日からの日本選手権へ向けての前哨戦だ。そのため、予選で10秒01(追い風参考)を出した桐生が「いい感覚がつかめた」と、決勝を棄権したように、五輪参加標準を突破した山縣にも棄権する選択肢はあった。
2月から山縣を見ている高野大樹コーチも、「ケガをするリスクがあるなら、(決勝は)出なくていいのではないか」と提案したが、山縣は「もうちょっと修正したいことがあるので出るつもりです」と答えた。
山縣本人は、予選のスタートをミスしたと言い、そこを決勝では、今季取り組んでいる中間加速の向上にうまくつながるように修正したいと考えていた。さらに「世界を考えれば、このくらいのタイムを何本揃えられるかが、ひとつのキーになってくる。決勝が世界大会の準決勝だと思い、そこで何とか記録を出せるように調整しよう」と、五輪本番も見据えていた。
迎えた決勝、山縣は隣のレーンの多田修平(住友電気)にスタートでわずかに先行される。中盤までは追いかける形になって、その後は並走するとラスト20mから前に出るとそのままゴール。ランニングタイマーは9秒97で止まり、しばらくしてから追い風2mとともに、9秒95の確定記録が掲示された。
「多田選手が見えていたので、タイムより勝負を意識しました。ラストまでしっかり集中力を切らさず、自分のペースを崩さないように気をつけました。それがうまくハマったのが快走の要因だったかなと思います」
そして、9秒95の走りの感想をこう述べた。
「9秒97でもうれしかったので、とにかく公認記録になってくれと祈っていました。それが公認で9秒95になったので、2倍うれしかったです。
10秒00で走った時は最後まで地に足がついている感じだったけど、今回の最後はスピードなのか風の影響なのかわからないけど、足が回転に追いつかないような感覚があって、最後はフワフワした感じでした。そのあたりは身体がまだこのスピード感に慣れていないんだなと感じました」
大学2年だった2012年4月に10秒08を出した山縣は、その年のロンドン五輪予選で自己新の10秒07を記録すると、準決勝も10秒10と力を出し切った。翌年からは10秒01を出した桐生とともに、「9秒台に最も近い選手」として期待され、16年リオデジャネイロ五輪4×100mリレーでは日本の銀メダル獲得にも貢献した。
その後、9秒台達成は桐生に先んじられたが、山縣はその2週後の全日本実業団では追い風0.2mの条件で10秒00を出し、翌18年もアジア大会の決勝で10秒00を出して銅メダル獲得。安定した力を見せてきた。
だが、19年はシーズン序盤から背中痛に苦しみ、6月の日本選手権は肺気胸で棄権。サニブラウンや小池が9秒台に突入する中、戦線を離脱した。その後も足首の靭帯断裂や膝の故障などで、ここ2年は苦しみ続けた。
「これまでで一番苦しかったのは、今年の冬かもしれません。肉離れくらいだったらどうすればいいかわかっていましたが、膝の場合はある程度治ったとしても、同じ動きをすればまたやってしまうから完治はしないというか......。だから動きを変えていくような大改革が必要なので、それがしんどかったです。練習をしていてもちょっと膝が痛くなると、『競技を続けられないかもしれないな』と思ったりもしました」
こう話す山縣はこれまでコーチをつけずひとりで試行錯誤しながら自分の走りを追求していたが、状況を打破するためには、アドバイスを求める存在が必要だと考えた。そこで、100mハードルの寺田明日香やパラ陸上の高桑早生を指導する高野大樹コーチに指導を依頼。山縣が、練習拠点とする慶応大の男女単距離だけではなく、プロコーチとしても実績のある高野のコーチングを見てきた山縣は、自分にとって彼が最適な存在だと考えた。
「山縣自身も、セルフコーチングというのは変えていないと思います。だから僕は彼に教えているという感覚はあまりなくて、彼が課題と考えていることを話してもらって、それを一緒に考えていくという感じです。
『膝に負担をかけないためには、股関節や体幹など上半身の動きをよくするようにしよう』とアドバイスしましたが、彼自身も膝や足首が痛くなりそうな傾向が見えたら、自分で察知して、こうケアしようと考えるようになった。自主的に取り入れているのは、進化しているところだと思います。
最初の頃は私や寺田が話していた、"走りのタイミング"という言葉のイメージが自分の中にはないと話していましたが、最近では『タイミングが合ってきた』『リズムよく走れている』と口にするようになっています。走りの技術を理論で考えていた山縣でしたが、身体の感覚も変化していると思います」
こう話す高野コーチは、「最近は仲間と練習していると、笑顔も出るようになった」と山縣の変化を語る。
ひとりですべてを考え、走りを追求していると、気持ちがどんどん自分の中に入り込んでいく。そこでは笑顔が出るような余裕はなかったのだろう。だが、今は仲間やコーチがいることで心が安らぎ、いろいろな視点から自分を見ることができる余裕も出てきた。そんな気持ちの変化も、今の彼の進化を後押ししているはずだ。
念願の9秒台と、日本新記録。山縣は「追い風2mでもいいから9秒台を出したいと思ってこの大会に臨みましたが、世界トップレベルの準決勝は風がなくてもこのタイムを出さなければいけない。もう一歩前進しなければいけないなと感じています」と先を見据える。
長い間跳ね返され続けてきた厚い壁を乗り越えた山縣は今、次への一歩を踏み出した。