歓声と雑踏にあふれていた会場から、人の姿が消え、あとには静寂と斜陽が残る。ワイヤーで吊られた移動式カメラのモーター音が…

 歓声と雑踏にあふれていた会場から、人の姿が消え、あとには静寂と斜陽が残る。ワイヤーで吊られた移動式カメラのモーター音が、無人のセンターコートに殊(こと)のほか大きく響いた。

 今年から全仏オープンに導入された『ナイトセッション』は、夜9時にスタートする。だが、パリ市内の夜間外出は規制されているため、8時45分にはゲートは閉じ、一般客は退出を命じられていた。

 突如観客を失ったスタジアムは、コートに立つ、たったふたりの選手の孤独感を一層際立たせる。その静けさのなか、破裂音を轟かせるアレクサンダー・ズベレフ(ドイツ)のサーブで、錦織圭の4回戦は幕を開けた。



錦織圭は2年ぶりの全仏ベスト8進出ならず

 選手の大型化が叫ばれて久しいテニス界だが、2カ月前に24歳を迎えたズベレフは、その潮流を新たな次元に引き上げた新世代の旗手だと言える。

 198cmの長身を生かしたサーブとパワフルなストロークを主軸とし、最近ではネットプレーも取り入れプレーの幅を広げた。さらには、以前の大型選手に見られがちなフットワークのぎこちなさもなく、足もとのボールも難なく処理する器用さも持つ。

 それら新時代のテニスを誇示するかのようなプレーを、ズベレフは立ち上がりから披露した。バックの強打をストレートに叩き込み、最後は時速204キロのエースでゲームキープ。

 続く錦織のサービスゲームでは、決め急ぐこともなく打ち合いながら、攻撃の機と見るやフォアの強打を立て続けに打ち込んだ。連続ウイナーで早々にブレークすると、続くゲームでは、200キロ超えのサーブでエースとウイナーを連発。

「圭に主導権を握らせないためにも、今日は可能なかぎり、攻撃的に行こうと思っていた」

 のちにそう語る世界6位が、狙いどおりのスタートを切った。

 いきなりの3ゲーム連取を許した錦織ではあるが、次のゲームをキープしたことで、徐々にポイントパターンを確立していく。打つコースをギリギリまで隠したバックハンドで、広角にストロークを打ち分ける。さらにはドロップショットも織り交ぜて、相手に的を絞らせない。

 相手のダブルフォルトにも乗じて第5ゲームをブレークすると、続くサービスゲームを2度のデュースの末にキープ。最後は、相手のリターンをドロップショットでしれっと決める、実に錦織らしいポイントだった。

 追いついた錦織にしてみれば、ここで一気に勢いに乗りたい展開。

 だが、彼にとってやや誤算だったのは、ズベレフがポジションを下げ、しっかり守ってきたことだろう。錦織がコーナーぎりぎりに打ち込んだショットを、相手はコートの端から端まで走り切り、ベースラインはるか後方から驚異のカウンターを放った。

 ならばと、錦織はドロップショットを打つが、それすら広いストライドを生かして追いつき、巧みに返してくる。なんとか突破口を開くべく、ネット際の攻防に持ち込むが、ここでもリーチで勝るズベレフが優勢に立った。

 攻めあぐねた錦織のショットがラインを割って、第1セットはズベレフの手に。43分の攻防を制した24歳の「カモーン!」の叫びがスタジアムに響いた。

 第2セットに入ると、初夏の長いパリの日も落ちて、気温も急激に下降する。文字どおりの『ナイトセッション』の機運が高まるなかで、コート上のコンディションも変化していた。

「今までやってきたデイタイムだとボールが飛んでくる感じなのが、ナイトだと2倍くらいにボールの重さを感じて。そこから決めきるのが難しかったです」

 ポツリとこぼした「ボールの重さ」は、小柄な錦織を一層、厳しい状況に追い込んでいく。

「自分のほうがパワーがない分、ボールが浅くなったり、彼の重いボールに食らいついていけなかったというか......」

 試合後に振り返る錦織の言葉どおり、時間の経過とともに、ズベレフが錦織を力で組み伏せていくようだった。

 試合開始から、約2時間。最後はズベレフのリターンウイナーがコーナーをえぐり、錦織の2021年全仏オープンは4−6、1−6、1−6のスコアで終幕した。

 もし、ナイトセッションでなければ? もし、トーナメント序盤での消耗が少なく、錦織のタンクにもう少しエネルギーが残っていれば?

 錦織に不利だった要因はいくつか挙げられはするが、当の本人は「うーん......ちょっと、ひとつも思い浮かばないですね」と、異なる結果へ導く「もし」を否定した。

「チャンスがひとつもあった思い出がないので」

そう振り返る錦織の「チャンスの思い出」をつぶしたのは、「今日は守備がすごかった」と脱帽したズベレフのコートカバーだ。

 その点に関してはズベレフも「何度も対戦しているので、圭のプレーパターンは何となくわかっていた」と前置きしたうえで、こう続けた。

「彼のプレーを読んでいたわけではないが、僕の動きは長身の割にはいいと思う。正直なところ、同じくらいの体格で僕より早く動ける選手がいるかどうか」

 口調は謙虚ではあるが、言葉の端々に強い自負がにじんでいた。

 同じ相手に3大会連続で敗れて終えた赤土のシーズンを、錦織は「やっぱり、どう考えても突破口が見つからなかったので、ちょっとモヤモヤは残ります」と総括する。

 同時に「芝(の大会)に行って、ガラッとプレーも変わるでしょうし」と、なんとか前を向こうとした。その視線の先にあるのは、2年ぶりの開催となるウインブルドン。

「ちょっと一回、リフレッシュして、気持ちを整えられたらいいなと思います」

 みずみずしい芝の季節に向けて、気持ちとプレーの切り替えを測る。