水球は「水中の格闘技」と言われている。泳力はもちろん、水中でのぶつかり合い、つかみ合いなど、いたるところで打撃戦が繰り広げられる。ただ、日本代表のスタイルは「格闘技」から遠いところにある。「そこで勝負しても世界では勝てないので......…

 水球は「水中の格闘技」と言われている。泳力はもちろん、水中でのぶつかり合い、つかみ合いなど、いたるところで打撃戦が繰り広げられる。ただ、日本代表のスタイルは「格闘技」から遠いところにある。

「そこで勝負しても世界では勝てないので......」

 そう語るのは、"水球界の王子"こと日本代表の荒井陸(あつし)だ。



水球日本代表のポイントゲッターとして活躍する荒井陸

 荒井は身長168センチと水球選手としては小柄だ。海外チームの平均身長は190センチを超える。そんな屈強な選手と戦うために荒井は数々の試練を乗り越え、武器を磨いてきた。

 小学3年の時に水球を始め、高校は水球の強豪校・秀明英光(埼玉)に推薦入学。毎日のように怒られ、落ち込む時もあったが、それでもあきらめずに食らいつき、卒業後は日本体育大に進学した。

「じつは第一志望は日体大ではなく、日体大を倒そうと思ってほかの大学を受けたんです。でも、落ちてしまって......今の日本代表の大本(洋嗣)監督に拾ってもらったんです」

 当時から日体大の強さは圧倒的だったが、そのチームを破りたいという反骨心は荒井のよさでもある。ただ、日本中から精鋭が集う日体大の水球部の厳しさは想像をはるかに超えていた。

 入部当時、体が小さく、細かった荒井は、彼らとは一緒に練習すらできずに「女子と練習しろ」と言われたのだ。

「僕ともうひとりが女子の水球部の練習に行かされました。もう悔しくて......『何をやっているんだろう』って思っていました」

 水球は欧州で生まれたスポーツで、体の大きい選手が圧倒的に有利である。だが荒井は、小さいからといって水球をあきらめるのではなく、特徴を生かし、自分の武器は何かを常に考えていた。

「水球は、体を浮かした時に水上から出る面積の大きいほうが有利なんです。基本的に、水球は体の大きい人がやるスポーツだと思っています。ただ、そのなかでどうやって大きい選手に立ち向かうのかをずっと考えてやってきました。その答えがアジリティ(俊敏性)であり、機動力でした」

 荒井にはアジリティを生かして磨き上げたテクニックがある。

「ドライブです。カットインして相手をかわしながら点を取りにいく技術なんですけど、昔から自分の武器にしています」

 イメージとしては、サッカーのようにサイドでボールを持った選手がドリブルして中に入り、シュートを放つ。もともとはチャンスメーカーとしてプレーしていた荒井だったが、ポイントゲッターに変わったのは、ハンガリーの名門クラブ・ホンヴェードに入団してからだった。

「今までのプレースタイルでやっていたら、そのうち使われなくなって、監督に『チャンスメークじゃダメだ』と。たしかに、みんなゴールへの意欲がすごい。自分はそれまでゴールに対して消極的だったので、これはいい機会だなって思って、プラスにとらえました。そこから点を取りにいくスタイルに変わったんです」

 欧州のボールゲームは、サッカーをはじめ、ゴールするという結果を出さないと評価されない。とくに外国人枠で入団した選手は、試合に勝たせるためのプレーはもちろん、ゴールも求められる。

 欧州と日本の価値観の違いに気づき、プレースタイルを変えた荒井はまた試合で起用されるようになった。

「そこが大きなターニングポイントになりました」

 当時も今も、プレーヤーとして理想としているのが、サッカー・アルゼンチン代表のリオネル・メッシ(バルセロナ)だ。

「水球とサッカーは違うスポーツですけど、相手に向かっていくドリブルとかは動きも似ていて、参考になることが多い。小さい選手でもできるんだというのを見せたい気持ちも同じだと思います」

 ちなみに、荒井がプレーしていたハンガリーは水球大国と言われ、荒井いわく「国内の選手は広告のモデルなどになっていて、街を歩いていると声をかけられることも多い」という。さらに試合会場のアリーナには2万人以上のファンが入り、サッカーや野球のように熱い応援が繰り広げられる。

「ハンガリーの水球熱はすごい。日本でもそうなる可能性はあると思っています」

 荒井がそう語るのは、東京五輪があるからだ。

 日本の水球界は、2016年のリオ五輪で32年ぶりの出場を果たした。それにしても、なぜこれほど長く低迷したのだろうか。

「欧米の選手たちと同じスタイルの水球をしていたんです。結局、フィジカル勝負になるから体力で劣る日本は勝てなかった。いい勝負はできるけど勝ち切れなかった」

 日本代表の大木監督は、リオ五輪を目指す過程でチームに大きなメスを入れた。経験豊富な選手を外し、若い選手を抜擢したのだ。

 さらに「パスラインディフェンス」という、日本独自の世界初の作戦を導入した。マンツーマンディフェンスを徹底し、相手のパスコースに鋭く入ってカットすると、ゴールキーパー以外の6人の選手が素早くカウンター攻撃に転じる戦法を採用したのだ。

 これまでの水球のセオリーを無視したスタイルは、相手にいいパスが通ってしまうと、簡単にシュートを打たれてしまうデメリットもある。

「けっこう無謀な作戦でしたし、僕らのマインドは守って点を取られないことが第一だったので、最初は反発がありました。でも、日本が世界と同じことをしていても勝てない。だったら、一か八かでやるしかないと。10点取られても11点取るという超攻撃的なスタイルになりました」

 この戦術を徹底させるには、時間が必要だった。そのために国内外で合宿を重ね、選手間のコミュニケーションとコンビネーションを徹底した。個々のレベルを上げるために練習時間を増やし、午前中に10キロ泳ぎ、それが終わると陸トレ、午後はチーム全体練習後にウエイトと、1日8時間のハードな内容だった。

 その甲斐あって泳力がつき、パスワークの高速化、戦術も浸透した。しかし、それで勝てるほどリオ五輪は甘くなかった。日本は予選グループで5戦全敗。参加12カ国中12位に終わった。

「リオで結果が出なかったのは当然かなと思います。五輪はそんなに甘くはないし、勝ちたいからといって勝てる世界でもない。僕らは五輪に出ることを目標にしていて、そこがゴールになってしまった。あと、海外経験が少なかったのも負けた要因のひとつだと思います」

 リオ五輪の反省を生かし、コロナ禍の前は海外遠征など年間200日の合宿を組み、実戦感覚を養い、戦術浸透に努めた。

 しかしコロナが猛威を振るい、東京五輪は1年延期に。そのニュースを知った時、荒井は目の前が真っ暗になったという。

「延期が決まった時はすごく落ち込みました。ただ冷静に考えると、通常どおり開催されていたら勝てなかったと思います。水球の練習時間は減りましたけど、延期されたことでやれることは増えた。普段やらないランニングをしたり、体のメンテナンスをしたり、得るものは多かったと思います」

 惨敗したリオ五輪から5年、荒井は手応えを感じている。

「リオのメンバーから半分ぐらい変わりましたが、若いフレッシュな選手が一緒になることで、できる戦術も増え、チームとして進化しています。それに東京でやれるということで、モチベーションもすごく高いです」

 荒井にとって2度目の五輪は、27歳という選手として一番脂が乗り切っている年齢で大会を迎えることになる。

「五輪は夢の舞台ですし、僕は目標としていた誰かに何かを届けられる唯一の場所だと思っています。結果を出してひとりでも多くの人に水球を知ってもらいたいですし、笑顔になってくれたらいいなって思います。もちろん、目標はメダルです」

 水球は、日本ではまだマイナースポーツのカテゴリーに入る。しかし、東京五輪で結果を出せば何かが変わるかもしれない。

「今は五輪に集中しているので、具体的に何をどうするのかは思い浮かばないですけど、水球を通して何かをやっていきたい。もうひとつ『水球といったら荒井陸』という存在になりたいですね。上の世代の人たちは水球というと吉川晃司さん(ミュージシャン、俳優/高校時代に水球選手として活躍し日本代表にも選ばれた)になるので、いつか超えられるようになりたいと思っています(笑)」

 32年ぶりに五輪へ出場したリオ大会で重い扉を開けたように、あきらめずに挑戦を続けていけば、その夢はきっと叶うはずだ。

プロフィール
荒井陸(あらい・あつし)/1994年2月3日、神奈川県生まれ。小学校低学年の頃から水球を始め、秀明英光高校から日本体育大に進む。168センチと小柄ながらも、俊敏な動きを生かして日本代表選手として活躍。2016年のリオ五輪にも出場した。大会後、ハンガリーの名門クラブ・ホンヴェードで1年間プレー。現在はKingfisher74に所属している。東京五輪でも活躍が期待される