視線を落とし、次のプレーに集中していた錦織は、「ケイ、ケイ」と主審に呼び止められる声で、相手の棄権を......つまり…

 視線を落とし、次のプレーに集中していた錦織は、「ケイ、ケイ」と主審に呼び止められる声で、相手の棄権を......つまりは自身の勝利を知った。

 1回戦、2回戦でいずれも4時間戦い、体力面で不安を抱えながら迎えた全仏オープン3回戦。「今日勝つとしたら、3セット(ストレート勝利)しかないなと思っていた」という錦織は、「出だしから気合を入れて」この一戦に臨んでいた。



錦織圭の全仏4回戦の相手はまたもズベレフ

 一方のヘンリ・ラークソネン(スイス)にとっては、予選3試合を勝ち上がり、2回戦で第11シードのロベルト・バウティスタ・アグート(スペイン)を破って至った大舞台。それだけに本人も気づかぬうちに、心が身体を限界以上に突き動かした側面もあっただろう。第1セットの第4ゲームでリターンを打ったあと、左足太ももに痛みが走る。

「なんでケガしたかはわからない。予兆もなかったのに......」とまつ毛を伏せる彼は、負傷後もプレーを続けるも、第2セットの最初のゲームで主審に棄権を申し出た。

 かくして錦織の3回戦は、思わぬ形でスピード決着を見る。

「今日はさすがに、4〜5セットは無理だと思っていた」と認める錦織にしてみれば、僥倖ともいえる勝利。とりわけ、次の対戦相手がアレクサンダー・ズベレフ(ドイツ)であることを思えば......。

 世界6位のズベレフとは、これが3大会連続の対戦となる。

 今季最初の対戦はおよそ1カ月前、マドリード・マスターズの2回戦。最終的に同大会を制したズベレフの爆発的な攻撃力の前に、錦織は「今までの対戦のなかでもケタ違いに強かった」と脱帽するしかなかった。

 その失意の敗戦の翌週には、早くもリベンジの機が巡ってくる。マドリードに比べて球足の遅いローマの赤土では、試合展開は大きく変わった。長いラリーが続くコートは錦織に優位に働き、ファイナルセットで錦織が先にリードする。

 だが、ここで「自分から打たなくなった」ことを後に悔い(結果は6−4、3−6、4−6で逆転負け)、それが「今の自分に足りないところ」だと俯瞰した。なお、今年の全仏のコートは「例年より速い」と多くの選手が口を揃え、錦織も同様の所感を持つ。

「マドリードではめちゃめちゃ(ズベレフが)打ってきたが、ローマではラリーが続き、チャンスが生まれたところがあった。コート的には、ここはマドリードとローマの間くらいの感じ。今週はボールがちょっと重いですが、その分、マドリードみたいにバンバン攻められてウイナーを取られることは少ないかなと思います」

 来たる再戦の展望を、錦織はそのように予想した。

 対するズベレフは、「マドリードはすばらしい試合だったが、ローマはものすごく長い打ち合いが続いたバトルだった」と、直近の2試合を振り返る。

「彼はいくつかの5セットマッチを制して自信を獲得し、そして今日は体力を温存している。次の試合は自分にとって、厳しい戦いになるだろう」

 錦織の実力を知る世界6位は、現状をそのように分析した。

 錦織の5セットマッチでの強さを警戒するズベレフだが、彼も初戦で2セットダウンの窮地から巻き返し、大逆転劇を演じている。もっとも、ズベレフをジュニア時代からよく知るテニス関係者は、「彼は体力に自信があるし、十分に余裕もあった」と見ていたという。

 錦織の5セットでの勝率が現役選手中最高であることは広く知られているが、ズベレフもまた、フルセットでの勝率は高い。今年4月に24歳を迎えたばかりながら、すでに22度の5セットマッチを経験し、内訳は17勝5敗。ちなみに22の回数は、ズベレフより年長のドミニク・ティエム(オーストリア/27歳)の19回やダビド・ゴファン(ベルギー/30歳)の18回を上回る。

 ズベレフは20歳にしてトップ10入りし、早くから「グランドスラムを制する新世代の最右翼」と目されながら、長くベスト8の壁に阻まれてきた選手でもある。その理由を「5セットマッチを戦い抜く力がないから」とも言われ続けてきた彼は、それら懐疑の声を封じるかのように、鋼の肉体と無尽蔵のスタミナを獲得した。

 そんなズベレフにとっても錦織との戦いは、自身の成長を示すひとつの試金石となるだろう。

 かたや、今大会ここまで薄氷を踏む勝利を連ねてきた錦織は、「テニスって大変」「魂が抜けた」と、煩悶の言葉を口にしてきた。

「正直、この2試合はまったく楽しくなかったですね。体力的にもつらいし、全然いいプレーができなかったので、自分と戦うところが多かったです」

 本心を包み隠さず打ち明ける彼は、だからこそ来たる実力者との戦いに、「プレッシャーがない分、若干、自分のほうが思い切ってプレーできるなかと思います」と、もどかしさからの脱却を期待した。

 この2年半、トップ10からの勝利がない錦織は、「今一番必要なのは優勝だったり、トップ10に勝つことなどの大きな結果」だと明言する。

 31歳と24歳。世界49位と世界6位。グランドスラムの最高成績は、どちらも準優勝。

 キャリアの異なる地点ながら、いずれもこの試合をひとつのターニングポイントと目するふたりの足跡が、ローランギャロスの赤土の上で交錯する。