アメリカ・テネシー州メンフィスで開催された「メンフィス・オープン」(ATP250/2月13~19日/賞金総額64万2750ドル/室内ハードコート)のシングルス決勝で、ライアン・ハリソン(アメリカ)がニコラス・バシラシビリ(グルジア)を6…

 アメリカ・テネシー州メンフィスで開催された「メンフィス・オープン」(ATP250/2月13~19日/賞金総額64万2750ドル/室内ハードコート)のシングルス決勝で、ライアン・ハリソン(アメリカ)がニコラス・バシラシビリ(グルジア)を6-1 6-4で破り、キャリア初のツアー・タイトルを獲得した。  ハリソンはサービスエースを決めると、両手を上げ、人差し指を空に向けて勝利を祝った。  ついに、ツアー・タイトルを獲得した。さらによいことに、彼はそれを家族や友人、そして彼がルイジアナ州のシュレーブポートで育つのを見てきたサポーターたちの前でやってのけたのだ。  「優勝、特に初タイトルを獲るということは特別なものだ。それを、僕の故郷から車でやって来た人々、僕のことを5歳のときから知っている人々、僕が10歳以下の大会に出ていたときからサポートしてくれた家族や友達、僕がつぎ込んだ努力と献身を見てきた人々の前でやるというのは、この優勝をいっそう特別なものにする」とハリソンは感極まった様子で言った。  24歳のハリソンは、第1セットを27分で取り、第2セットでは10本のブレークポイントをバシラシビリに与えながらもしのいで、1時間16分で試合を終えた。試合全体を通してハリソンは12本のブレークポイントをセーブした。  ハリソンは優勝賞金11万4595ドルとランキングポイント250を持ち帰ることになった。この勝利で彼は2012年7月に至ったキャリア最高ランキングと同じ、世界43位にまで上がることが予想されている。その2012年の夏以降、彼は調子とランキングを落とし、2014年10月には一時197位にまで落ち込んだ。昨年3月のハリソンは168位に過ぎなかった。  「7、8ヵ月前、僕はトンネルの向こうには光がないように感じていた。だから今起きていることは“超現実的”だ。正直、信じられない。本当に素晴らしい」とハリソン。  「ここメンフィスは、僕が初めてプロテニスの試合を見た場所なんだ。僕は常にメンフィスを記憶にとどめることだろう。人は人生で夢と野望を持つ。僕にとってのそれは、テニス界で可能な限り偉大になるということだ。僕にとって、ここに戻ってきて、不可能だと思っていたときにこのタイトルを獲るということは、本当に驚くべきことなんだ」  ハリソンは、今年のツアーでキャリア初タイトルを獲得した選手として、シドニーで初優勝を飾ったジル・ミュラー(ルクセンブルク)に続いて2人目の選手となった。また、今大会でキャリア初タイトルを獲った、2004年のヨアキム・ヨハンソン(スウェーデン)以来の選手ともなった。さらに彼は、今大会41年の歴史において、2011年のアンディ・ロディック以来のアメリカ人優勝者ともなった。  2週間前にダラスのチャレンジャー大会で優勝しているハリソンは、チャレンジャー大会とツアー大会に連続して優勝した、2014年のダビド・ゴファン(ベルギー)以来の選手となった。  バシラシビリにとっては、この日の決勝はキャリア2度目のツアー決勝であり、昨年のキッツビューエル以来のものだった。彼は2回戦で第1シードのイボ・カルロビッチ(クロアチア)を倒し、また先週のブルガリア・ソフィアでは、世界8位のドミニク・ティーム(オーストリア)を破り、準決勝に進出していた。  決勝でのハリソンはベースラインの後ろまで下がり、頻繁にコート後方に書かれた「メンフィス」のロゴの一歩後ろでプレーすることで、バシラシビリのパワフルなストロークに対処した。  第1セットのバシラシビリは、第1ゲームで15-40とハリソンのサービスをブレークする最良のチャンスを得た。しかしバシラシビリは、最初のブレークポイントで右に動きながらコートに倒れてチャンスを逃し、それからバックハンドをネットにかけて、結局そのチャンスを逃した。反対にハリソンは第4ゲームでブレークを果たして3-1とリード。第6ゲームでふたたびブレークしてセットを取った。  バシラシビリは第2セットで5度、ハリソンのサービスゲームのすべてで少なくとも1度はブレークチャンスを得た。だがハリソンは、オンラインのサービスエースで危機をしのいだ第2ゲームから始まって、そのたびに応戦してピンチから逃れた。ハリソンは何とかデュースにもち込み、それからバシラシビリのフォアハンドのミスでアドバンテージをつかむと、最後はセカンドサービスからエースを奪ってサービスをキープしたのである。  「ブレークポイントを握られたときのライアンは、本当に素晴らしいプレーをした」とバシラシビリは認めた。  ハリソンは2-2からバシラシビリのサービスをブレークして3-2とリード。次のゲームで一時0-40となるが、そこでも奮起してサービスをキープし、4-2と差を広げた。彼はまた、第8ゲームでもブレークの危機に直面しながら立て直し、最後のゲームでもふたたび15-40と劣勢に立ってから巻き返した。こうしてハリソンは数々の厳しい局面を乗り越え、最後はサービスエースで試合を締めくくったのである。(C)AP