ボルグ、マッケンロー、コナーズたちがいてテニスがおしゃれで憧れだった1980年…

ボルグ、マッケンロー、コナーズたちがいて
テニスがおしゃれで憧れだった1980年代

日本には、テニスブームが2度あったと言われている。1度目は今上天皇・皇后陛下による“テニスコートの恋”が大きな話題となった1960年頃。「もはや戦後ではない」と言われたのが1956年、高度経済成長期がはじめのころで、人々の生活が徐々に豊かになってきていたころだ。1965年に東京オリンピックが行われ、数十万円もするカラーテレビが普及する前のことである。
テニスというのは、まだまだ上流階級のためのもので、一般市民が簡単に楽しめるようなものではなかった

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そして2度目のブームと言われるのが、1970〜80年代。といっても、当初はスポーツそのものがブームということではなく、フォーカスされたのは“ファッション”が若者に受け入れられて、である。そんな流れもあって、漫画『エースをねらえ!』(1973〜1975年、1978〜 1980年まで『週刊マーガレット』に連載)が大人気となる。主人公の岡ひろみの才能に惚れ込んだコーチの宗方仁による猛特訓が行われ、そこに“お蝶夫人”こと竜崎麗香がいて、岡を支える藤堂貴之がいる。若い方にはわからないが、これがおもしろかった。大学には無数のテニスサークルが生まれ、テニススクールが出来始めたのが、そのころだと言われているので、テニスを文化として日本に根付かせた時期と言っていいだろう。




ちなみに1982年1月4日付けの男子世界ランキングを見ると、1位ジョン・マッケンロー(アメリカ)、2位イワン・レンドル(アメリカ)、3位ジミー・コナーズ(アメリカ)、4位ビヨン・ボルグ(スウェーデン)、5位ホセ・ルイス・クラークがトップ5、6位にギレルモ・ビラス(アルゼンチン)、12位にヤニック・ノア(フランス)がいる。映画にもなったボルグとマッケンローによるウィンブルドンの戦いは1980年大会である(81年も決勝で相まみえている)。


1982年、スラセンジャーの営業をしていた
髙松氏によって「テニック」は設立される

前置きが長くなってしまったが、今回ご紹介するテニス専門の卸問屋「テニック」が設立されたのは、1982年だから、テニスがブームの中で誕生した会社。ウィンブルドンブランドとして知られるSlazenger(スラセンジャー)ブランドの営業職を9年経験していた髙松正男氏(現同社会長)により設立された。





大阪に居を構え、当初は「関西を中心にテニス専門店の顧客を増やし続けていました。ちょうど、人々がスポーツショップではなくテニスショップというオシャレな店でテニスラケットを購入しだした頃で、雨後の竹の子の様にテニスショップがオープンしていたころでした」と当時を振り返る髙松氏。

一つ興味深いのは単に卸問屋というわけではなく、テニス文化に関わることをしてきた点だ。西日本の多くの専門店で受け入れられた1992年には、何人かのストリンガーがテニックの事務所に集まり、アメリカにあるUSRSA(全米ラケットストリンガーズ協会)の日本版を作るべきだと協議。熱い情熱を持って「日本ストリンガーズ協会(JRSA)」が作られている。

テニスショップができていったこともあり、日本ではようやくストリンガーの位置付けらしいものができ始めた黎明期だったが、既にアメリカではUSRSAという優れた組織があり、そこではテニスショップの運営や接客技術から正しいストリンギングまでをテストする事で技術向上を図っていた。そのストリンガーの頂点にはMRT(マスター・オブ・ラケット・テクニシャン)という最高位の熟練者がいて、彼らがグランドスラムのストリンギングを担っていた。


1995年の震災をきっかけに
日本全国に良質な商品を届けたいと
代理店業を促進させていく

そんなテニックの歴史の中で、一つ転換点となったのが1995年である。1月17日5時46分52秒、兵庫県の淡路島北部沖の明石海峡を震源として、マグニチュード7.3の阪神・淡路大震災が起こる。
そんな中で、髙松氏は単なるテニス用品の卸屋である事に危機を抱いた。そして「もっと世界の良質なテニス用品を日本に広めたいと考え、手始めに小物からと当時代理店だった株式会社アジアワースから“ボウブランド”と“トーナグリップ”」の代理店権利を買い取りました」(髙松氏)。





100年に渡り、ナチュラルガットを生産してきた「ボウブランド」は、ウィンブルドンのオフィシャルストリンギンガーを続けている魅力的なブランド。そして「トーナグリップ」は、ご存じのとおり、世界的なプロ選手の過半数が使用している卓越したグリップテープのブランドだった。

もう一つ、テニックにとって契機となったのが、アジアワースが生産していた日本製のグリップテープ。高品質であり、ユーザーからの評価が高かったにもかかわらず、販売数に反映されていなかったグリップテープを、テニックで取り扱うタイミングで、ウィンブルドンのイメージを強化してタイアップ。専門店での最強商品に成長した。

また、ボウブランド社との太いパイプを生かして、ウィンブルドン(大会)のストリンギングチームにストリンガーを派遣していた。当時から、勤勉で技術力があり、細かな配慮ができる日本人ストリンガーは高い評価を得ていたという(2001年アメリカ同時多発テロ事件により、イギリス政府が外国人入国禁止処分を打ち出したことで途絶えたが、10シーズン続いた)。


日本のテニスに新たな歴史を作るために
テニックはこれからも歩み続ける

テニック自ら日本総代理店を務めているブランドは、先に記した「ボウブランド」(1997年より)、「トーナグリップ」(1997年より)の加えて、「バルデマッチ」(1998年より)、「イソスピード」(1999年より)、「ボレー」(1999年より)、「マンティス」(2011年より)、「セント・クリストファー」(2016年より ※テニスライセンス契約)も行っている。





現在では、「マンティス」のラケットやテニスギア、「ボウブランド」「イソスピード」のストリングなど、「トーナグリップ」のグリップテープなど、「バルデマッチ」「セント・クリストファー」によるアパレルと、テニスに関わるすべてを扱っているわけだ。

加えて、各種テニスブランドの代理店業も行い、日本全国の小売店へとテニスギアを発送する。おそらく、あなたもテニックが関わるギアをショップで手にしているはずだ。

取り扱っている品もバラエティー豊富ではあるが、ヘッド、トアルソン、ウイルソン、ダンロップ/バボラ、ディアドラ、ロシニュールなどのメーカーでの勤務経験があったり、テニス専門店、クラブ/スクール、テニス情報サイトに勤務していた経験があったり、働くそのスタッmeta設定フもバラエティー豊富。テニスに深い思い入れのある人間が仕事している会社なのだ。

自由闊達でユニークなテニスマン集団――テニックの社是は[勝利を目指すテニスプレイヤーのために、テニスライフを楽しむ人のために、 世界中の優れたテニス用品を提供することが私たちの務めです]。

「今ではアクトグループ株式会社の一員となり、総合スポーツ企業を目指しながら正当なビジネスを続ける専門店と利益を共有できるために努力をしています」、髙松会長はそう言葉にしている。

日本のテニスに新たな歴史を作るために、テニックはこれからも歩み続ける。


取材協力:株式会社テニック大阪TEL06-6358-5031、東京営業所TEL03-5439-6250