「オープン球話」連載第68回 第67回を読む>>【それ以前も、それ以降も見たことのない変化球】――前回まで、高津臣吾監督…

「オープン球話」連載第68回 第67回を読む>>

【それ以前も、それ以降も見たことのない変化球】

――前回まで、高津臣吾監督について伺ってきましたが、今回からは同じく今もユニフォームを着ている伊藤智仁一軍投手コーチについてお話を聞きたいと思います。伊藤コーチにはどんな印象がありますか?

八重樫 トモはね、ヤクルトに入る頃からの縁があるんですよ。僕の仙台商業高校時代の大先輩が、関西地区の宮城県人会の副会長をやっていたんです。それで、ちょうどトモがヤクルトのドラフト1位で指名された時に、大阪でその先輩と会うことになって。トモのお父さんも宮城県出身だということを聞いて、すごく親近感を持ったのが最初ですね。



1993年に7勝2敗、防御率0.91で新人王を獲得した伊藤智仁を見守る野村克也監督(右)

――ご本人に会う前にすでに親近感を持っていたんですね。伊藤コーチといえば、「高速スライダー」が有名ですけど、実際のボールはどうでしたか?

八重樫 トモが入団した1993(平成5)年は、ちょうど僕の現役最終年なんです。この頃は古田(敦也)がレギュラー捕手で、僕は代打専門。でも、ブルペンでボールは受けていたんだよね。ペナントレースが始まってからのことだけど、室内練習場でトモのボールを受けたことがあるんですよ。

――どうでしたか、ウワサの高速スライダーは?

八重樫 いゃあ、驚きましたよ。僕がプロ入りした時に、初めて松岡(弘)さん、浅野(啓司)さんのボールを捕球して身の危険を感じたという話は、この連載でもしたと思うけど、トモのボールもまさにそんな感じ。一球ごとに汗びっしょりになっていたね。

――当時、八重樫さんはプロ23年目の大ベテランでした。失礼ですが、八重樫さんの衰えもあったのではないですか(笑)?

八重樫 衰えもあったのかも(笑)。......いやいや、それ以上にトモのボールのキレがすごかった。そして、あの高速スライダーの曲がりのすごさ。それは初めて経験する驚異のボールでした。あの頃、他にもブルペンでボールを捕っていて、いいピッチャーはたくさんいたけど、それでも普通にキャッチングはできますから。でも、トモ以上のボールは見たことがなかったです。

【高速スライダーは「命の危険を感じるボール」】

――以前、古田さんにお話を伺った時に、伊藤さんの高速スライダーについて、「直角に曲がる」とおっしゃっていました。八重樫さんにも、あのボールのすごさを解説していただけますか?

八重樫 印象としては、わかりづらいかもしれないけど、アンダースロー、サイドスロー投手が投げる大きなカーブが、横に曲がるイメージです。梶間(健一)がクロスして投げる大きなカーブ。それぐらいの変化量があるのがトモのスライダーでした。

――1980年代ヤクルトのローテーション投手で、阪神キラーだった梶間さんですね。足をクロスさせて右バッターの内角に大きなカーブを投げ込んでいました。あんな感じなんですか?

八重樫 そうそう、まさにあんな感じ。もちろん、梶間のカーブよりも全然速い。あんなに曲がりが大きくてスピードの速いスライダーなんて、それまで見たことがなかったし、その後も見たことがないですよ。他球団にもいなかったね。本当に、あの高速スライダーは、「命の危険を感じるボール」でしたから。

――まさに「魔球」ですね。

八重樫 魔球だと思いますよ。右バッターにとってはインコースからアウトコースに逃げていくボールだから、簡単に空振りします。一方の左バッターにとってはインコースに入ってくるボールだから、バットには当たるけど完全に詰まってしまう。いずれにしても、バッターは絶対に打てない(笑)。

――キャッチャーとしても、リードしていて楽しいでしょうね。

八重樫 古田も楽しかったんじゃないかな。だって、フォークボールなどの落ちるボールはいらないですから、トモの場合は。ストレートとスライダーの2種類だけで、簡単にバッターを抑えられるからね。とにかく、入団直後からインパクトが大きかったし、新人王を獲るのも当然の活躍でしたよ。

【伝説の16奪三振の試合を振り返る】

――伊藤さんのピッチングで印象的な試合はありますか?

八重樫 やっぱり、入団1年目の金沢の試合ですね。

――1993年6月9日、石川県立球場で行われた対読売ジャイアンツ戦。先発した伊藤さんはセ・リーグ記録となる16奪三振を記録したものの、9回裏、篠塚和典選手にサヨナラホームランを喫して、0対1で敗れた伝説の試合です。

八重樫 あの日、僕もベンチにいたんだけど、「このまま勝つんだろうな」と思いながら見ていました。篠塚が打った瞬間、僕はファールだと思いました。でも、風がライトから右中間に吹いていて、切れないでスタンドインしたみたい。審判が「ホームラン」って手を回した時には驚きましたよ。

――ベンチ内の雰囲気としては「今日は勝ったな」という感じだったんですか?

八重樫 あの年のトモが投げる試合はだいたい、そんな感じでしたよ。あの金沢の試合もそうだったし、ブルペンでも控え投手は投げていませんでしたから。とにかく、トモのピッチングはテンポがいいから守っていてもリズムが生まれるし、攻撃陣にもいい流れを持ってきてくれるんです。スライダーもすごいけど、テンポもいいのがトモの特徴ですよね。

――伊藤さんと言えば、肩関節の柔軟性に優れ、ルーズショルダーであることも知られていますね。

八重樫 確かに、肩関節の柔軟性は群を抜いていましたね。関節が柔らかいから、投げる時に腕が背中に入るんですよ。バッターからは右腕が完全に隠れますから。それで、遅れて腕が出てくる。あの独特なフォームでは肩の故障も避けられないですよね。肩関節の柔らかさがあの高速スライダーを可能にしたけど、一方では故障の原因になったとも言えるでしょうね。

――実際にルーキーイヤーの93年7月4日に故障して、そこから長いリハビリ生活が始まりました。

八重樫 この年、トモが投げる時にはなかなか援護点が取れなかったんですよね。金沢の試合でも、打撃陣はみんな必死でしたよ。「トモのために、何とか1点を取るぞ」って口にしていたから。でも、それが逆に焦りにつながったのかな? そうしているうちに故障してしまってね。あの頃の野手陣は、みんなトモに頭を下げなくちゃいけない。僕も、そんな思いだったな。

――長いリハビリ期間を経ての復活劇。さらに、再びの故障。この辺りについては、また次回伺います。

八重樫 トモの場合は、あの高速スライダー以上に、その後のリハビリ期間が本当に立派でした。次回、詳しくお話ししましょう。

(第69回につづく)