『This is My Dance 〜 私の青春』(1) 佐藤晴美インタビュー@前編 意思の強そうな大きな瞳が、シャッター音が響くたび、猫の目のようにたたえる光を変えていく。すらりと伸びたしなやかな手足は、その動きやポーズひとつで心象風景を…
『This is My Dance 〜 私の青春』(1)
佐藤晴美インタビュー@前編
意思の強そうな大きな瞳が、シャッター音が響くたび、猫の目のようにたたえる光を変えていく。すらりと伸びたしなやかな手足は、その動きやポーズひとつで心象風景を描くようだ。時に蠱惑(こわく)的に、時に切なく、時に挑発的に......。
「その時のフィーリングや取材の目的など、どういう自分で写ったらいいのかなと考えて、細かいところまで意識してみました。
モデルのお仕事は、気がついたら自分が思っていた以上にたくさんさせていただけるようになりました。目標は次々に生まれてくるけれど、ダンスからこの世界に入って、こんなふうに今のお仕事をすることになるとは予想もしていませんでした」
撮影を終えると現れたのは、柔らかな笑みと誠実な語り口調が印象的な、自然体の女性だった。
これまでの自身の活動やダンスについて語ってくれた佐藤晴美さん
佐藤晴美――。
ダンスユニット「Flower」を経て、「E-girls」のリーダーとして活躍し、現在はモデルや女優業にも活動の場を広げている。
表現者としての彼女が目指すのは、「人生を語るように踊る」こと。
「こういう人生を歩んで、今、ステージでこういう踊りをしているという道のりすべて......それを表現できるダンサーになりたいなって思っています」
目を輝かせてそう語る彼女は、どのような道をいかに歩んで、今ここに至ったのだろう?
ダンスこそが「原点」だという佐藤晴美さんが駆け抜けてきた濃密な時間を、その始まりの時にまで巻き戻してみよう――。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
満員のさいたまスーパーアリーナに、紅白歌合戦のステージ、そして、デビュー曲のミュージックビデオを撮影した韓国のスタジオ......。それら、忘れがたい数々の光景をさらに過去にさかのぼると、見えてくるのは地元・山形の花笠まつりの舞台だという。
見慣れたはずの街並みは華やかなステージに変わり、そこには、日常とは異なる衣装に身を包んだ、「学校とは違う、みんなが知らない自分」がいる。
友人や親族たちの視線を集め、踊る瞬間が、楽しかった。
「華やかな場所で、友だちが見るなかで習い事のダンスを披露し、次の日の学校で『本当にかっこよかった』って言ってもらうのがうれしかったんです。
特別なステージを自分が踏んでいることが、小さいころはモチベーションでした。お祭りやフリーマーケットでダンスして、みんなから目をキラキラさせて『あんなことやってたんだね。すごくかっこよかったよ』って言われるのが好きで。
その延長線上のような気がします、今ここにいるのも......」
そう言い彼女は、ふわりと笑った。
佐藤さんとダンスの出会いは、始まりの記憶の、そのさらに奥にある。物心がつく前から、彼女はテレビに映る歌手をマネて踊る娘だったという。
その姿を見て「この子はダンスに向いているのかも」と直感した母に手を引かれ、地元のダンススタジオに通いはじめたのが8歳の時。竹馬や一輪車が得意で活発な少女は、すぐに新たな習い事に夢中になった。
「ダンスは、自分の持っているものを最大限に出せる場所だったのかも。おしゃれな洋服を着て、おしゃれな髪形をしてステージに立つというのも、今思えば最初から馴染めていたし、好きでした。
身長が高いのも生かせる場所だったし、練習すればするほど成果も出る。自分の持って生まれたもの、自然と自分のなかにあったものを全部生かせる場所だったので、それが大きな理由な気がします、うん」
週に1回だったレッスンはすぐに週3回に増え、福島のスタジオに通いだした13歳のころには、華やかな舞台に立つ未来を夢見るようになる。
東京で開催されたダンスコンテストに出場し、EXILEのHIROが立ち上げた芸能事務所LDHのスタッフから「このオーディションに参加しない?」と声をかけられたのが、中学3年生の時。渡された応募用紙は、遠い夢のステージへと続く切符だった。
「わー、EXILEだ! HIROさんもいる?」
オーディション会場を訪れた時、彼女はどこか、夢心地な浮遊感のなかにいたという。
書類とビデオ審査から含めれば、オーディション参加者は3万人。あまりに狭き門だったが、本人曰く「あれよ、あれよという間に」最終審査の合宿にまで残っていた。
合宿時点で絞り込まれた人数は、約30名。その後、最終的に合格者として発表されたのは、わずかに5人だった。佐藤さんも、そのひとり。オーディションの3カ月後には、すでに活動を始めていた4名に加わり、"新生Flower"としてデビューすることも発表された。
「どんな世界なの? どうなっていくの、わたし? 有名になるの?」
不安がないわけではない。ただそれ以上に、未知の世界へ飛び込む高揚感と、とてつもない何かが待っている期待感に胸を膨らませて地元から上京する。高校1年の夏のことだ。
オーディションのわずか数か月後に撮影されたミュージックビデオは、「今でもよく見返す」というほどに、忘れがたい作品となる。
デビュー曲『Still』は、終わった恋への未練と追憶を歌う、15〜16歳の少女たちには少し背伸びした楽曲。ミュージックビデオは、哀切なメロディラインに乗せメンバーひとりひとりの表情がアップになる、Flowerのお披露目的な仕上がりにもなっていた。
このデビュー曲を起点として、「人生を語るように踊る」旅も本格化する。佐藤さんが「思い出の曲」として振り返る作品も、彼女の人生観や成長の足跡と同調するものだ。
「E-girls時代の曲は、『DANCE WITH ME NOW!』が過去イチ踊った曲だったので、思い出深いです。『Love ☆ Queen』や『Highschool ♡ Love』も、E-girlsが一番キラキラしていた時だったので、今見ても、うわー、みんないい表情しているなーって思って。
でも、ダンスで一番好きなのは、Flowerの『Blue Sky Blue』という曲なんです。すごく、ミュージックビデオと曲の世界観が合っていて、ハッピーなんですが少し切なくて、儚くて、優しくて......いつ見ても、すっと入ってくる曲です。
ひとりひとりに可愛いいシーンがあるのも好きだし、踊りもそこまで踊ってはいないんですが、ひとつひとつの振りに、その時の振付師の先生の想いがすごく乗っているんです。先生は、この振りでわたしたちをこういうふうに見せたかったんだなとか、こういうふうに輝いてほしかったんだなとか。
すごく考えられたミュージックビデオですし、その時のFlowerに対する各所からのエネルギーが感じられる曲で、すごく好き」
遠距離恋愛をテーマにした『Blue Sky Blue』のミュージックビデオは、遠くの恋人を想う歌詞と映像が共鳴し、強くも儚い世界観が立体的に描きだされる。
デビューから3年半が経ち、ダンサーとしての自我を確立しつつあった当時の佐藤さんにとっても、独自の表現を模索していた時分。だからこそ思い入れが強く、彼女の成長が塗りこめられた作品でもあるのだろう。
「当時は、自分なりの表現をしたいという想いが、多少なりともあったんです、こんなわたしにも(笑)。なので『こういうふうに踊って』とか、『音と動きがずれてる』って言われても、『ちょっと遅れてるほうがよくない?』って、ちょっとした反発心みたいなのがあって。
でも今見ると、すごい振り付けだし、わたしが考えられるかと言ったら無理。FlowerもE-girlsもずっと見てくださった振付師の方が『Blue Sky Blue』のダンスも作ってくださったんです。踊りすぎてもよくないんだよとか、見ている方も踊りが多すぎると引いてしまうのかなとか、そのあたりのバランスのとり方が天才的な方で。その感覚は本当にプロだし職人だなと、今になってあらためて尊敬します」
人生を語るように踊る佐藤さんのパフォーマンスには、その時々の現在地が楔のように打ち込まれ、語るべき相手がいる時、最大の光を放つ。
だからこそライブが、表現者・佐藤晴美の本質が輝く舞台であるのは必然だ。FlowerやE-girlsとして活動した日々を振り返った時、最もビビッドに思い出されるのも、ライブのステージだという。
「E-girlsをやっていて、何が一番嬉しかったとか印象に残っているかと言ったら、さいたまスーパーアリーナのステージから見た光景です。満員の客席に金色のテープがバーッと広がっていくあの景色は、もう味わうことはないだろうし......うん、あれは、わたしの財産です。目に焼きついてます、あの瞬間が一番」
E-girlsのリーダーであることも、仲間たちとリアルタイムで作品を生み出す"ライブ"というスタイルに、強い思い入れを抱く理由のひとつかもしれない。
同じ時間と空間を共有してきたメンバーたち、そして"リーダー"という役割について、佐藤さんは抱える想いを包み隠さず明かした。
「最初は、リーダーだからみんなを引っ張っていかなくちゃって、空回りしていたところもあったと思います。でも、人を頼る強さを知った時に、わたしのなかのリーダー論が大きく変わりました。仲間に甘えてみんなでやった時の達成感は、自分のなかの枠を越えたというか、大きな一歩だった気がします。頼るのってけっこう勇気がいることなので、それができたことで大きな自信が生まれたし、だからこそみんなのことをもっと好きになれた気がするんです」
佐藤さんに「人に頼る強さを教えてくれた」というメンバーたち。その存在を、「ひとことで表現すると?」と尋ねた時、返ってきた答えは実に趣き深いものだった。
「ひとことで言うと......本当に『戦友』って感じです。友だちでもない、仕事相手と割り切れる仲でもない。プライベートで、一緒に遊ぶという感じではない。
でも、同じ作品を同じ呼吸で表現している仲間だし、そこには目に見えない、つながっている何かが絶対にある。だから、『仕事仲間』のひとことでは絶対に割り切れない。割り切れないからこそ、ぶつかることもあるんですが、それを隠しはしない。『いろいろあるけどさ、がんばろうよ』って。
戦友という言葉が正しいのかどうかわからないですが、この世の中にある言葉では、戦友が一番ぴったりくると思います」
『戦友』の言葉には、筆舌に尽くしがたいメンバーとの絆と同時に、メンバーと共有した時間の濃密さが込められる。
それら、数々の『戦友』たちと過ごした15歳から25歳までの10年間とは、佐藤晴美という女性にとって、どのような年月だったのだろう?
「長かったですね。あっという間とかは、全然思わないです。10年って、やっぱり長かった。濃すぎましたね。濃かった......本当に。
表現することへの向き合い方なども含め、本当にいろんな面において成長させていただいたし、いろんな感情を味わった。悔しさも、このうえない嬉しさも味わったし、いろんな夢を叶えてもらったし、叶えてきた。普通では味わえない、すっごく濃い10年。でも、何ひとつ後悔もない。
この10年間のひとつひとつの出来事が、生涯忘れることがない気がします。まだまだ人生長いけれど、こんな10年あるのかな〜。子どもが生まれたりしたらまたあるかもしれないけれど、自分の人生としては、これ以上濃い時間はないと思います」
「長かった」と語る時の遠い目線は、踏破した道に刻まれた足跡に、思い出を重ねるようだった。
今でも、大きな仕事がひと段落した時などに、佐藤さんは過去の映像を見返すという。
地元・山形のお祭りの舞台から始まった「人生を語るように踊る」旅は、やがて、さいたまスーパーアリーナのきらびやかなステージへと至る。
その足跡を見返す理由を聞くと、「なんでだろう? でもきっと、何かを知りたいんでしょうね」と、彼女は自分に問いかけた。
「現在地を知るため......なのかな。振り返ると、今、自分がどういう人生の道のりの、どこにいるのかなというのが、ちょっと見えてくる気がするんです。こういう道を辿ってきたから、今ここにいるのかって。そういうのを確認するのが、好きなんです」
いくつもの出会いと分岐点を、時に足を止め振り返りながら、彼女は、今いる場所を俯瞰する。そうして確認した現在地から、未来へと歩みを進めるために。
(後編につづく)
Profile
佐藤晴美(さとう・はるみ)
モデル・女優・アーティスト
1995年生まれ、山形出身。2011年、Flower、E-girlsに加入。
2020年12月E-girls解散にともない、ソロ・アーティストとして
活動をスタート。173cmの長身でモデルとしても注目され、
ファッション誌やショーで活躍。また、女優として、ドラマや
舞台に出演するなど、幅広く活動している。