あのスーパースターはいま(10)後編前編を読む>> ブラジルで今でも「英雄」とされる2002年日韓W杯の優勝メンバーたち…

あのスーパースターはいま(10)後編
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 ブラジルで今でも「英雄」とされる2002年日韓W杯の優勝メンバーたち。ロベルト・カルロスも当時のセレソンに欠かせない"顔"のひとりだろう。中国戦ではFKも決めている。

「ガラクティコ(銀河系軍団)」と呼ばれた黄金時代のレアル・マドリードで500試合以上に出場し、2011年にロシアのアンジ・マハチカラで引退。その後、ロシア、トルコ、カタールで監督をした後、2015年にインドのデリー・ディナモスでサッカー選手に戻った。このチームはプレーオフでジーコが率いるチームに敗れている。

 その後、彼が監督業に戻ることはなく、引退後はレアル・マドリード時代の遺産で生活している。2016年からレアルの仕事を始め、まずはチームのイメージアンバサダー、下部組織の監督を務める。現在の彼のレアルでの立ち位置はあまり明確でないが、唯一はっきりしているのはレアルTVのコメンテーター兼アナリストということだ。

 8年前にはブラジルのチームを持っていたが、ある代理人との駆け引きに敗れて裁判沙汰になった。



2002年W杯では華麗なプレーで日本のファンを魅了したロナウジーニphoto by Yamazoe Toshio

 現在、ロベルト・カルロスが頭を悩ましているのは家族の問題だ。

 彼がこれまで結婚した女性は2人だけだが、子供を作った女性はあまたいる。その国籍もさまざまだ。2020年には子供の数は10人になった。最初の妻との間に3人、2人目の妻との間に2人、養子1人。その他のブラジル人女性との間に2人、メキシコ人女性との間に1人、ハンガリー人女性との間に1人。よく「サッカーチームを作れるくらいの子供が欲しい」と冗談で言ったりするが、ロベルト・カルロスの場合は本当にあと少しだ。

 ちなみに、9人目の子供が生まれるのと同じタイミングで彼の娘が出産しており、彼はおじいちゃんでもある。

 ただ、その家族関係はあまりうまくいっていないのだ。2018年、彼はブラジルのラジオで、すべての子供と会うのが難しいと告白している。

「子供たちみんなと会えないのは残念だ。なぜなら子供たちの母のうちの何人かは、僕のことをよく思っていない。彼女たちが考えるのは金のことだけだ。僕は彼女たちにも愛情を感じているのに。リオにいる2人の子供の母は、電話をしてくるのは養育費のためだけだ。僕は子供たちすべてに父親としての愛を捧げたいが、それができない。彼女たちは僕のことを単なる金づるとしか思っていない」

 2017年、そのうちのひとりから養育費が十分に支払われていないと訴えられたこともあった。
 
 4月に48歳になったロベルト・カルロスは現在スペインに住んでいる。太ってしまう選手も多い中、今でもトレーニングは欠かさず、体型を保っている。つい先日は自身のSNSにランニングマシンで走る姿をアップ。かつてのチームメイト、ルイス・フィーゴやエジミウソン、パトリック・クライファートらがメッセージを送っていた

 リバウドは2002年のセレソンの背番号10。大会では5ゴールをマークし、決勝でも2ゴールに絡む活躍を見せた。1999年、バルセロナ時代にはバロンドールとFIFA最優秀選手にも選ばれている。バルセロナ、ミラン、そしてギリシャやブラジルのチームでプレーした後、古巣でもあるサンパウロ州のモジミリンに戻った。リバウドは2008年からこのチームのオーナーにもなっていた(引退後に売却)。

 2014年3月に自身のSNSで引退を発表。涙を流しながら「神と家族とこれまで自分を支えてくれた人、また24年間愛し続けてくれたサポーターにも感謝する」と言っていたのだが、1年後、モジミリンが3部に降格しそうなのを見かねて、チームを助けるために現役に復帰した。

 2015年7月14日、復帰2戦目となるマカエ戦で彼はある伝説を作る。実はモジミリンには彼の息子のリバウジーニョも所属しており、この試合で彼らは、プロとして親子で同じチーム、同じ試合でプレーしたのである。この試合でリバウドはゴールを決め、チームに勝利をもたらしている。

 そして2カ月プレーした後、8月には「右膝が思うように動かなくなった」と。本当に現役を退いた。この時、43歳だった。

 2019年にはモロッコの3部リーグのチーム、モハンメディアの監督になり、その後は相談役になっている。

 バルセロナとの縁は今でも切れてはおらず、レジェンドチームでプレーするほか、バルセロナ基金の南米におけるアンバサダーでもある。現在48歳の彼は、2度の結婚で5人の子供の父親でもある。現在はアメリカのフロリダ州オーランドに住み、朝と夕の2回、ランニングしている姿が見られるそうだ。

◆ミラン黄金期を築いたオランダトリオ。その後は3者3様も監督では大成せず

 さて、本来ならここでロナウジーニョも紹介すべきだが、彼についてはこれまですでに何度も触れているので、ここでは「その後」の様子だけご報告しよう。

 2019年3月、パラグアイで、偽のパスポート及び身分証明書を使用したことで兄と共に逮捕されたロナウジーニョは、4カ月近く拘束された後、8月に釈放され、ブラジルに帰国した。しかし、その後はまるで何もなかったかのように、自身をイメージしたワインを発売したり、音楽レーベルを作ったりとまた人生を楽しんでいた。

 しかし今年2月、彼を悲劇が襲う。母親を新型コロナウイルス感染による合併症で亡くしたのだ。ショックを受けたロナウジーニョは、今は親しい友人たちとも連絡を断ち、お城のような豪邸にこもり、朝から酒浸りの日々を過ごしている。彼の今後が心配である。

 その他の2002年W杯で活躍した選手についても、ひと言だけその現状をお伝えしよう。

 GKマルコス。現役引退後はサッカー界を離れ、飲食業界に参入。ビール醸造会社の共同経営者であり、シュラスコ(ブラジルの肉料理)用の肉のブランドも持っている。DFのルシオはグローボTVのコメンテーター。バルセロナなどでプレーしたエジミウソンはフットボールクラブSKAブラジルの会長。このチームは2年前、日本企業の投資によって助けられたことで知られる。

 アーセナルでも活躍したMFジウベルト・シウバは若いスポーツ選手のマネジメント会社を経営。ジュニーニョ・パウリスタは2019年7月にブラジルサッカー協会に入り、現在は代表チームのテクニカルコーディネーターの責任者である。サンパウロの郊外にビアホールを持ち、街の中心部で有名なピザレストラン「ピッツェリア・パウリスタ10」を経営している。