スーパーGT・Yogibo Drago CORSE監督芳賀美里インタビュー後編インタビュー前編はこちら>>今季からスーパーGTの監督として13年ぶりにモータースポーツ界に復帰した芳賀美里。レースクイーンを経て、かつて代表を務めたレーシングチ…

スーパーGT・Yogibo Drago CORSE監督
芳賀美里インタビュー後編

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今季からスーパーGTの監督として13年ぶりにモータースポーツ界に復帰した芳賀美里。レースクイーンを経て、かつて代表を務めたレーシングチームは2000年代半ばに世界最高峰のF1にもエントリーしたが、参戦はかなわなかった。それでも彼女は、当時果たせなかった夢を諦めているわけではない。40歳になり、今年レース界に復帰した理由や今後の目標について語った。



2021年からスーパーGTのチーム監督を務める芳賀 @Sho Tamura

ーー代表を務めたチーム「ディレクシブ」が2006年にモータースポーツ活動から撤退した翌年、すぐに「楽天BOMEX」監督としてスーパーGTに復帰しました。

芳賀美里(以下、芳賀) 悔しい気持ちがあったのでレースをしたかったものの、自分が監督になることで、シーズン途中で撤退したチームのネガティブなイメージを引きずってチームに迷惑をかけるとも思って、なかなか踏ん切りがつきませんでした。それでも、「気にしないでチャレンジしたほうがいいよ」と言ってくれる方がいて、07年にひとりでレースの世界に戻りました。

ーーそして、08年にはGT300クラスの「MOLA」のチーム監督を務め、見事チャンピオンに輝いています。

芳賀 自分の中でもやり残したことがあると思ってレースに復帰しましたが、ここでタイトルを獲得して一区切りをつけることを決めました。

ーーその後、08年シーズンを最後にモータースポーツから離れ、美容の世界へ転身。本も出版されています。美容業界へ進んだきっかけは?

芳賀 08年に監督を務めたチームでタイトル獲得後、美容の世界へ行くまでは少し空白期間がありました。当時20代の私にはモータースポーツしかなかったので、何をしようかなとずっと考えていました。

 頭に浮かんだのが、美容でした。もともと美容が好きで興味はあったので、突き詰めようと思って。韓国に3年くらい住んで、現地で美容関係の会社をつくって仕事をしていました。

ーーレース界を離れた後も、いつかはサーキットに戻りたいという気持ちがあったのですか?

芳賀 ずっと心の中にはあったのですが、私は何か目標を決めて、そこに向かって全力で突き進んでいないと、道がわからなくなってしまう性格です。だから中途半端な気持ちで戻りたくなかった。これまでもいくつかお話はありましたが、やるならしっかりとしたパッケージで、勝てる体制でやりたいとの気持ちがあって、レースはずっと(映像などで)見ていましたが、サーキットに足を運ぶのは避けていました。

ーー今年、13年ぶりに復帰を決めたのは、やっぱり昔のチャレンジが不完全燃焼に終わった部分が大きいですか?

芳賀 もうそれしかないです。今は勝ちたいという思いと、いろんなことをリベンジしたいという気持ちですね。



強い決意を持ってモータースポーツ界に復帰した芳賀

ーー4月のスーパーGT開幕戦・岡山ラウンドは13年ぶりの実戦でした。やはり気持ちが高ぶりましたか? 

芳賀 本当に久しぶりで楽しかったのですが、岡山は06年にスーパーGTで優勝した思い出のあるサーキットなので、スタート前のグリッドでは一気にいろいろなことがフラッシュバックして、グッと込み上げるものがありました。「あぁ、ついに戻ってきたな」という気持ちでした。

ーーレースの世界に戻ってくることになった経緯を教えてください。

芳賀 少し前にビーズソファーの「Yogibo(ヨギボー)」を展開するウェブシャーク社と出会い、私はマーケティングやスポンサーに関わる仕事をしていました。(ヨギボーが現在スポンサーを務める)格闘技イベント「RIZIN(ライジン)」におつなぎする業務にも関わりました。それで、Yogiboをさらに新しい業界にも広められないかとの話の中から、スーパーGTに会社として挑戦することが決まりました。

ーーYogiboは3カ年計画でシリーズチャンピオンを獲得する目標を掲げています。具体的なプランはありますか?

芳賀 今回、道上(龍)選手のチームDRAGO CORSE(ドラゴ・コルセ)とジョイントする形での参戦となりました。将来的にはエントラント(参加)の権利を取って、自分たちのチームで参戦することを考えています。先ほど「中途半端ではない形でやりたい」と話しましたが、自分たちでしっかりとマシンやドライバーを選んで、シリーズチャンピオンを獲りたいと思っています。

ーー今回、過去の悔しい思いが、現在の芳賀さんの原動力になっていることがよくわかりました。

芳賀 私の実家は岩手県で、11年の東日本大震災の時にディレクシブ時代の写真やパソコンに残していたデータなどがすべて、津波で流されてしまいました。唯一残っていたのは、06年のスーパーGT・岡山で優勝した際のトロフィーだけです。

 その優勝トロフィーは今でも実家に飾ってありますが、自分にとっての希望ですね。トロフィーを見ると、もう一度、頑張ってみようという気持ちになるんです。レースを離れていた13年間に何度も人生に迷うことがありました。東日本大震災や今回のコロナ禍もそうですが、自分自身を見失い、どうやって生きていけばいいかと考えた時に、レースの世界で頑張ってきたことや勝った際の感動がよみがえってきて、私に勇気を与えてくれました。

 レースを離れて他の世界へ行き、何をしていても、どうしてもモータースポーツに引っ張られてしまう自分がいました。だから、もう一度、モータースポーツに全力でチャレンジし、やれるところまでやらないと終われない。この13年の間にエネルギーが溜まっています。

【プロフィール】 
芳賀美里 はが・みさと 
1979年、岩手県生まれ。10代から芸能活動をスタートし、レースクイーンとしても活躍。23歳で起業したのち、ディレクシブの代表兼監督を務め、スーパーGTをはじめ国内外のさまざまなカテゴリーに参戦。チームはF1へのエントリーも行ない注目を集めたが、チームは06年にモータースポーツ活動を全面撤退。翌07年からレース監督として復帰。08年のチャンピオン獲得後、一時レース界を離れる。美容業界に進み、ビューティースキンコンサルタントとして活動。21年シーズンから13年ぶりにモータースポーツ界に復帰し、スーパーGTのYogibo Drago CORSE監督を務める。