現在、世界最高の監督と言っていいだろう。 ジョゼップ・グアルディオラ監督の率いるマンチェスター・シティが、チャンピオン…

 現在、世界最高の監督と言っていいだろう。

 ジョゼップ・グアルディオラ監督の率いるマンチェスター・シティが、チャンピオンズリーグ決勝を戦う。グアルディオラ監督にとっては、バルセロナで優勝した2010-11シーズン以来、10年ぶりのファイナルになる。

 その圧倒的強さと美しさを備えたバルサをつくり上げたため、「賢者」とも称される名将。だが、実像はそのイメージだけに集約されるものではない。

■ペップを磨き上げたバルサ以外での時間

 バルセロナでの栄光は輝かしいものだった。しかしグアルディオラは「結果至上主義者」とさえ言えるほどの側面も持つ。彼ほど、結果にこだわる指揮官はいない。プロの監督である以上、勝利を得られなければクビを切られるからだ。ビッグクラブやメガクラブであるほど、その傾向は強くなる。その点に非常に自覚的であるのが、グアルディオラという監督だ。

 ゆえに、時として守備的な戦いを厭わない。そこには、バルセロナでの日々よりも、他の場所での経験が大きく影響している。そう、グアルディオラという監督を紐解く時、選手時代を無視することはできない。

 バルセロナでは、6度のリーガ制覇に貢献した。当時、クラブ史上最多リーガ優勝経験選手となった。その後、グアルディオラはバルセロナを退団している。

■イタリアでの冷遇とドーピング疑惑

 新天地はイタリアのブレシアだった。ロベルト・バッジョとのプレーを熱望しての移籍だった。2001年10月14日にデビューを果たし、2002年3月30日にはセリエA初得点を記録している。

 だが、初めての国外挑戦には困難も待ち受けていた。ブレシアから移籍したローマでは、ファビオ・カペッロ監督に冷遇された。「偉大なプロフェッショナルだ」とグアルディオラを称賛していたカペッロ監督だが、「選手として、人間として彼をリスペクトしている。しかしながら彼に与えられるような余白がない」とチーム状況からグアルディオラを積極的に起用することはなかった。 

「フットボールの観点から言えば、僕も、ローマも、あそこでのプレーを望んでいなかった」とグアルディオラは、のちにローマにおける日々を振り返っている。ローマ退団とともにブレシアへの復帰を決め、ロベルト・バッジョと再会し、若きアンドレア・ピルロとともにプレーした。

 イタリアでの日々は順風満帆とは言えず、ドーピング疑惑もかけられた。最終的には2009年9月にイタリア・オリンピック委員会がグアルディオラの無罪を発表して、身の潔白は証明されたものの、イタリアでのピッチ内外の経験が彼を、より「リアリスト」にしていったことは間違いない。

■現役ラストを締めたメキシコでの学び

 イタリアを去ったグアルディオラが、次に向かったのはカタールだった。今でこそ、カタールやアメリカ、日本、中国といったリーグをキャリア終盤に選ぶ選手は少なくないが、当時としては先鋭的な考え方だった。

 カタールで2年プレーした後、グアルディオラはスペインに戻り指導者養成スクールに通い始める。監督を目指して、本格的に動いていた。しかし、そこでの新たな「出会い」がグアルディオラの人生に影響を及ぼす。その時の講師の一人だったフアンマ・リージョから、メキシコに来ないかと誘いを受けたのだ。

  結果的にメキシコのドラードス・デ・シナオラが、グアルディオラの選手としての最後のクラブになった。すでに、グアルディオラの”思考”は監督モードに切り替わりつつあった。「リージョがいたから、メキシコに行った。リージョの練習の方法論に興味があったんだ。どうやってディフェンスのトレーニングをするのか、選手たちのプレータイムのマネジメントはどうしているか…。リージョから学んだことは大きかった」と、グアルディオラがのちに明かしている。

  各国のリーグ戦でプレーして、知見を深めた。ポゼッションだけでは勝てない。それがグアルディオラのたどり着いた結論だった。

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