現代の野球界ではすっかり希少になってしまったスイッチヒッター。かつてスイッチヒッター百花繚乱の時代にまばゆい光を放った…

 現代の野球界ではすっかり希少になってしまったスイッチヒッター。かつてスイッチヒッター百花繚乱の時代にまばゆい光を放ったのが、高橋慶彦(元広島ほか)だ。日本人スイッチヒッターとして初めて打率3割に到達し、通算1826安打、477盗塁を記録。1979年には今も破られていない33試合連続安打の金字塔を打ち立てた。色気のあるプレーで多くの野球ファンを魅了してきた高橋に、「歴代スイッチヒッターベスト5」を選んでもらった。



スイッチヒッターとして活躍した松井稼頭央(左)、デストラーデ(右)

5位 オレステス・デストラーデ(実働期間:1987〜95年/元西武ほか)

 オーレ(デストラーデの愛称)のパワーはすごかったね。外国人選手のスイッチヒッターといえば、オレとチームメートだったシェーン(リッチー・シェインブラム/元広島ほか)が思い浮かぶけど、オーレはホームラン王を3回、打点王2回を獲った実績もある。性格も明るかったし、外国人スイッチヒッターのなかで特に印象深いです。

 日本と外国ではスイッチヒッターに対する考え方が違います。日本は足の速い選手が両打になるケースがほとんどだけど、外国人は長打力のある選手でもスイッチヒッターになる。MLBで通算536本塁打を打ったミッキー・マントル(元ヤンキース)なんてまさにそうですよね。オーレもホームランを打てるスイッチヒッターでした。

4位 柴田勲(実働期間:1962〜81年/元巨人)

 スイッチヒッターとして初めて2000本安打を達成した先駆者、柴田さんを入れないわけにはいかないでしょう。実はオレがスイッチヒッターになったきっかけも、柴田さんでした。

 19歳の時、当時の古葉竹識監督から「スイッチヒッターになるか?」と言われたんです。右打者のままでもレギュラーだったと思うんだけど、なんでスイッチにしたのか古葉さんに聞いてみたことがあった。古葉さんは「巨人戦で柴田が左打席で内野安打を打つのを見て、いいなぁと思ったんだ」って言っていましたよ。まあ、実験台ですよ(笑)。

3位 高橋慶彦(実働期間:1976〜92年/元広島ほか)

 すみません、オレです(笑)。日本人で初めて3割を打ったスイッチヒッターということで、ご容赦ください。オレがスイッチヒッターになった後、次々にスイッチ転向する打者が出てきましたよね。古葉さんも山崎隆造や正田耕三(ともに元広島)がスイッチになったのは、オレが成功したからだと言っていました。

 オレは野球を始めた9歳から19歳まで、左打席でバットを振ったことは1回もなかった。「転向するのは大変だったでしょう?」とよく聞かれるけど、オレは「誰でもできる」と答えるんです。

 人間の能力はただ開発されていないだけで、誰しもすごい力が眠っています。オレは左打席をマスターするために、とにかく数をこなしました。右打席で振ってきた10年分の量を1年で振ってやろうとね。そうやって振っているうちに、「右の時は筋肉をこう動かしているから、左の時はこうか......」とピタッと感覚がつながる瞬間がくる。

 オレは左手で箸を持ったことがなかったけど、スイッチヒッター転向後は、訓練せずとも左手でも使えるようになりましたからね。人間はそれだけの能力をもともと持っているということ。その能力を開発するには、数をこなすしかないと思う。

 サッカー選手にも利き足はあるけど、「左足では蹴れません」なんて選手はいないじゃないですか。必要に迫られて訓練すれば、誰だって使えるようになる。スイッチヒッターも一緒ですよ。

2位 松井稼頭央(実働期間:1995〜2018年/元西武ほか)

 本当はオレを1位にしたかったのだけど、そういうわけにはいかない(笑)。総合的なバランスを考えたら松井稼頭央のほうが上だと思います。

 稼頭央はショートという難しいポジションをうまくこなしながら、トリプルスリーを達成してMLBまで行ってしまった。あの強肩をもってしてもMLBで苦労したのだから、日本人内野手がアメリカで成功するのは難しいな、と思ってしまいますよ。

 稼頭央のバランスのよさは、スイッチヒッターになった影響もあるんじゃないかと感じます。スイッチに転向すると、右脳と左脳がつながる感覚があって、視野が広がるんです。

 ショートを守っていても、打者が打った瞬間「外野の位置がここで、ランナーの足の速さはこうで、点差はいくつで、風の向き、地面の状態......」と0コンマ数秒でパッと浮かんでくる。ヘッドアップディスプレイに瞬時にさまざまな情報が映し出される、あの感じかな。

 おそらく稼頭央も同じような感覚を持っていたんじゃないかと思うんですよ。

1位 松永浩美(実働期間:1981〜97年/元オリックスほか)

 松永がナンバーワンやろうなぁ。サードの守備はうまかったし、右でも左でも長打が打てて、打率も残せる。盗塁ができるだけの足まである。すべてにおいて偏りがなく、バランス的にナンバーワンだろうな。

 監督からしたら、使い勝手のよさは群を抜いていただろうね。相手が右投手だろうと左投手だろうと関係なく、代走や守備固めも必要ないのだから。日本シリーズやオールスターで顔を合わせる機会があったけど、松永が出てくると怖かったもの。

 今回は企画の性質上、5人に絞らせてもらったけど、つらい作業だったなぁ(笑)。だって本当なら、松永と稼頭央以外はほぼ横一線という感覚だったから。正田耕三、西村徳文(元ロッテ)、松本匡史さん(元巨人)、金城龍彦(元横浜ほか)、教え子だった西岡剛(栃木ゴールデンブレーブス)......。すばらしい選手ばかりですよね。

 正田なんて日本人スイッチヒッターで初めて首位打者を獲っていて、しかも2年連続なんだから。もっとも、若い時はオレが正田に飛び蹴りしたこともあったけど(笑)。まあ、若いころはお互いに尖っていたから。今は普通の関係だし、この間も電話で話しましたよ。

 今のプロ野球界は、スイッチヒッターがすっかり少なくなってしまいました。原因ははっきりしている。足の速い選手は子どものころから左打ちに変えてしまっているからでしょう。

 野球は左打者が有利になるようにできています。左打席のほうが一塁ベースまでの距離が近いし、右投手のほうが圧倒的に多いのだから。それに、本当にいい左打者は「左対左」なんて苦にしないものです。大谷翔平(エンゼルス)しかり、柳田悠岐(ソフトバンク)しかり。

 とはいえ、日本人のなかにもホームラン王を獲るようなスケールの大きなスイッチヒッターが現れてほしいですね。スイッチヒッターのひとりとして、楽しみにしています!

【Profile】
高橋慶彦(たかはし・よしひこ)
1957年、北海道生まれ。74年ドラフト3位で広島東洋カープに入団し、78年からレギュラーとして定着。赤ヘル黄金時代の「1番ショート」として活躍し、89年までカープでプレー。90年にロッテ、91年に阪神に移籍し、92年に現役を引退。ダイエー、ロッテでコーチを務め、多くの選手を育て上げた。現在は指導者、解説者として活躍しながら、YouTubeでの活動も展開中。