世界のラグビー史に輝く伝説的スクラムハーフだったユースト・ファンデルヴェストハイゼンさんが亡くなった。誇り高き、南アフリカの英雄。2011年に全身の運動神経が侵される原因不明の神経難病「運動ニューロン病」と診断され、長く闘病していたが、2月6日に天国へと旅立った。2日前に病院へ緊急搬送され、危篤状態であることを彼の財団が明らかにし、多くの国民やファン、ラグビー仲間などが回復を祈っていたが、45歳の若さで帰らぬ人となった。

 1993年から2003年にかけて南アフリカ代表(スプリングボックス)として89キャップを重ね、ワールドカップには3大会出場。自国で初開催された1995年の歴史的なワールドカップでは9番をつけ、多種多様な人々が手を取り合ったレインボーネーションに歓喜をもたらした。1999年大会ではキャプテンを務めた。身長188センチ、体重90キロ前後の大型スクラムハーフだったファンデルヴェストハイゼンさんは、スプリングボックスの頭脳であり、果敢なタックラーであり、鋭い目でスペースを見つけサイド突破を図る優れたアタッカーでもあった。テストマッチ通算38トライは、2011年にWTBブライアン・ハバナに抜かれるまで南ア代表史上最多トライ記録だった。
 また、出身地のプレトリアを本拠地とするブルーブルズ(ブルズ)でも活躍し、ライトブルーのジャージー姿も美しいスターだった。
 2015年にはワールドラグビーの殿堂入りを果たしている。

 筋肉の萎縮と筋力低下で体は自由に動かなくなり、言葉を発することや飲食も困難となって、治癒することも難しい疾患と診断されたとき「余命3年」と宣告された。しかし、勇敢なスプリングボックスの9番は、「私はこの困難に立ち向かう。たとえそれが、私にできる最後のことだとしても」と地元メディアに語り、財団を設立して運動ニューロン疾患の認知度拡大に尽力するなど、国内外で精力的に活動していた。

 南アラグビー協会のマーク・アレグザンダー会長は、「ユーストは、彼の世代だけでなく、史上最も偉大なスプリングボックスのひとりとして記憶されるだろう。彼は恐ろしい病気と闘い、多くの患者仲間を勇気づけた。私たちはみな、彼の勇敢さ、不屈の精神、辛抱強さに驚嘆した。南アフリカと世界中のラグビー界にとって悲しい日となった。しかし、彼の記憶は決して死なない」とコメントし、哀悼の意を捧げた。