「THE ANSWER スペシャリスト論」女子マラソン・野口みずきさん「THE ANSWER」は各スポーツ界を代表するアスリート、指導者らを「スペシャリスト」とし、第一線を知る立場だからこその視点で様々なスポーツ界の話題を語る連載「THE …

「THE ANSWER スペシャリスト論」女子マラソン・野口みずきさん

「THE ANSWER」は各スポーツ界を代表するアスリート、指導者らを「スペシャリスト」とし、第一線を知る立場だからこその視点で様々なスポーツ界の話題を語る連載「THE ANSWER スペシャリスト論」をスタート。2004年アテネ五輪女子マラソン金メダリストの野口みずきさんが「THE ANSWER」スペシャリストの一人を務め、陸上界の話題を定期連載で発信する。

 今回は「脱・スポ根の今と未来」。過度に追い込むスパルタ指導が減り、何よりも子どもに怪我をさせない風潮のある現代のスポーツ指導。この流れは日本のスポーツ界の未来にどんな影響をもたらすのか。後編は「脱・スポ根≠甘やかす」。東京五輪が迫る中、「走った距離は裏切らない」をモットーにした野口さんは「量より質」と断言し、指導者と選手の立場が逆転した今のスポーツ指導に言及。競技力と精神面の成長に必要なことを語った。(文=THE ANSWER編集部・浜田 洋平)

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 スポーツ指導において、厳しさはどの程度必要なのか。根性論で過度に追い込む指導が少なくなった昨今。スポーツの語源である「気晴らし」を重視する風潮が部活動にも増えてきた。ただ、時には厳しさも求められる。競技力の面でも、人間的教育の面でも、厳しさの“良いあんばい”が難しい。

 中学、高校年代の競技力向上には「量より質」と野口さんは断言する。

「その年代で量を走るとパンクしてしまう。選手の方向性にもよりますが、もし将来的に競技を続けたいのであれば、成長期は距離を踏ませない方がいいと私は思います。私の中学、高校時代の恩師は、巣立ってから活躍してほしいという気持ちの人が多かった。距離は踏ませず、質を上げていくにはどうしたらいいのかという考え。『やらせすぎない』という感覚です」

 自身は女子選手との練習が物足りなくなり、高2の終わり頃から男子選手と一緒に練習。実力に合わせて設定ペースを上げ、質を意識した。「一歩ずつレベルアップしていけた。流れにうまく乗れたのも指導者の導き、見極めが良かったから。あの時に思いきり量を走っていたら、実業団でどうなっていたかわからない」。実業団入り後も競技力に合わせた練習を行い、少しずつ強度を高めた。

 現役時代は「走った距離は裏切らない」「足が壊れても走りたい」をモットーに掲げた。アテネ五輪金メダル、日本記録更新で脚光を浴びたフレーズだが、とにかく量をこなせばいいという意味ではない。

 前編では、女子選手への厳しい体重管理で起きる“弊害”などについて語ってくれた。競技力と健康を両立させるには、適度な厳しさに加え、適度な量の食事を取る大切さを解説。だが、指導者の厳しすぎる管理を良しとしない一方、精神面の成長においては「脱・スポ根」の流れに疑問を呈する。

 今もなお破られていない女子マラソン日本記録保持者。「私は昔の考え方もある程度はあった方がいいと思います」と言葉に力を込め、今のスポーツ界に対する私見を述べてくれた。

「最近は(選手と指導者の立場が)逆転していますよね。選手の言動、行動を見ていると『何でも言えるんだ』というように見えます。今は何を考えているのかわからない選手もいる。自分が強くなるために指導者に期待して、泥臭いことをやるために入ってきたはずなのに、入ってきたらわがままだったり。指導者の立場が小さくなり、結果的に大学や高校の先生が過保護になっているような姿も見受けられます」

自分で悩み、考えることが大切「一般企業でもそうですよね」

 スパルタ指導が減り、スポーツの現場に「厳しさ」の要素が薄まってきた反面、精神面で大人になりきれない現代っ子に懸念を抱く。野口さんは例を挙げて説明した。

「例えば実業団に入ったのに、自分が思っていた指導者じゃなかったから辞めるとか。他のチームに移る時、自分で次のチームに声をかけるのではなく、先生にまず相談する。卒業して先生の手から離れたのにまだ頼っている。私は『それは弱いなぁ』と思います。ずっとすがりつくのはどうなんだろう、先生も手を差し伸べてあげるのはどうなんだろうって。

 手を差し伸べて選択肢が増えることはいいことですが、甘やかしているだけだと感じます。どれだけでもいいから悩んで、悩んで、自分で考えるべきです。それを誰かにやってもらってラッキーだと思うのは、中身がない気がします。それだと、またすぐに辞めちゃうんじゃないかな。指導者は、ぐっと堪えて厳しくする方が選手にとってはいいのかなと思います」

 自身は高校卒業後に強豪・ワコールに入社したが、「自分で悩んで、自分で考えた」と1年半で退社。4か月間、ハローワークに通って雇用保険の求職者給付を受けながら競技を続けた。至れり尽くせりだった実業団の寮生活から、食事、洗濯など全てを自分でこなす生活に。厳しい環境の中でも「自分で考える」を大切にしてきた。

「プロ意識が芽生えて、体重コントロール、栄養のこともしっかり考えるようになりました。お金をいただいて自分の好きな競技をやらせてもらえる。だからこそ、しっかり自分の体と向き合う必要があります。『(体重は)数字だけじゃない』と、意識を変えてからビックリするくらい自己記録を塗り替えることができました。

 監督や名アスリートなど凄い人に言われたからやるのではなく、自分で理解した上でアスリートとしての知識を得ないといけない。もっともなことを人に言われても、すぐに忘れてしまう。それよりも自分で理解し、意識を持ってやる方がいい。憧れの人の話も大事ですが、それ以外の分野にも目を向けて、陸上と関係ないスポーツでも結びつけるように自分で考えることが大切です。

 おそらく一般企業でもそうですよね。雑用ばかりで言われたことしかできないのではなく、何を言われてもいいから自分の発想で思いついたことを上司に投げかけていく。それが自分の力をどんどんプラスにしていくと思います」

「脱・スポ根」と「甘やかす」は違う。決してスパルタが正しいと言っているわけではない。もちろん、適切な厳しさを持って接する指導者はたくさんいる。

 ただ、アテネ五輪で金メダルを手にしたランナーは今、未来を危惧している。「昔の考えが全ていい、今の考えが全ていいとは思わないです。半々の考えがあっていい。今は凄くハングリーな、気持ちの強い子が少なくなってきたと思いますね」。昔と今、良きものを未来に繋いでいく必要がある。

■野口みずき/THE ANSWERスペシャリスト

 1978年7月3日生まれ、三重・伊勢市出身。中学から陸上を始め、三重・宇治山田商高卒業後にワコールに入社。2年目の98年10月から無所属になるも、99年2月以降はグローバリー、シスメックスに在籍。2001年世界選手権で1万メートル13位。初マラソンとなった02年名古屋国際女子マラソンで優勝。03年世界選手権で銀メダル、04年アテネ五輪で金メダルを獲得。05年ベルリンマラソンでは、2時間19分12秒の日本記録で優勝。08年北京五輪は直前に左太ももを痛めて出場辞退。16年4月に現役引退を表明し、同7月に一般男性との結婚を発表。19年1月から岩谷産業陸上競技部アドバイザーを務める。(THE ANSWER編集部・浜田 洋平 / Yohei Hamada)