織田記念Vの山縣亮太、苦しい時でも考え続けた 東京五輪まで約3か月となった中、陸上・織田記念国際が29日にエディオンスタジアム広島で行われ、男子100メートル決勝では山縣亮太(セイコー)が10秒14(追い風0.1メートル)で優勝した。最大3…

織田記念Vの山縣亮太、苦しい時でも考え続けた

 東京五輪まで約3か月となった中、陸上・織田記念国際が29日にエディオンスタジアム広島で行われ、男子100メートル決勝では山縣亮太(セイコー)が10秒14(追い風0.1メートル)で優勝した。最大3枠の五輪切符を争う6月の日本選手権(大阪)へ弾みをつける復活V。過去2年は怪我や不調に苦しんだが、乗り越えた道のりには“考える力”があった。(文=THE ANSWER編集部・浜田 洋平)

 長いトンネルをぶっちぎった。全体トップで進んだ決勝。山縣は序盤から先頭に立ち、レースを引っ張った。桐生祥秀、多田修平を突き放す。後半に猛追してきた小池祐貴からも逃げ切った。予選からキレのある走りで復活V。地元・広島で“らしさ”を取り戻した。「自分が思っている結果に近いものだったのでよかった。安心しています」。レース後の会見では「安心」の言葉を繰り返した。

 過去2年間は苦しんだ。2019年は腰を痛め、同6月に肺気胸を発症。日本選手権、秋の世界陸上に出られず、同11月には右足首靱帯も断裂した。保存療法を選択し、冬にはトータル約5か月の米国合宿も敢行。常に上を見たが、20年も右膝蓋腱炎を抱え、10月の日本選手権でスタートラインに立つことはできなかった。

 トンネルの中にいても、考えることはやめなかった。広島の名門進学校、修道中・高を経て慶大に進学した異色ランナー。学業で得た“学び”を無駄にせず、PDCAサイクルを突き詰める力を陸上の競技力向上にも生かしてきた。「怪我や不調もあるけど、とにかく原因を徹底的に考え尽くすところがまず一つ」。この2年もスタイルは変わらない。体を思う存分使えないかわりに頭を動かした。

 今の自分に何ができるのか。「怪我の怖さは普段の練習からないわけではない」と不安は消えない。そんな状況でも理想を掲げ、足りないものをあぶり出し、できることからやり尽くす。ペンを握って机に向かったように、コツコツと走ることに向き合った。フォームの微修正を繰り返し、加齢で変化していく体に対応しながら爆発力も保持。「ただ、自分だけではうまくいかないので、チームや周りのサポートがあって初めてそれができる」と周囲への感謝も忘れない。

帰ってきた日本のスペシャリスト「いろいろな経験で考える幅ができた」

 桐生らとともに長く短距離を引っ張ってきた28歳のスプリンターは、自らの成長を感じている。

「(慶大2年でロンドン五輪に出場した)2012年頃はとにかく一生懸命にやる感じだった。まだ経験がなくて、わからないことだらけの中でがむしゃらにやっていた。最近は怪我もあっていろいろな経験があるので、自分で考えられる幅ができたと思うし、考える内容、走る内容も変わってきた」

 考える力があれば、積み重ねる経験の厚みも変わる。

 9秒97の日本記録保持者サニブラウン・ハキーム、ケンブリッジ飛鳥(ナイキ)は不在となったが、五輪イヤーのシーズンが本格化する中で好タイム。東京五輪の参加標準記録10秒05を突破しているのはサニブラウン、桐生、小池のみ。山縣はひとまず復活のレースに安心しながらも「まだまだタイムを切ったわけではない」と背筋を伸ばす。

「スタートからレースを引っ張っていけるようなスタイルが強み。それができたのはよかった。ただ、決勝でスタートから出て、途中でもたついた。もっともっとスタートに磨きをかけて、そこからいい流れで中盤もいいレースができれば記録も出ると思います。決勝の走りも100点かと言われるとそうではない中でこういう記録が出た。これからもっと体も仕上がってくるし、(参加標準記録は)十分射程圏内に入っている」

 リオ五輪400メートルリレーでは、第1走者で抜群のロケットスタートを決め、銀メダル獲得の快挙に貢献した。大一番の日本選手権まで約2か月。帰ってきた日本のスペシャリストが大きな存在感を発揮している。(THE ANSWER編集部・浜田 洋平 / Yohei Hamada)