「オープン球話」連載第63回 第62回を読む>>【第一印象は、「意外と太ってるな(笑)」】――ここまで、ヤクルトスワロー…

「オープン球話」連載第63回 第62回を読む>>
【第一印象は、「意外と太ってるな(笑)」】
――ここまで、ヤクルトスワローズ時代の先輩である若松勉さん、松岡弘さんについて伺ってきました。今回からは、同じく「花の昭和22年組」の大矢明彦さんについてお話を聞いていこうと思います。八重樫さんのほうが4歳年下ですが、大矢さんとは「プロ同期」に当たりますね。
八重樫 そうなんです。僕も大矢さんも1969(昭和44)年のドラフト同期ですね。僕は高校から、大矢さんは駒澤大学からプロ入りしました。

観客の声援に応える投手の松岡弘(右)と捕手の大矢明彦(左)
――奥ゆかしい八重樫さんなので、僕が代わりに言いますが、八重樫さんはドラフト1位、大矢さんは7位入団でした。大矢さんとの最初の出会いはいつになりますか?
八重樫 たぶん、1970年1月の新人合同自主トレだったんじゃないかな? あの頃は、1月10日過ぎには合同自主トレが始まっていたから、13日くらいに神宮第一球場で会ったのが最初だった気がします。僕も大矢さんも、詰襟の学生服姿で、そこからトレーニングウェアに着替えてね。
――第一印象は覚えていますか?
八重樫 「あんまり背が高くないな」ということと、「意外と太ってるな」って感じたことは覚えています(笑)。そのあと、キャンプ、オープン戦の頃にはだんだん絞れてきたけど、最初の印象は「太ってるな」だったんですよ。
――ドラフト同期だけど同じポジションだし、大矢さんは大卒で年齢も上だし、ということで、ライバル意識はあったんですか?
八重樫 全然、そんな思いはなかったですよ。「ドラ1だから自分のほうが上だ」とか、「絶対に負けないぞ」という意識もないし、大矢さんのほうが年齢が上なので、普通に「先輩」として接していました。入団当初は「1年ずつ力をつけて、何年後かにレギュラーを掴もう」と考えていましたから、その時点で「大矢さんに負けない」という意識はなかったです。
【入団当時は、すべてにおいて大矢さんが上だった】
――ユニフォームを着て、本格的な実戦プレーを目の当たりにするのは1年目のキャンプになるわけですね。
八重樫 そうですね。でも、大矢さんはいきなり一軍中心のAグループで、僕はファーム選手中心のCグループだったんですよ。入団直後から、「大矢は一軍、八重樫は二軍」という感じだったんだと思います。だから、ブルペンで何回か会うぐらいで、ほとんど一緒に練習をすることはありませんでした。あとは、陸上競技場でのランニング練習で一緒になるぐらいでしたね。
――ドラフトの順位は7位ではあるけれど、大矢さんは「大卒即戦力捕手」で、ドラ1の八重樫さんは「じっくり育てる将来の大器」みたいな感じだったんですか?
八重樫 チームとしては、そう考えていたんだと思います。実際にキャッチング、スローイングに関しては、「高校出の自分とはレベルが違うな」と感じました。でも、くり返しになるけど、焦りや悔しさはなかったんですよ。正直に言えば、「1年目からすぐに試合に出たい」という思いはなかったから。
――大矢さんはプロ1年目に93試合、2年目の1971年から1975年までは毎年120試合以上に出場。さすがにその頃には焦りも芽生えていたんじゃないですか?
八重樫 いや、その頃も焦りはなかったんだよね。僕は入団直後からショートを守らされたり、外野をやらされたりしていたから、「どうしてもキャッチャーで試合に出たい」という思いは薄かったんですよ。でも、数年後に肉離れを起こしてからは捕手一本に絞って、そこからは常にテレビ中継で大矢さんの配球を勉強していました。その頃には、「大矢さんに早く追いつきたい」という思いが芽生えていましたね。
――大矢さんのリードの特徴は?
八重樫 キャッチャーには「ピッチャー主体」「バッター主体」の2パターンがあるんですが、大矢さんはどちらも使い分けていましたね。
――つまり、投手の長所を生かした「ピッチャー主体」のリードと、打者の弱点や、狙い球ではないボールで攻める「バッター主体」のリードということですね。
八重樫 そうですね。印象的なのは「バッター主体」の時のリードで、インコースの使い方がすごく上手なんです。バッターの足の踏み込み方を見ながら、「ここは外狙いだな」という時に、インコースにズバッと決めるから見逃し三振が多かった。「このカウントでまさかインコースを攻めるのか!」と、ベンチで見ていて僕もよく驚かされました。
【相手の裏をかく、冷静な観察力】
――大矢さんと八重樫さんのリードの違いはあるんですか?
八重樫 僕は安田猛さんと組む機会が多かったんだけど、僕とバッテリーを組む時はゴロアウトやフライアウトばかりだった。でも、たまに安田さんと大矢さんが組む時には三振が多かったんです。僕の場合は安田さんの希望もあって、三振を取るより、どんどん相手に振らせて凡打を築いていくようにしていました。だから、相手打者の裏をかくリードよりは、狙い球から少し外したボールで打ち取るようにしていましたね。
――同じ投手なのに、キャッチャーによって結果が異なるというのは面白いですね。
八重樫 大矢さんの配球は、僕よりもひとつ上のレベルの配球だったと思いますね。打者の裏をかくというのは難しいので、なかなか見逃し三振は取れないですから。
――大矢さんはどんな性格の方なんですか?
八重樫 現在の評論家としての大矢さんを見ていると、落ち着いたしゃべり方で、温厚な印象を受けるじゃないですか。ところが、現役時代の大矢さんは本当に気持ちの強い人で、意外と短気でしたよ。
――僕も、何度かインタビューをしましたが、とても穏やかで取材者に気を遣った丁寧な受け答えをしてくださる方でした。現役時代はまったく違ったんですか?
八重樫 全然違いましたね。怒ったら大変でしたから。若手投手に対しては「なんで、ここに放れないんだ!」と、かなり強い口調で叱責することもありました。ある若手から話を聞いた時には、「大矢さんの時には絶対にサインに首を振れないけど、八重樫さんの時は首を振れます」って笑っていたな(笑)。
――若手投手にとっては、八重樫さんのほうが投げやすかったんですね。
八重樫 サインを出しても何度も首を振るということは、「どうしてもこのボールを投げたい」というピッチャーの強い意志があるわけだから、一応、僕はそちらを優先しました。だけど、大矢さんの場合は「絶対にこのケースはこのボールだ」という強い確信があったんだと思いますよ。
――大矢さんと八重樫さんのキャッチャーとしてのタイプの違いが面白いですね。ぜひ、次回も大矢さんの思い出話をお願いします。
八重樫 了解しました。古田敦也と谷繁元信の違いを交えつつ、そのあたりも次回にお話ししましょうか。
(第64回につづく)