「浅田真央サンクスツアー」の千秋楽でリンクに立った浅田真央 2017年4月に現役を引退した浅田真央さんが、2018年5月に自らプロデュースして立ち上げた「浅田真央サンクスツアー」が、4月27日の公演でラストを迎えた。 千秋楽公演の合い言葉は…



「浅田真央サンクスツアー」の千秋楽でリンクに立った浅田真央

 2017年4月に現役を引退した浅田真央さんが、2018年5月に自らプロデュースして立ち上げた「浅田真央サンクスツアー」が、4月27日の公演でラストを迎えた。

 千秋楽公演の合い言葉は「みんなで最後まで全力でやり切ること」。その言葉どおり、これまで真央さんが滑ってきたプログラムをメドレーでつなぎ、代表的な『スマイル』『踊るリッツの夜』『蝶々夫人』など18のナンバーを次々とリンクで展開。舞台裏で繰り広げられた真央さんと9人のキャスト(メンバー)たちの練習風景や思いを映像で流すなど、盛りだくさんの内容だった。ショーが終わった後はしばらく拍手が鳴り止まず、スタンディングオベーションが起こった。

 26日の公演後、真央さんは爽やかな笑顔でリモート会見に臨んだ。

「千秋楽公演初日を終えたばかりなんですけど、すごく必死だったので、終わってすごく安心している感じがあります。201回目の公演もすべて出し切れたので、自分の今日の滑りも、お客さまの拍手や喜んでいる姿を見て、『あぁ、楽しんでもらえたのかな』と思ってほっとしています。3年前に初めてこの公演をやったときの気持ちと同じように、どの公演も全力で滑ってきたので、明日(27日)もその同じような気持ちで、みなさんに感謝の滑りを届けたいと思っています」

「生で真央ちゃんの滑りを見たことがない」という多くのファンのために立ち上げたアイスショーだった。各地にいるファンに安いチケット料金設定で楽しんでもらおうと、主に常設スケートリンクを利用して、北は北海道、南は沖縄まで、全国32都道府県、のべ50会場で公演を行なってきた。

 この3年に及んだ「浅田真央サンクスツアー」を真央さんはこう振り返っている。

「あっという間の濃厚な3年間で、ジェットコースターのように過ぎました。このサンクスツアーが始まった当初は、本当にいつ最後になるかはまったくわからない状態で、最初はたぶん10カ所の予定で2018年5月に(新潟から)始まり、その年に終わるところだったんですけども、いろいろなところから『来てください』という言葉をかけていただいて、気がつけば3年間もやっていたという状況です」

 座長として演出もこなし、9人のキャスト(メンバー)を率いて、多くのスタッフも抱えるツアーの責任者を務めてきた。真央さん自身、80分間のアイスショーのなかで約40分間も滑っている。30歳になった真央さんは、プロスケーターとしてのプライドをしっかりと見せ続けた。最後まで"全力投球"の滑り、気迫のこもった演技で見る者を釘付けにした。現役時代よりもスケーティングの力強さとしなやかさは増しており、その充実ぶりは目を見張るものがあった。

「頭の中で考えているフィギュアスケートのことは、選手の時とまったく変わらなかったかもしれないです。ただ、選手の時は、本当にスケートだけをしていたんですけど、いまはスケートだけじゃなくて、いろいろなところに行ったり、いろいろなことを経験させてもらったり、いろいろな方と出会ったりして、たぶん選手の時よりも充実していた3年間だったので、あっという間に終わってしまいました。

 それに、リンクにいるのはひとりじゃないんだなとすごく感じていて、メンバーがいてくれて、すばらしいスタッフのみなさんがいろいろとサポートしてくださって、そしてお客様が会場に来てくださってできるサンクスツアーなので、アイスショーの時間はもちろん緊張もするんですけど、選手のときには感じられなかったような愛を感じ、たくさんの愛があふれている空間がすごく好きでした」

 特に目を引いた真央さんがソロで演技したプログラムは、現役最後の2016-17年シーズンにエキシビションナンバーとして作った『チェロ・スイート』。このプログラムは、さまざまなステップやムーブメントをこれでもかと魅せる真央さんの真骨頂を引き出した思い入れのあるプログラムのひとつだ。久しぶりにその演技を見られて、幸せな気分に浸ることができた。

 また、同じシーズンに競技用として作った『リチュアル・ダンス』も群舞用にアレンジして披露。ショートプログラムの黒バージョンでは4人の男子メンバーと、フリーの赤バージョンでは5人の女子メンバーとともに迫力ある演技を表現してみせた。

 そして、ショーの最後にはとっておきのナンバー『ピアノ協奏曲第2番』。思い出の衣装とともに、当時を彷彿とさせるステップで魅了するなど、浅田真央ファンならずとも、「あのときの場面」を思い起こしてぐっと胸にこみ上げるものがあるはずだ。

「選手を引退してから、試合のときのような緊張感や達成感はもう味わえないのかなと思っていたんですけど、このサンクスツアーを通じて、日々、緊張感だったり、やりがいだったりは常に感じていました。それだけではなくて、選手の時には感じられなかったようなスケートに対する愛というのが強くなったので、サンクスツアーを始めてから、スケートを心から愛することができましたし、楽しく滑ることができました」

 サンクスツアーを始めた当初は「どこまで続く旅になるかわからない。できるだけこの旅をみんなと続けたい」と思っていた真央さんだったが、その旅もついに終わりを迎えることになった。

「今年に入ってから、最後は横浜アリーナで終わろうと決定しました。本当はできるだけ長く滑っていたいと思っていたんですけども、徐々に終わりが見えてきて、今日が最後と決まった時は、ちょっとやっぱり寂しい気持ちもあったんですけども、でも、まず決められた千秋楽まで全力で滑っていこうという気持ちになれたので、いまはとにかく全力の滑りをお届けして、このサンクスツアーを楽しんでもらいたい気持ちが強いです」

 5歳でスケートを始め、「スケートすべてが自分の人生」と語るその競技生活は26歳まで続いた。国民的アイドルとして注目される中、生真面目にフィギュアスケートに取り組んだ不屈の精神の持ち主は、トリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を跳び続けて自身の代名詞にまでした。天才少女「真央ちゃん」は成長して真央さんになっても、多くの人から愛された。その意志の強さと粘り強さで、「浅田真央サンクスツアー」もやり遂げたに違いない。

 始まりがあれば、終わりがある。今後については、次のように語った。

「自分がどうしたいのか、もちろん、自分の休む時間も作りながら、前に進んでいけたらいいな、と思っています。これからもスケートとまったく関わらないというわけではないので、何かしらの形で、またスケートに携わっていくことができたらいいなと思っています。

 やってみたいことでいうと、いま、スケートリンクを作るということで進んでいますので、そちらのほうで自分の夢に向けて進んでいけたらいいなと思っています。自分のイメージはいろいろあって、みなさんと相談しながら進めている段階です」

 これからどんな形でスケーター「浅田真央」が活動していくのか。「真央リンク」の実現に向けての期待感とともに、これからも真央さんから目が離せない。