2001年「ウィンブルドン」覇者であるゴラン・イバニセビッチ(クロアチア)は、1992年の「バルセロナオリンピック」で、…
2001年「ウィンブルドン」覇者であるゴラン・イバニセビッチ(クロアチア)は、1992年の「バルセロナオリンピック」で、男子シングルスと男子ダブルスの両種目で銅メダルを勝ち取った。その時のことを振り返り、オリンピックならではの雰囲気や経験を語った。ITF(国際テニス連盟)の公式ホームページが伝えている。【関連記事】史上最高の男子サーバーは誰? フェデラーも慕うレジェンドと現役選手たち
1992年当時の私にとって、オリンピックに出場することは非常に重要だった。クロアチアが初めてオリンピックに参加した年だったからだ。国の代表として出場したけれど、当時クロアチアは紛争下で非常に悪い状態だった。オリンピックに出てメダルを獲得することがとても重要だったんだ。私は、シングルスでメダルを1つ、ダブルスでも1つメダルを勝ち取った。
今までで一番球足の遅いクレーだった。すごく暑かったけれど、メダルを2つ取ることができた。楽しい時間だった。とても誇りに思った。メダルを受け取るために壇上に登る時、そのメダルがどんな色であっても、もちろん金メダルを獲得できればさらに良いけれど、それでもとても誇らしい瞬間だった。
当時、3位決定戦はなかった。表彰台に上がってメダルを受け取れて嬉しかった。いつもとは全く異なっていた。テニス選手にとって最も大事なのはグランドスラムだ。でもオリンピックは別物だ。経験的にも、感情的にも。私の競技人生の中で最も誇りとする瞬間の一つだ。
(帰国した飛行機は)午前1時に着陸したが、誰も待ってはいなかった。紛争が続いていて、クロアチアは良い状態ではなかった。私は次の大会に出発しなければならなかった。アメリカでの大会が控えていたから。お祝いは何もなかった。メダルを取っても、何も変わらなかった。
2つのメダルは私の家にある。息子もテニスをしているんだ。彼もいつかメダルを取ることだろう。
ソウルが私の最初のオリンピックだった。その時は別の国、ユーゴスラビア代表で、私は若く、まだ17歳だった。1992年の大会が、私には最大の大会だった。クロアチアにとって初めての大会だ。(開会式のために)スタジアムに入ると、何百万という人が見ていて、すごく誇らしい時間だった。
選手村にずっと滞在していたが、実に最高の体験だった。他競技の選手と知り合い、食事の列に並んだり、他の国の人に会ったり。オリンピック中にホテルに泊まるのでは他の大会と何ら変わらない。それではオリンピックじゃない。楽しくないよ。選手村に滞在すること、それがどんなに試合会場から離れていたとしても、欠かせないオリンピックという経験の一部だ。いつも何かが起こっていた。たくさんの面白い人に出会った。存分に味わうために、全てのアスリートに選手村に滞在することを勧めるよ。
オリンピックで金メダルを取るのは、必ずしもトップ選手とは限らない。予想もしなかった選手が優勝することもあり、思いもかけないことが起こる。自分の国のためにプレーすると、雰囲気が違う。優勝候補はいるけれど、どんなことが起きてもおかしくない。(ロジャー・)フェデラー(スイス)はオリンピックの金メダルを取っていないだろう。彼は勝ち取れる他のすべてを勝っているから、金メダルを取れば引退できるね!
(テニスデイリー編集部)
*写真は2001年「ウィンブルドン」優勝の瞬間のイバニセビッチ
Photo by Gary M. Prior / Getty Images