東京五輪パラリンピック開催まで100日を切った。昨年行われるはずが新型コロナウイルスの影響で1年延期。来日するアスリート…

東京五輪パラリンピック開催まで100日を切った。昨年行われるはずが新型コロナウイルスの影響で1年延期。来日するアスリートの感染予防や選手村での感染対策。観客の感染症対策など、通常のオリンピック以上に多くの問題に直面し判断が求められる組織委員会。その舵取り役ともいうべき、オリンピックパラリンピック組織委員会・カヌースポーツマネージャーの古谷利彦に話を伺った(前編)。

--古谷さんの現在のポジションを教えていただけますか。
古谷:私は公益社団法人 日本カヌー連盟の専務理事です。日本カヌー連盟としてオリンピックとパラリンピックに向けて選手を強化し、選手たちをサポートする側面と、もう1つは運営。オリンピック組織委員会と日本カヌー連盟、国際カヌー連盟の運営の調整役です。
数年前、東京五輪パラリンピックのスポーツマネージャーとして国際カヌー連盟から推薦をいただきました。大会の運営だけではなく、大会後もカヌー競技に携わり東京五輪パラリンピックでの経験をレガシーとして未来につなげること、だと聞いていたので、やってみたいと思いました。
オリンピック・パラリンピックのスポーツマネージャーは競技ごとに存在します。オリンピック33競技、パラリンピック22競技で約40人いると思います。ただ国内競技の「専務理事」という立場で、スポーツマネージャーを担当しているのは私だけだと思います。
日本カヌー連盟の立場としてはオリンピック・パラリンピックに向けての選手強化。カヌースラローム競技でリオ五輪アジア人初となる銅メダルを獲得した羽根田卓也選手に続いて、各選手がメダルを獲得できるレベルになるよう取り組んでいます。
組織委員会のスポーツマネージャーとしては会場の準備等、運営面で責任を持った立場で盛り上がる大会を目指しています。

--古谷さんはいつ頃からスポーツマネージャーを担当されていたのでしょうか。
古谷:東京五輪パラリンピックが決まったのが2013年。私がスポーツマネージャーに就任したのが2016年です。それで東京に来ました。その後、2017年1月に日本カヌー連盟で専務理事になりました。

--もともと古谷さんは、どちらにお住まいでしたか。
古谷:石川県小松市です。スポーツマネージャーに決まり生活の拠点を東京に移しました。立場としてオリンピック・パラリンピック組織委員会に所属し日本カヌー連盟の専務理事も担当している形になります。

--日本カヌー連盟の専務理事と組織委員会のスポーツマネージャーという二つの側面をお持ちということですね。ところで今回の大会はコロナの影響もあり、通常とは違う対応を求められています。
古谷:最初は1年延期になったので、「さあ、やるぞ」という気持ちがトーンダウンするかと思っていました。でも元々限られた時間の中で動いていたものを「再度確認できる」という視点に立ち、コストの面や計画内容等、改めて見直しました。
「ピンチをチャンスに変えて」組織委員会の中では臨みました。コロナ対策を始め、「コロナ禍の中でも確実にできることをやろう」と周囲のスタッフと連携をしました。
ただ、選手の練習環境が整わないという問題がありました。コロナになりスラロームは海外遠征が1度だけ。そこで国内に関して周囲のご理解を頂き、東京五輪パラリンピックのカヌースプリント競技の会場である「海の森水上競技場」とカヌースラローム競技の会場「スラロームセンター」を利用させていただくことになりました。大会の会場で練習ができたのは、選手にとって良いことだと思います。

--ところでカヌー競技全般の見どころを教えていただけますか。
古谷:東京五輪の競技日程では先にスラローム(7/25〜7/30)が行われます。スラロームセンターは日本で最初の人口コースです。前回大会でオリンピック史上アジア初銅メダルを獲得した羽根田卓也選手だけでなくメダルに近づいている選手が多いです。
例えば、足立和也選手は過去2回W杯で表彰台に上がっています。また女子の矢澤亜季選手も世界ランキングで上位にいます。是非、メダルにチャレンジして欲しいですね。
スラロームの見どころは、スピードとパワーだけではなくスキル。これに注目して頂きたいと思います。

--激流の中でバランスを取るパドルさばきは魅力ですよね。
古谷:そうです。次にスプリント(8/2〜8/7)。男子カヤックフォアは松下桃太郎選手が中心となり4選手でメダルに挑みます。実は松下選手は、私が高校教員時の教え子です。同じ石川県小松市出身。2012ロンドン五輪の際、私が国際連盟の審判をしつつ、元教え子の彼がレースを走る姿を見るのは感慨深いものがありました。
陸上や水泳でリレーが脚光を浴びるように、4人組で挑むカヤックフォアも花形競技の一つ。国の威信をかけて戦い、世界でも10艇しか出場することができない。今回日本チームはアジアでトップになり東京五輪出場が決まりました。
これに続き、新しく採用された競技「女子カナディアン」やカヤックでも代表になってもらいたい。タイで5月5日から7日にかけてアジア予選が行われます。そこで1枠でも多く東京五輪出場の切符を確保してほしいと願っています。
スラロームに関しては代表4選手が確定しているので、東京五輪に照準を合わせてドンドン練習をしてほしいです。スプリントについては、男子カヤックフォア以外アジアの中でトップにならなくてはいけないですね。

--次にパラカヌーですが、注目は瀬立モニカさんでしょうか。
古谷:瀬立さんの腕が太くなり、パドルを持つ姿が逞しく見えます。彼女の発する言葉はポジティブで、常に人々に希望を与えてくれる。パフォーマンスも含め、彼女の発信力は素晴らしいものがありますね。世界選手権を5位で通過したので、メダルまであと一歩。ぜひ頑張って欲しいと思っています。

--東京五輪パラリンピックが1年延期になり、フィールドキャスト(大会ボランティア)の方々の士気はいかがでしょうか。
古谷:1年延期になったことでフィールドキャストの皆さんも気持ちが下がってきます。それを盛り上げるため、フィールドキャストを対象にカヌー体験会を企画しました。
また東京五輪パラリンピックに出場が内定している瀬立モニカ選手や松下桃太郎選手とウェビナー(※オンライン上で実施されるセミナー)を2回に分けて開催しました。選手と触れ合うことでフィールドキャストの士気も高まります。また定期的にニュースレターを発行しました。
スタッフの協力もあり、カヌーは他の競技以上にフィールドキャストの方々との繋がりを大事にして、気持ちを盛り上げることが出来たと思います。

--それは素晴らしい取り組みですね。また1年延期で選手のモチベーションが心配かと思います。その辺りはどのようにお考えでしょうか?
古谷:それは専務理事としての仕事になります。日本カヌー連盟として、東京五輪パラリンピックに向けて選手の強化を中核に据えようと話し合いました。そこに出場する選手、競い合う選手一人一人を大切に支えていかなければいけない。それこそ、モチベーションから環境作り、そういったことに努めてきました。

--さきほどお話しいただいた、選手たちに「海の森水上競技場」や「スラロームセンター」を提供したというのは、その一環でしょうか。
古谷:そうです。東京五輪パラリンピックの会場で練習することにより、「ここで大会が開催される。自分も出場するぞ」という気持ちになってもらい、選手のモチベーションを上げる環境作りをしました。

--コロナ禍で組織委員会の皆さんが集まることも難しいと思います。1年延期になり準備等、現在の状況はいかがでしょうか。
古谷:4月に東京2020全体のプレイブックができました。内容は選手・関係者・メディア・スタッフ・観客の方々すべてに向けて「このようなコロナ対策をします」というルールブックです。今後は、これを元に各会場が細かい対応を詰めることになります。

--オリンピックまで100日を切りました。先月、海外観客の入国は認めないと代表者協議での決定が発表されましたね。
古谷:本当に残念なことです。それを発表しなければいけない橋本聖子会長を始め忸怩たる思いだったでしょう。オリンピックは競技するためだけではなく、そこで生まれる国際交流や国家交流もあげられます。そういった点では海外から観客を迎えられないというのは残念であります。
ただ、この判断に至ったのは、国民の皆さんの不安を少しでも無くして安全安心の中で大会を開催する。バッハ会長も話していましたが「犠牲としての部分」だと思います。

--会場ごとに「どのくらい観客席に人が入れるのか」は決まっていますか?
古谷:まだ決まっていません。カヌーに関しては観客席に1万人以上入ることが可能です。カヌーのチケットもかなり人気があったと聞いています。国内の方に1人でも多く会場に足を運んでいただければと考えています。そのための準備を日々進めている最中です。

--海外から観客の方の来日が難しいとなると、海外の選手も寂しい思いをしますね。
古谷:そのためには「フェアな環境」でできること。たとえ海外のお客様が来られなくても、日本の観客の方々は日本人だけを応援するわけではなく、世界中の選手たちにエールを送ってくれると思います。
観客の皆さんに競技を楽しんで頂くことは重要なことですが、その行為が選手にエールを送ることにつながると思います。そのためにコロナ対策を徹底し、会場に足を運んで下さる方が不安な気持ちにならないように、我々関係者一丸となって万全を期するのみです。

<後編につづく>

古谷利彦(ふるや としひこ) 
石川県小松市生まれ。同志社大学在学時にカヌーを始める。
大学卒業後は高校教員となり、地元小松市でカヌー選手の育成に努める。
指導受けた生徒には、東京五輪代表に内定している松下桃太郎選手も。
カヌー指導者として功績が評価され、1993年国際審判の資格を取得。
現在、JOC(日本オリンピック委員会)理事公益社団法人、日本カヌー連盟 専務理事、オリンピックパラリンピック組織委員会 カヌーのスポーツマネージャーを担当。

取材・文・写真/大楽聡詞