宮司愛海連載:『Manami Memo』第23回 フジテレビの人気スポーツ・ニュース番組『S-PARK』とweb Sportivaのコラボ企画として始まった宮司愛海アナの『Manami Memo』。第23回は、宮司アナが取材した池江璃花子選…

宮司愛海連載:『Manami Memo』第23回 

フジテレビの人気スポーツ・ニュース番組『S-PARK』とweb Sportivaのコラボ企画として始まった宮司愛海アナの『Manami Memo』。第23回は、宮司アナが取材した池江璃花子選手の原点について。

 今月上旬。競泳の日本選手権で、池江璃花子選手が日本中を驚かせました。闘病を乗り越え、東京オリンピックを断念して2024年のパリを目指すと公言していた池江選手が、東京オリンピックの代表権を獲得。試合後、彼女の涙と言葉に、胸を打たれた方も多くいたことでしょう。

 メドレーリレーの代表に決まった100mバタフライ決勝後のインタビュー、「辛くても、努力は必ず報われる」。この言葉に、現場で見ていた私自身も胸がいっぱいになり、しばらく動くことができませんでした。

 連載第23回は、そんな池江璃花子選手の原点に、恩師のお話から迫っていきたいと思います。



池江璃花子選手が通っていたスイミングスクール(写真提供:フジテレビ)

練習事の裏話「叱ると『ぷっ』とするんです」

 池江選手の快挙に興奮冷めやらぬなか、やってきたのは池江選手が小学生時代に通っていたスイミングスクール「東京ドルフィンクラブ」です。小岩駅からしばらく歩き、商店街を抜けると見えてきたのは、ピンクに水色と、明るい色で塗られた建物。一見すると、この中に本当にプールがあるようには見えないほどこぢんまりとした雰囲気。

 ここからあの日本を代表するスイマー・池江璃花子選手が羽ばたいていったのかと胸がジンとしつつ、"近所のスイミングスクール"といった趣に、なんだかすこし懐かしい気分にすらなりました。




話を伺った清水桂コーチと宮司愛海アナ(写真提供:フジテレビ)

 お話を伺ったのは、池江選手の小学生時代のコーチ・清水桂さんです。

 清水さんがコーチとなったのは、池江選手が小学2年生の時。3歳から水泳を始め、5歳で自由形、背泳ぎ、平泳ぎ、バタフライの4泳法を習得した池江選手は、幼稚園・年長のころ選手コースに上がり、飛び級システムのない「東京ドルフィンクラブ」で着実に一つ一つテストを合格しながらクラスを上げていったそうです。

 清水さんの、当時の池江選手の印象は「細い子」。そのころは身長もあまり高くなく、とにかく細い。なのに、もともと筋肉質なのか、筋肉はきちんとついており、「細いけどマッチョな子だった」と言います。

 50mと100mバタフライで日本記録を持つ池江選手が、バタフライを本格的にメイン種目としたのは小学2~3年生のころ。清水さんは当時をこう振り返ります。

「もともと、一番下のクラスから4種目の泳ぎを見ていて、どれも速かったのですが、やっぱりバタフライが一番速かったですね。選手(コース)に上がったところからバタフライが一番強かった。そこで、そのまま伸ばしていこうという話になって、4種目をやりつつバタフライを少し中心にして練習してきましたね」

 しかし、バタフライは4泳法のなかで特にパワーを使う種目。練習も最もハードです。バタフライが池江選手の代名詞となった背景には、並外れた練習量と強い気持ちがあったに違いない......そう思いながらお話を聞いていると、清水さんの口から意外な言葉が。

 
「璃花子は練習が弱い子でした」

 

 タイムを設定した練習ではなかなか目標がクリアできないことも多く、清水さんに叱られることもたびたびあったというのです。

「(池江選手は)タイムをクリアできないことが多いタイプの選手で、僕も練習中はテンションが上がっていることもありバーっと言って(叱って)いましたね。ただ、言ったとしても"だから?"という感じの空気で、それがさらに僕の怒りをあおって......(笑)。

 怒ると"ぷっ"とするんですよ。だいたいコーチに注意されるとコーチのほうを見るじゃないですか。ずっと前を見ているんです。"はい、行きます自分で"みたいな。それで結果タイムが悪くてまた言われると、同じような態度で。負けん気というか強気さというか、そういった部分はあったかもしれないですね」

 清水さんは、あたたかな微笑みを浮かべながらそう語りました。

 とても意外でした。池江選手は、どんな時でも、どんな質問に対しても、とても真摯で丁寧に答えている姿が印象にあったからです。誰しも小さいころのちょっとした反抗は経験があることだと思いますが、池江選手にもそんなことがあったのだと、なんだか親近感を覚えた瞬間でした。


不思議な

「璃花子スイッチ」

 清水さんのもと、ひとつ上のカテゴリーの選手たちが目標とするタイムをクリアしていった池江選手。小学3年生でジュニアオリンピックの決勝に進出し、50mバタフライでは、8選手中、池江選手以外の7選手が小学4年生という条件下で3位に輝きます。

 清水さんが印象深い出来事に挙げたのは、自身初のタイトルをかけて挑んだ小学生時代最後の大会、2013年3月に行なわれた「JOCジュニアオリンピック春季大会」でのことでした。

 優勝するつもりで挑んだバタフライで3位。清水さんは、コーチである自分もショックだったのだから、本人はそれ以上だっただろうと振り返ります。

 この悔しい結果を引きずってしまうのかと思いきや、池江選手は見事切り替え、同大会の50m自由形で優勝。この時のことを清水さんはこうしみじみ話しました。

「(50m自由形で)バチンといったのはさすがでした。何かダメだったら何か取ってくるという。そのスイッチはいまだに不明ですけど、"璃花子スイッチ"がどこかにあるんじゃないですか。本人にしか押せないスイッチを持っているかもしれないですね」

 璃花子スイッチ...。先日の日本選手権、日本代表の平井伯昌ヘッドコーチが、池江選手を「力を出し切る天才」と評していたことを思い出します。



 ではいったい、そのスイッチが"オン"になるタイミングとは...。

「直前ですね。スタート台に上がるとやっぱり。飛んだ瞬間に泳ぎが違ったので」(清水さん)

 大きな大会になるほど力が出る。ここぞという時の力の出し方は唯一無二。強い池江選手の原点は、小学生時代の"璃花子スイッチ"にあったのかもしれません。

「とにかく璃花子らしく、普通どおり泳いでくれれば結果もついてくる選手なので、笑顔いっぱいでオリンピックに出場してもらいたいと思います」

 清水さんの想いと、日本中の池江選手を応援している人たちの想いはきっと同じ。オリンピックの舞台で自分らしく泳ぐ池江選手の姿、私も心から見たいです。

PROFILE
宮司愛海(みやじ・まなみ)
91年7月29日生まれ。2015年フジテレビ入社。
福岡県出身。血液型:0型。
スポーツニュース番組『S-PARK』のメーンキャスター。
スタジオ内での番組進行だけでなく、現場に出てさまざまな競技にふれ、多くのアスリートに話を聞くなど取材者としても積極的に活動。