開幕まで1年を切った2022年の北京パラリンピック。その出場権を懸けて、パラアイスホッケー日本代表は今秋開催予定の世界選手権Bプールとその上位が進める最終予選に臨む。8位に終わった前回の2018年の平昌パラリンピックから3年、チームは少し…

 開幕まで1年を切った2022年の北京パラリンピック。その出場権を懸けて、パラアイスホッケー日本代表は今秋開催予定の世界選手権Bプールとその上位が進める最終予選に臨む。8位に終わった前回の2018年の平昌パラリンピックから3年、チームは少しずつ進化している。

 バンクーバーパラリンピックで銀メダルを獲得した時のメンバーでもある、長年チームをけん引するベテラン勢に加え、待望の若手・新人選手が目を見張る成長を遂げているのだ。再起を期す日本の飛躍のカギとなるであろう注目のルーキーたちが現れている。



今年、高校生になったばかりながらも次世代のエース候補である伊藤樹

 1人目は、2005年生まれの伊藤樹(いとう・いつき/ロスパーダ関西)。幼稚園からアイスホッケーを始め、小学3年の時に所属する臨海ジュニアアイスホッケークラブ(大阪)の練習に向かう途中、交通事故に遭い、車いす生活になった。パラアイスホッケーは翌年から始め、現在15歳ながらホッケーキャリアは10年以上になる次世代エース候補だ。

 昨年末、国内クラブ選手権大会3位決定戦で見せた、8ゴール1アシストの大車輪の活躍が記憶に新しい。そして、試合後に囲み取材に応じた伊藤は、しっかりと前を向いてこうコメントした。

「世界一の選手に、僕はなります」

 伊藤が目標とする選手、それがアメリカのデクラン・ファーマーだ。16歳でソチ2014パラリンピックに初出場するといきなりトップラインに抜擢され、5試合で3ゴール2アシストを決め、なんとMVPを獲得。4年後の平昌大会では、決勝戦で同点ゴールと決勝ゴールを奪いアメリカを3連覇に導いた。圧倒的なスピードで相手をぐんぐんと抜き去るスターの姿は、当時小学生だった伊藤に強烈な印象を残した。

 伊藤が北京大会の日本代表に選ばれれば、ファーマーと同じ16歳でパラリンピック初出場となる。

「同じ年でパラ初出場で、MVPまで獲得して。正直言って、悔しい。でも、彼みたいなドリブラーになりたい」

 悔しさと尊敬、その率直な気持ちが、負けず嫌いの伊藤をさらなる高みへと突き動かしている。

 今春、大阪の高校に進学した。日本代表候補の強化合宿参加時等は公欠扱いになるといい、競技に集中することができる。クラブチームの練習と月2回の強化合宿、それに加えて古巣の臨海ジュニアアイスホッケークラブでの個人練習と、週に3回は氷上でトレーニングする。そこで見るのが、スマホに保存したファーマーのドリブル動画集だ。

「この映像を見て、"今回は俺もこのプレーができるようになる!"とテーマを決めてリンクに乗っています」

 信田憲司日本代表監督は伊藤について、「彼はパスレシーブの基本やシュートのタイミングもわかっている。ほかの選手が持っていないようなホッケーセンスがあるので、それを活かせる選手に育てていきたい。年齢的に持久力系では少し苦労しているので、試合経験を積ませながら、しっかりと身体を作って、最終的には世界に通用する選手になってもらいたい」とコメントしている。

 2人目は、1998年生まれの石川雄大(東京アイスバーンズ)。高校卒業後に骨肉腫を発症、治療の影響で脚が曲がらない障害を抱えている。スレッジに座り、脚を伸ばした状態でプレーするパラアイスホッケーを始めると、すぐに頭角を現した。

 石川の強みは修正力の高さ。自分のプレーを俯瞰で見ることができ、課題や発見を成長の糧にすることができる。今季の第一次強化合宿でもベテラン勢に食らいつき、動きにもキレがあったが、「自分はパックを持った時のプレーの選択肢が少ない」と冷静に分析する。

 ただ、これはスケーティングなどの基礎技術が上達し、次の段階に進んだから見えてきた課題だ。「語弊があるかもしれませんが、僕はチームや世界よりも、自分がうまくなるためにはどうしたらいいかをずっと考えています。個人のスキルアップがチームのためになると思っているからです。脳みそをフル回転させて、失敗を恐れずに勇気をもって挑戦して、課題をひとつずつ潰していく。それを積み重ねていきたい」

 幼少期から野球に親しんだ。高校時代は激しい競争社会のなかで結果を残すことに囚われすぎ、「自分を見失い、空回りしていた」。だが、その経験が今の思考につながっているという。

「たとえば、パラリンピックの日本代表になることが大きな目標だけど、今はそのひとつ前に照準を合わせられるようになったんです。スケーティングができたら、次はフォアチェックをものにしよう、という明確なステップが捉えられるようになってから、緊張もしなくなりました」

 信田監督は、「石川も頭がよく、攻撃と守備の2wayでプレーできる選手。たとえ失敗したとしても、それを繰り返さないように次にどうしたらいいかを瞬間的に考えられる状況判断力が優れている」と話す。信田監督によれば、強化合宿の成果もあって、チーム内では不動のセンターの吉川守(長野サンダーバーズ)との連携が各段に向上しているといい、ベテランと若手の融合の実現に期待を寄せている。

 3人目は、1987年生まれの新津和良(にいつ・かずよし/長野サンダーバーズ)。2018年9月から本格的に競技をスタートし、翌年の世界選手権Aプールには日本パラアイスホッケー協会の次世代育成選手ながら日本代表に選ばれた。強化指定選手となった現在はさらにスケーティングに磨きをかけ、チーム内での存在感を高めている。信田監督は「(屈指のスピードを誇る)クマさん(熊谷昌治/長野サンダーバーズ)に匹敵するくらいの動きができるようになってきた。海外の選手は彼の成長に驚くのではないか」と評価する。

 新型コロナウイルスの影響で活動自粛を余儀なくされた昨年、4カ月半ぶりに再開された7月強化合宿で、新津は明らかにレベルアップした姿を披露した。「自粛期間中をどう過ごすかが、のちの結果に出ると考えていた。ここで差をつけようと思った」と言うように、個人でリンクを借りて滑り込むなど、コロナ禍での練習環境づくりに注力。努力で結果を出し、チームメートのやる気に火をつけた。

 骨肉腫で入院していた幼少期、同室の元パラアイスホッケー日本代表選手の話を聞いて競技へのあこがれを抱いたという。ただ、当時は年齢的に若く、治療中だったこともあって「まだ早い」と誘ってもらえなかったそうだ。成長後も「ホッケーをやってみたい」という気持ちを持ったまま過ごしていたが、18年に他競技の大会会場で熊谷にスカウトされて、時を超えて夢が叶うことになった。

「当時、僕は車いすバスケットボールをしていたし、本来なら断っています。でも、ずっと『ホッケーをやりたかった』という気持ちが残っていたから決断しました」と、新津は振り返る。

 もともとFWだったが、現在はDFで登録。「自分が最終ラインで取ったパックを次のラインにつなぐ。自分のパス出しの位置で仲間のポジションが決まるし、攻撃の起点として、流れをコントロールできるのが楽しい」と新たな魅力を実感している様子。世界選手権に向けては、「自分はまだ成長する余白がたくさんある。短い時間でどれだけ詰められるか、危機感と焦りのほうが大きい。だから、一日一日を大事に、練習を重ねていくつもり」と話し、鋭く前を見つめる。

 パラアイスホッケーに情熱を傾ける新星プレーヤーたちのさらなる成長と活躍に期待したい。