感動の余韻は、今でも消えることがない。 日本人選手、いやアジア人選手として、松山英樹が史上初のマスターズ優勝を果たした。それは、日本ならず、世界でも印象的なシーンとして刻まれた。グリーンジャケットを纏った松山英樹の姿が神々しく見えた 個人…

 感動の余韻は、今でも消えることがない。

 日本人選手、いやアジア人選手として、松山英樹が史上初のマスターズ優勝を果たした。それは、日本ならず、世界でも印象的なシーンとして刻まれた。



グリーンジャケットを纏った松山英樹の姿が神々しく見えた

 個人的な話ではあるけれども、1974年以来マスターズを取材していて、日本人選手がマスターズの表彰式でグリーンジャケットを着る姿は、きっと生きている間に見ることはできないだろうと思っていた。

 それが2011年マスターズで、松山英樹がローアマとなって表彰式に立った。その時は、自然に涙があふれた。

 同時に、彼がグリーンジャケットに袖を通す姿がいつか見られるかもしれない、という希望が生まれた瞬間でもあった。

「あの10年前がなければ、今の僕はなかったと思う」と松山は言った。そして、こう続けた。

「この10年が、僕にとって短かったか、長かったか、わかりませんけれど......」

 その言葉に、この10年間の松山の努力と苦悩、そして「勝ちたい」という目標とそのための日々が、詰まっていたに違いない。

「努力?......いや、僕はただひたすらうまくなりたい、勝ちたい。ゴルフが好きで、そのためにやってきたので、努力とは思いません」と、松山は言う。

 その昔、ジャンボ尾崎が似たようなことを言っていた。

「つらいとか、努力とかって、そんなことは思ったことがない。だって、自分には目標があり、夢がある。それに向かって一生懸命やっていくことを、努力と言うならばそうかもしれないけれど、それが苦労とかと思ったことはない。

 だって、夢をつかみたいからやっていることなんだから。夢がなく、それでも必死にやらなければいけない時こそ、努力と言うんだと思う。それに、夢をつかんだ時には、そんなことは全部笑って話せるしね」

 おそらく今の松山の心境も、同じようなものかもしれない。

"チーム松山"は目澤秀憲コーチが入ったことで、その歯車にベストな潤滑油となってチームは加速した。

「今まで、自分でいろいろ考えて、自分で悩み、はたしていい方向に向かっているのか、そうでないのかって、迷うことがあったけれども、(コーチがいることで)今は『あぁ~正しかったんだ。そうなんだ』と思えて、迷うことも、悩むこともなくなりました。『これでいいんだ』と」

 松山は、彼の性格的なこともあって、これまですべてを自分の中に詰め込んで練習し、模索し、悩み、苦悩を続けていた。弱音を吐かないというのは、ともすると、一度も吐き出すことなく、自分の中にしまい込み、パンパンになっても我慢する、という状態だったと思う。

 コーチがつくことで、そんなストレスや悩みを、外にどんどん吐き出すことができた。それによって、精神的にも身軽になったのだと思う。

「マスターズ前週の試合で、初日うまくいっていたものが、2日目から悪くなり、怒りが爆発しました。その時に『オレは、何をやっているんだ』と思ったんです」

 マスターズで今まで以上に笑顔を見せたのは、そんな自分に対する反省でもあった。

 ゴルフは、メンタルなスポーツでもある。

 特にタイガー・ウッズが言うとおり、「マスターズでは、フィジカルテストを強いられるだけでなく、メンタルテストもかなり多く強いられる」という言葉に表われている。

 心にゆとりを保つことで、窮地に立たされても活路を見出して、次に的確なショットを放つことができる。

 松山にも苦しい場面はいくつもあった。それでも、「試合は終わったわけではない。まだまだ攻める気持ち、強い気持ち(を持って)、自分を信じて、その一打を打とう」という揺るぎない闘争心と自信を、最後まで失うことがなかったのだと思う。

 最終日。18番ホールの第1打を打った時に「勝てる」と思ったという。そうして、「1番のティーグラウンドに立つまでは、別に緊張感ってなかったんですが、立った途端に緊張しました。それからずっと、18ホール、緊張の連続でした」と松山は言うけれど、外側から見れば、堂々とした態度、いつもと変わらない姿勢のゴルフに見えた。それこそ、誰よりも練習し、鍛錬してきた自信の表われだったと思う。

「才能は有限。努力は無限」というのは、松山が少年時代の座右の銘だ。

 帰路について、すでに空港まで行っていたケビン・ナは、松山の優勝が決まるかもしれないとなると、わざわざコースに戻ってきて祝福した。

 松山もあふれる涙を堪え切れずに泣いた。日本中のゴルフファンも感涙した。

 10年前のマスターズ最終日、ホールアウトした直後に、松山はこう語っていた。

「鳥肌が立ちましたよ。18番ホールのグリーン上に上がってきた時......『あっ、このパットを沈めないとやばいな』と思いました。

(鳥肌が立った)もう1回は、表彰式。拍手が多すぎてびっくりしました。緊張しました。プレーよりも全然緊張しましたね。

(ローアマのシルバーカップは)重量は軽かったけど、重みはありました(笑)。自分で何人目かわからないけど、その1人になれたことがうれしいです。(石川)遼より先に、表彰式にも出られましたしね。スコアは負けたけど(苦笑)。

 グリーンジャケットを見ていて、『いいな』って思いました。(自分も)着てみたいなって感じです。まあ、それまでは日本のどっかで緑のニセモノのジャケットを探してきて着てようかな(笑)」

 その感動を忘れずに、松山は10年もの間、精進し続けた。

 今、ホンモノのグリーンジャケットを纏う松山英樹の勇姿は、神々しさすら感じる。

 おめでとう!