世界選手権SPはミスが響いて16位となった宮原知子ーー緊張しましたか? 演技を終えた宮原知子は、その質問に真摯な姿勢で答えようとした。「そうですね......。簡単に言えば、全体として"緊張してしまった"ということになる…



世界選手権SPはミスが響いて16位となった宮原知子

ーー緊張しましたか?

 演技を終えた宮原知子は、その質問に真摯な姿勢で答えようとした。

「そうですね......。簡単に言えば、全体として"緊張してしまった"ということになるんですけど、自分でもまだ、あの......。もうちょっと見つめ直して考えたいと思います」

 思いどおりにいかなかった演技直後で感情が錯綜し、考えが整理できなかったのだろう。誠実な人柄だけに、できる限り丁寧に伝えようとしたが、うまく言葉にならなかった。無理もない。不用意な言葉を吐けば、自責の念に駆られ、たちまち負の感情に覆い尽くされる。競技者とは、そういう生き物だ。

「自分の滑りができるように」

 宮原は、次に立つべき舞台へ視線を向けていたーー。

 3月24日、スウェーデン・ストックホルム。世界フィギュアスケート選手権2020の女子ショートプログラム(SP)、宮原は最終グループで滑っている。

 すでに5度目の世界選手権出場となる。2015年には初出場で2位に輝き、18年にも3位で表彰台に立った。荒々しいまでのジャンプ全盛時代に突入するなか、たおやかに研ぎ澄まされたスケーティングで対抗し、氷の上で独自の世界観を作り出せる。

 その日も、宮原はスタートポジションに入ると、鳴り出したピアノの音をふわりと拾っている。『グシエンヌ第1番』は美しくも妖しげな音色を奏でる曲だが、その幻想的な情景が彼女の一挙手一投足を通して伝わった。振り上げた右肘の角度ひとつをとっても精密で、どれだけ練磨し続けてきた動きか。

 しかし冒頭のジャンプだった。予定していた3回転ルッツ+3回転トーループは、1本目で転倒。コンビネーションがつかない。

「自分で跳んだ感じは悪くなかったんですが......。外へはずれてしまったな、という印象です」

 宮原は、どうにか言葉を絞り出した。

 その後、入念に仕上げてきたダブルアクセルは成功している。そして最後のジャンプ、3回転ループにコンビネーションをつけようとリカバリーを狙ったが、1回転トーループが精一杯だった。

 しかし、気落ちした様子はいっさい見せていない。体に染み込んだようなスケーティングで最後まで滑り切った。スピン、ステップとすべてレベル4を獲得。演技最後、残響に浸るように左腕を柔らかく差し伸ばし、情念を表現したが......。

 ジャンプのミスは、容赦なく響いた。59.99点は16位スタート。トップに20点以上も引き離されることになった。

「自分の演技が本番でできるようになるにはどうしたらいいか。それを一番に考えながら、(世界選手権まで)頑張ってきました。メンタルのところは、時期に関係なく、ずっと意識してやって来たところで。まだまだ、そうは簡単にいかないな、というのが悔しいところです」

 メンタルの強さについて問われた宮原は、率直にそう語っている。

 ただ、彼女はどんなに苦しくても自分に向き合える力がある。それは並外れた異能だ。弱さは少しも見えない。そもそも緊張に引きずられる選手が、全日本選手権を4連覇し、18年平昌五輪で4位と意地を見せられるか。女子フィギュアスケート界が紡いできた時代を継承してきた。並みの精神力ではない。

 昨年末の全日本選手権も、SPは苦戦した。3本目のジャンプの失敗が響き、6位スタートだった。その後、フリースケーティングで見事に挽回した。静謐さを凝縮したような演技を見せ、3位まで順位を上げたのだ。

ーー世界選手権、フリーでの課題は?

 そう問われた宮原は、簡潔に言った。

「フツーに、自分の滑りをするってことだと思います」

 彼女の"フツー"は、いわゆるフツーではない。刀匠が魂を込めたような名工の切れ味を誇る。芸術と言われるほどに丹念に仕上げた演技だ。

 フリーは、オペラ曲『トスカ』で勝負する。北京五輪シーズンを戦う曲にもなるだろう。

「プログラムを作品として仕上げる、という練習を重点的にしてきました」

 宮原は言う。多くの伝説的スケーターたちが滑ってきたが、彼女は「宮原知子のトスカ」を滑るはずだ。反転攻勢はなるか。

 3月26日、フリーは第2グループでの滑走になる。ここまでの苦戦はこれまでになく、慣れない滑走順と言える。一発逆転の4回転ジャンプやトリプルアクセルもない。

 しかし、積み上げてきた演技を出し切ることができたらーー。氷上に深紅の花を咲かせるはずだ。