「THE ANSWER スペシャリスト論」フィギュアスケート・中野友加里 スポーツ界を代表する元アスリートらを「スペシャリスト」とし、競技の第一線を知るからこその独自の視点でスポーツにまつわるさまざまなテーマで語る「THE ANSWER」の…

「THE ANSWER スペシャリスト論」フィギュアスケート・中野友加里

 スポーツ界を代表する元アスリートらを「スペシャリスト」とし、競技の第一線を知るからこその独自の視点でスポーツにまつわるさまざまなテーマで語る「THE ANSWER」の連載「THE ANSWER スペシャリスト論」をスタート。フィギュアスケートの中野友加里さんがスペシャリストの一人を務め、自身のキャリア、フィギュアスケート界などの話題を定期連載で発信する。

 今回のテーマは「トリプルアクセル論」。女子は国際スケート連盟(ISU)公認大会で12人しか成功者がいないといわれるトリプルアクセル。その3人目の成功者となったのが、中野さんだった。日本人がトリプルアクセルに惹かれる理由、そして跳べる者だけが知るトリプルアクセルの魅力について明かした。(文=THE ANSWER編集部・神原 英彰)

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「フィギュアスケートといえば?」。そう聞かれたら、競技に馴染みの薄い日本人はなんと答えるだろうか。

「浅田真央」「羽生結弦」のように著名な選手の名前もあるし、「イナバウアー」のように流行語になった技の名前もあるだろう。その一つに挙げられるのは「トリプルアクセル」も同じではないか。フィギュアスケートを詳しく知らなくても、トリプルアクセルのフレーズは知っている。そんな風に認知され、定着しているもの。なぜ、日本人はこうもトリプルアクセルに惹かれるのか。

 素朴な疑問について、中野さんは一人の日本人スケーターの名前を挙げる。

「一番は伊藤みどりさんが築かれた功績じゃないでしょうか。まだマイナースポーツだった頃、フィギュアスケートはジャンプより演技、表現で魅せる競技であり、どちらかというと技術は二の次。それが当たり前の時代がありました。しかし、伊藤さんがトリプルアクセルを跳んだことで、フィギュアスケートにおいて技術の追求もこんなに素晴らしいものだと気づかせ、競技の概念を覆したのです」

 伊藤さんが女子選手として世界で初めて、競技会でトリプルアクセルを成功させた1988年11月のこと。唯一無二のジャンプを武器に翌年の世界選手権で日本人&アジア勢として初の優勝。92年アルベールビル五輪では銀メダルを獲得し、国民的アスリートとなった。

 一人のスケーターの登場前と登場後で変わったフィギュアスケート界。それだけ競技にインパクトを与えたのが日本人だったこと。そして、その要因となったのが「トリプルアクセル」というジャンプだったこと。日本人とフィギュアスケートにおいて、伊藤みどりの存在は欠かせない。

 同じ愛知出身、1985年生まれの中野さんにとって6歳で本格的にスケートを始めた頃、伊藤さんは同じ山田満知子コーチの下、間近で見ていた存在だった。

「当時の私たち選手にとって良かったのは伊藤さんが目の前でトリプルアクセルを練習し、跳んでいるのが当たり前の日常だったこと。4回転ジャンプにも練習で挑戦され、トリプルアクセルはスピードが速すぎて(失敗時に)フェンスに激突したことも見たことがあります。その姿を見ていると、『私もいつか跳べるようになるんだ』と自然と思わせられるくらい、伊藤さんの影響力は大きかったです」

 そんな偉大な伊藤さんの背中を追うようにして、1991年にISUで認定されたトーニャ・ハーディングに続いて2002年に世界で3人目のトリプルアクセル成功者となった中野さん。習得までの道のりを聞くと、興味深い思い出を明かした。

「ジャンプはアクセル以外に5種類(トウループ、サルコウ、ループ、フリップ、ルッツ)ありますが、それを3回転で跳べるようになると当たり前のようにトリプルアクセルを練習していました。それは他の選手も同じ。私も『ちょっと難しいな』『私には無理だな』などと考えるまもなく、練習しました。実は当時、山田満知子先生の門下生には何人もトリプルアクセルを跳べる選手がいたんです。

 今のロシア勢の相乗効果と同じですが、周りに跳べる選手がいると、自分も跳べる、跳ばないといけないという感覚になります。私はそういう環境に恵まれていたと同時に、その環境が私を強くしてくれて、成功に導いてくれました。ただ、当時はまだ子供で大会でトリプルアクセルを跳べたらお小遣いをあげると親に言われ、そのご褒美目当てに頑張っていたということもあります(笑)」

中野さんを惹きつけた魅力「誰もやっていないことを成功させたい」

 練習を始めたのは13歳の時だった。6種類あるジャンプの中で唯一前向きに踏み切って3回半回り、高い跳躍力と回転力が求められるアクセルジャンプ。のちに転倒の際に肩の脱臼をしたこともあるくらい難しく、当初は失敗の連続だった。

「最初は“3回転半”ではなく“2回転半とちょっと”しか回らないところからスタートしました。日を重ねるごとに少しずつ回れるようになり、初めて練習で跳べたのは14歳の(2000年の)ジュニア世界選手権の公式練習でした。ただ、以降はチャレンジに恐怖心が芽生えてしまい、結果的に試合で成功させたのは17歳なので、3年くらいかかりました。一番、壁になったのは体型変化です。

 今になってみれば、もっと小さい時からやっていたら……と思います。体重が軽いうちに跳べれば、その分、体型変化が起こる前に体に染み込ませることができます。今、ロシアには体が細く、軽いので難しいジャンプを跳べる選手が多いですが、体型変化が来ても体が跳ぶ感覚を覚えていることは大きい。体つきが少女から女性に変わっていくタイミングが重要です。そこを乗り越えたら、自分のものにできるので」

 難しい課題に直面しながらも習得にこだわった中野さん。それほどまでに惹きつける魅力は何だったのか。

「幸い、私自身はアクセルジャンプが得意だったこともありますが、それ以上に大きかったのは『誰もやっていないことを成功させたい』というモチベーションでした。伊藤みどりさん、トーニャ・ハーディングさんからしばらく成功しておらず、私の時代に誰もいない技を身に着ければ、一つの選手の武器として魅了できると感じていました」

 だから、17歳だった2002年グランプリ(GP)シリーズのスケートアメリカで17年ぶり、史上3人目の成功者となった経験は格別だった。

「世界で数人しか成功させていない技をISUの公式戦で認められたのは自信になりましたし、本当に大きな出来事でした。当時の成功率は8~9割。そのくらいの成功率じゃないと、本番で跳べないと学びました。5割では、まさに一か八かで厳しい。練習で100%できていたものができなくなるのが大会の怖さでもあるので、8~9割でなんとかできるかなという感じでした」

 奥の深いトリプルアクセル。それを象徴するように4回転ジャンプを跳べても、トリプルアクセルが跳べない選手もいる。今のロシア勢にもいるし、日本人で初めて4回転ジャンプ(サルコウ)を成功させた安藤美姫もそうだった。

 中野さんは「一番は得意、不得意の違いだと思います」と分析。アクセルジャンプが得意、不得意はどこで分かれるのか。

「これは、好きか嫌いかによると思います。アクセルは唯一、前向きに踏み切るジャンプ。(進行方向が見えて)多少の恐怖心があったり、タイミングが上手く合わずに高さが出なかったり。人間誰しも苦手意識が一度つくとなかなか拭えず、克服することは難しい。それであれば、トリプルアクセルで立ち止まっているより、4回転に挑戦して習得した方が成長は早いし、基礎点も高くなる。そういう背景もあると思います」

 3回転ジャンプを5種類跳べるようになったら、次にトリプルアクセルか、4回転ジャンプに挑むかが習得の分かれ道になっているという。ちなみに、中野さんが現役時代、最も美しいと思っていたアクセルの名手を教えてもらった。

「女子では圧倒的に伊藤みどりさん。小さな体であのスピード、高さと幅。私は高さと幅があまりなく、回転速度で勝負していました。跳び始めたら急いで回転しないと3回転半回り切らない。伊藤さんは滞空時間が長く、跳び上がってから回転し、3回転半回ってから降りてくる感じ。まさに男子選手顔負け。今の時代でも出来栄え点は素晴らしいものを引き出すと思います。

 男子ではエフゲニー・プルシェンコさん(ロシア)。パフォーマンスに華があり、注目される選手でしたが、ジャンプも圧巻でした。独特なジャンプかもしれませんが、技術が高かったので私はよく見ていました。どちらかというと幅よりも高さがあるジャンプを跳び、跳ぶ前の構え、腕の振り上げ方を見て、参考にさせてもらいました」

「一度跳んでしまうと、また跳んでみたくなる。それがトリプルアクセル」

 もう一人、日本人で代表的なトリプルアクセルの使い手といえば、浅田真央さん。

 中野さんが特に覚えているのは自己最高点で優勝した14年世界選手権といい、「もともと筋力を生かして跳んでいる印象だったものが、2010年に佐藤信夫コーチに師事してから完成度がさらに上がり、公式練習から見ていて失敗する気がしないくらい。もともとの素晴らしさをさらに超えていった大会だったと思います」と思い返し、非凡な能力を証言した。

 伊藤みどりが初めて成功させてから33年。世界では12人の女子選手がISU公認大会で認定させた。12月の日本選手権では紀平が成功させて優勝。樋口新葉、吉田陽菜、河辺愛菜らも挑戦したことは記憶に新しい。

 中野さんは「全日本でたくさんの選手が挑戦し、トリプルアクセルが選手にとってすごく身近になっていると感じました」と言い、変化を喜んだ。

「それが当たり前なんだ、時代は変わったんだと。ほかの選手も練習ではたくさん挑戦し、すでに成功しているのではないでしょうか。ロシア勢が次々と4回転ジャンプを跳び始め、4回転を跳ばないと勝てない時代と言われています。確かに基礎点では4回転の方が高いですが、トリプルアクセルも跳べばプログラムの構成、見栄えも確実に変わってくる。戦える一つの武器になります。未来につながる選手がたくさんいると垣間見えました」

 4回転サルコウとともにトリプルアクセルを武器にする紀平が初優勝を目指す世界選手権(ストックホルム)が24日に開幕。その成否がカギを握る。最後に、中野さんにとってのトリプルアクセルの魅力について聞くと「トリプルアクセルって、病みつきになるものなんです」と表現した。

「一度跳んでしまうと、また跳んでみたくなる。誰しもができる技ではないので、だからこそもう一度、人に見てもらいたくなる。それが、トリプルアクセルというものなんじゃないかと思います」

 同じ「トリプル」がつくジャンプでも、多くの者が挑戦しては跳ね返される高い壁。だからこそ、選手もファンも、その魔力に魅了される。

■中野友加里/THE ANSWERスペシャリスト

 1985年生まれ。愛知県出身。3歳からスケートを始める。現役時代は女子選手として史上3人目の3回転アクセル成功。スピンを得意として国際的に高い評価を受け「世界一のドーナツスピン」とも言われた。05年NHK杯優勝、GPファイナル3位、08年世界選手権4位。全日本選手権は表彰台を3度経験。10年に引退後、フジテレビに入社。スポーツ番組のディレクターとして数々の競技を取材し、19年3月に退社。現在は講演活動を務めるほか、審判員としても活動。15年に結婚し、2児の母。自身のYouTubeチャンネル「フィギュアスケーター中野友加里チャンネル」を開設し、人気を集めている。(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)