バレーボール 益子直美インタビュー(前編) "美女バレーボーラー"として女子バレー人気を牽引し、現在はタレント・キャスターとして活動する益子直美。高校、実業団でエースアタッカーとして活躍し、全日本代表にも選出されたが、1992年、25歳の若…

バレーボール 益子直美インタビュー(前編)

 "美女バレーボーラー"として女子バレー人気を牽引し、現在はタレント・キャスターとして活動する益子直美。高校、実業団でエースアタッカーとして活躍し、全日本代表にも選出されたが、1992年、25歳の若さで現役を引退。輝かしいキャリアとは裏腹に、本人は「バレーボールが嫌いで早く引退したかった」と振り返る。

 自身が"バレーボール嫌い"になった経験をもとに、2014年から「監督が怒ってはいけない」というルールを設けた小学生バレーボール大会「益子直美カップ」を主宰。アンガーマネジメントの認定資格を取得し、「怒らない指導」の普及を目指している。そんな益子直美に、同大会を開催した経緯や、現役時代に経験したスポーツ現場の問題点について語ってもらった。

「怒らない指導」の普及に努める益子直美

「監督が怒ってはいけない大会」が生まれた理由

―― 2014年(第0回大会)から始まった「益子直美カップ」。2021年はコロナ禍の影響で開催できなかったんですよね。

「今年1月に福岡で第7回大会を開催する予定でしたが、残念ながら中止になってしまいました。ただ、毎回楽しみにしてくれている子どもたちも多いので、"6.5回"大会ということで、大山加奈さん(元日本代表)にゲストで入ってもらってオンラインイベントを開催しました。バレーボール川柳やチーム写真を応募してもらうなどしたのですが、チームが1つになって取り組んだという思い出になればいいなと」

―― 「益子直美カップ」には「監督は怒ってはいけない」というユニークなルールがあります。どのような経緯で始まったのですか?

「以前LGBTの方向けのバレーボール大会をしていたときに『小学生向けの大会をしませんか?』とお声がけいただいたのがきっかけで、『益子直美カップをやりますよ』と参加チームを募集したんです。このときはまだ、ルールは発表していませんでした。でも、開会式の前日、私がスタッフに『ずっと言えなかったのですが、監督が怒ってはいけないルールを設けたい』と相談したんです。ダメと言われたら諦めようと思っていたところ、スタッフも『すごくいいですね』と賛成してくれて。開会式当日に初めてルールを発表しました。だから、監督さんたちは怒ってはいけない大会だと知らずに参加することになったんです(笑)」

―― 監督たちも、当日にルールを聞いてびっくりしたでしょうね。

「そうですね。だから、ルールが公表されている2回目は参加してくれないんじゃないかと思っていましたが、ほとんどがリピーターのチームでした。『なぜ今回も参加してくれたんですか?』と聞いたら、『子どもたちが出たいって言うんだよ』と。クチコミでも広がって50チーム以上が集まりました」

―― 「監督が怒ってはいけない」というルールを設けた意図は?

「『益子直美カップ』は小学生向けの大会で、バレーボールを始めたばかりの子もたくさん参加しています。小学生の頃はスポーツを始める入り口の段階なので、厳しい指導をするよりも、まずは『バレーボールって楽しい』『明日も練習したい』と思ってもらうことが大切です。そのためにも、子どもたちが楽しんで取り組める環境をつくりたいと考えました」

ミスを怒られる環境ではチャレンジしなくなる

―― 益子さん自身は、厳しい指導を受けて強くなってきた世代ですよね。

「私は昭和の世代。監督やコーチに毎日厳しく怒られ、叩かれることすら当たり前の環境で育ちました。厳しい指導があったからこそ体が強くなり、技を磨くことができた反面、心の部分は育たずに、ネガティブな気持ちをずっと持ち続けていました。『ミスをしたら怒られる』という気持ちが常にあったので、監督に言われたとおりのプレーしかせず、それも思うように決まらない。勝つためには自分自身の工夫が必要なのに、ミスが怖くてチャレンジができない。無難なプレーしかできなかったんです」

―― 厳しすぎる指導ゆえに自主性が育たなかった、と。

「『怒られる=何をすべきか答えを教えてもらっている』ということなので、自分自身の思考がストップしてしまうんですよね。私の場合、高校までは言われたとおりにしか動いていなくて、社会人になった途端に『自主性を持て』『バレーを楽しめ』と言われた。だからどうしたらいいかわからず、結局引退まで悩み続けました」

―― 子どもの頃から受けてきた指導が、将来にも影響を及ぼすんですね。

「そうですね。私も現役時代は『オリンピック選手になりたい』と上辺では言っていましたが、実際には具体的にどういう選手になりたいかとか、オリンピックに出てどうなりたいかとか、明確なビジョンをまったく持っていませんでした。引退後に初めて、バレーボールだけが上手でも生きていけないんだなと気がついたんですよね」

―― 楽しみながらプレーをすることの重要性が説かれる一方で、「そんな甘い考えでは強くなれない」という声も聞かれます。

「かつての恩師に『監督はどんな指導を受けてきたんですか?』と聞いたことがあるのですが、『俺たちの時代はもっとひどかった』とおっしゃったんです。当時は指導法が確立されておらず、学ぶ機会もなかったので、自分が受けてきた指導がそのまま連鎖していたんですよね。だから、どこかでその流れを断ち切らないといけない。

 厳しい指導を受けても、プレッシャーを跳ね返して強くなる選手はいますが、私のようにトラウマになってしまう選手もいます。ストレスで体調を崩したり、自信を持てなかったり、なかには自殺してしまうケースもあります。そういう現状を多くの方に知っていただきたいし、強くなるため、勝つためという理由で暴力や暴言をともなう厳しい指導が許されることはあってはいけないと思います」


「昭和の指導の連鎖を断ち切りたい」と語る

 

怒らない指導を伝えるために、自分が変わらないといけない

―― 昭和の考え方を持ったまま引退したのち、今のような考え方に変わったきっかけはあったのですか?

「『益子直美カップ』が回を重ねていくなかで、監督さんから『怒る代わりにどういう指導をすればいいのか』と聞かれることが増えたんですね。でも、私も怒られる指導しか受けてこなかったので答えがわからなかったんです。『怒らないで』『指導方法を変えましょう』と言っている自分が何も変わっていないことに気がついて、1から勉強しようと思いました。

 でも、新しいことを勉強するのってプライドが邪魔をするんですよね。『なんで50歳を過ぎて、自分ができないことをさらけ出さなきゃいけないの』って。でも、今やらないと私は一生変われないと考えて、学ぼうと決意しました」

―― 具体的にはどんなことを?

「過去の自分自身の経験から『怒ったらだめ』ということは伝えていたのですが、なぜだめなのかを自信を持って説明できなかった。そこで、アンガーマネジメントのセミナーを受けました。怒りの感情が湧く理由や、怒りを抑えるための方法を具体的に教えてもらって、すごく面白かったんです。ほかにも、短い言葉でやる気を引き出すペップトーク、相手を褒める言葉のかけ方、モチベーションの高め方、本番で実力を発揮するための手法などを学ぶスポーツメンタルコーチングの認定資格も取得しました」

―― そうした学びが「益子直美カップ」にも活かされているんですね。

「そうですね。日本はまだ遅れていると思いますが、海外ではメンタルコーチを取り入れているチームや選手がたくさんいます。私自身、アンガーマネジメントのセミナーで学んだことを、できれば現役時代に知りたかったなって(笑)。知識を得たことで、『益子直美カップ』でもなぜ怒ってはいけないのかを明確に説明できるようになりましたし、これからも発信していきたいですね」

(後編につづく)

【Profile】
益子直美(ますこ・なおみ)
1966年東京都生まれ。中学時代にバレーボールを始め、強豪・共栄学園に進学。1984年の春高バレーでは2年生エースとしてチームを準優勝に導いた。高校3年時にバレーボール女子日本代表に選出され、高校卒業後はイトーヨーカドーへ入社。チームを日本一に導く活躍を見せたが、1992年、25歳の若さで現役を引退。以降は、タレント・キャスターとしての活動と並行して、小学生バレーボール大会「益子直美カップ」を主宰するなど、「怒らない指導」の普及に尽力している。