「全豪オープン」(オーストラリア・メルボルン/本戦1月16~29日/ハードコート)の大会13日目に行われた女子シングルス決勝で、セレナ・ウイリアムズ(アメリカ)が姉ビーナス・ウイリアムズ(アメリカ)を6-4 6-4で下して全豪…

 「全豪オープン」(オーストラリア・メルボルン/本戦1月16~29日/ハードコート)の大会13日目に行われた女子シングルス決勝で、セレナ・ウイリアムズ(アメリカ)が姉ビーナス・ウイリアムズ(アメリカ)を6-4 6-4で下して全豪2年ぶり7回目、グランドスラム23回目の優勝を飾った。

 最後のグランドスラム決勝から7年以上が経っていたのだから、妹のセレナと対戦するためロッドレーバー・アレーナに足を踏み入れたときにビーナスがちょっとばかりナーバスになっていたとしてもそれは許されることだったろう。反対に彼女は、その出来事を喜んで抱き留めた。

 ウォームアップの際に微笑んでいたのはビーナスの方であり、試合の出だしでよりリラックスしているように見えたのもビーナスだった。22度のグランドスラム大会優勝歴を誇りながら、1ゲームの間に3度ダブルフォールトしてサーブを落とした妹のセレナの方ではなかったのである。

 そしてセレナがようやく落ち着き、ビーナスを圧倒して全豪での7度目の優勝と23度目のグランドスラム・タイトルというオープン化以降の記録を樹立したとき、ビーナスはこれまで妹と対戦した本当に多くの機会でもそうだったように美しく愛情深い敗者だった。

 ビーナスにとってはただこの段階に至ること、グランドスラム大会の最後まで勝ちあがり、満杯のスタジアムでタイトルを目指して戦うこと自体が勝利だったのである。

「準備はできている、と感じていた。もう何年も決勝でプレーしていなかったけれど、それは忘れることないものなのだと思う」と彼女は言った。「私は(過去に)かなりの数の決勝をプレーしてきたから、経験が私を支えてくれていたのよ」。

 2011年にビーナスが自己免疫疾患であるシェーグレン症候群と診断されたことを明かしたとき、彼女がお気に入りのウィンブルドンでの5度を含め、7度グランドスラム大会を制したときの圧倒的存在に戻ると予想した者はほとんどいなかった。病や故障と闘っている間にそのランキングはトップ100の外に落ち、2011年から2014年の間、彼女はグランドスラム大会で1度だけ3回戦を超えられたに過ぎなかった。

 しかしながら、早期敗退が続いて引退についての質問が繰り返されてもビーナスは進み続けた。

 これらの質問は今でも投げられているが、彼女はいまやそれをうまくいなすことに慣れている。そしてビーナスのここにきての復活ぶり――彼女は来週11位に浮上する――は、彼女は自身がプレーしたいと望むだけ長くテニス界の強豪である続けるだろう、ということを示唆している。

「私は続けることにモチベーションを感じている。出ていって、私にはできると分かっているやり方でボールを打ち続けたい」と彼女は言う。「それが私を上達させることができる、頼みとできる唯一のことなの」。

 セレナは歴史に残る偉業を成し遂げているが、このところのビーナスもまた彼女の印を刻んでいる。2度の全豪決勝進出の間の14年のギャップ(2003~2017)は、7年というそれ以前の記録を粉砕した。グランドスラム決勝進出の間の7年半のギャップ(09年ウィンブルドンから17年全豪)も、それ以前の記録を6ヵ月の差で破った。36歳の彼女はオープン化以降の時代で最年長の全豪ファイナリストだ。

 そしてもし誰かが彼女の情熱を疑うなら、準決勝でココ・バンダウェイ(アメリカ)を倒したあとの彼女の抑えのきかない喜びがすべてを語っている。

「自分を抑えようとはしていたのよ。でもすごく難しかった。必死に自分を抑えようとしていたの」と満面の笑みを浮かべながらビーナスは言った。「でも、‶自分のための瞬間″を手にしたときには、それを楽しまなきゃね」(C)AP