「THE ANSWER的 国際女性ウィーク」3日目、テーマは「女性アスリートと摂食障害」「THE ANSWER」は3月8日の「国際女性デー」に合わせ、女性アスリートの今とこれからを考える「THE ANSWER的 国際女性ウィーク」を始動。「…

「THE ANSWER的 国際女性ウィーク」3日目、テーマは「女性アスリートと摂食障害」

「THE ANSWER」は3月8日の「国際女性デー」に合わせ、女性アスリートの今とこれからを考える「THE ANSWER的 国際女性ウィーク」を始動。「タブーなしで考える女性アスリートのニューノーマル」をテーマに14日まで1週間、7人のアスリートが登場し、7つの視点でスポーツ界の課題を掘り下げる。3日目のテーマは「女性アスリートと摂食障害」。元フィギュアスケート五輪代表の鈴木明子さんが登場する。

 フィギュアスケート、陸上長距離、体操など、体重の軽さが生きるとされる競技、階級別で試合が行われる競技、モデル・アイドルらビジュアルが重視される“見られる職業”も直面しやすい摂食障害。鈴木さんも現役時代に患い、18歳で身長160センチ、体重32キロになった経験を持つ。当時について「食べることが怖くなった」と打ち明け、体重管理に過敏な女性アスリートに向け、メッセージを送った。(文=長島 恭子)

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 10~20代の女性に多くみられる疾患、摂食障害。徹底して食べない(あるいは食べても体外に出す)「拒食症」や無茶食いを繰り返す「過食症」の症状で知られるが、精神的な原因から、食欲や食行動の異常をきたす。

 アスリートの発症リスクは一般人口に比べ、2~3倍あるという報告がある。その理由は発症の主な要因である「<1>体重に対する過度のこだわりがある、 <2>自己評価への体重・体形の過剰な影響が存在する、といった心理的要因」(厚労省「みんなのメンタルヘルス総合サイト」より一部抜粋)や、完璧主義・強迫性・抑圧性といったアスリートの持つ性格・行動の特性にある、といわれている。

 プロフィギュアスケーターの鈴木明子さんも、競技選手時代、摂食障害に苦しんだ一人だ。

「フィギュアスケーターが体重を気にする理由はいくつかあります。まず、体形がはっきりと人にさらされること。そして、体形・体重が競技のクオリティに影響することです。

 例えば、回転は軸が細いほど速く回れるので優位です。子どもから大人に成長すると、女性の多くは丸みを帯びてくる。すると、骨盤が拡がり、お尻や胸が大きくなり、どうしても負荷になります。

 また、体重増加は着氷時に脚にかかる負担も大きくなり、ケガもしやすいという面もある。しかし、簡単に言うと『太ると跳べなくなるよ=太ってはダメだよ』という図式が脈々とあり、その一言で片づけられてしまうのが問題です」

 特に4回転ジャンプが当たり前になってきた昨今、成長期の体型変化が若い女性フィギュアスケーターたちに及ぼす、心の影響の深刻さを鈴木さんは指摘する。

「女性は初経を迎えると、女の子から大人の女性の体型へと変化します。成長過程で身長が伸びるだけでもバランスは変わりますし、体が丸みを帯びて、体重も重くなれば、当然、子どもの頃、ぴょんぴょん跳べていた選手も、だんだんと体のコントロールが難しくなる。普通に考えれば、当たり前のことですが、この変化を乗り越えられず苦しむ選手が多いのです」

 世界に目を向けると、フィギュアスケート界では鈴木さんに限らず、各国のスター選手たちが摂食障害を告白している。日本でも特に大きく報じられたのは、ソチ五輪団体戦で優勝し、史上最年少冬季五輪金メダリストとなったロシアのユリア・リプニツカヤの告白。彼女は拒食症を患い、2015年、「健康上の問題」という理由で19歳で引退した。

 実は彼女が引退する1年以上前、鈴木さんは著書のなかで、体格の変化が激しいロシアの10代の選手たちが、思春期を乗り越えられるか否かに注目している、と言及していた。

「競技選手時代、私はリプニツカヤ選手とも試合会場で一緒になることが多く、表情や様子を見ながら『心は大丈夫かな』と、案じていました。特にリプニツカヤ選手の場合、ソチ冬季五輪シーズンはメディアの注目を浴び、国を挙げてメダルを期待されていました。結果、個人戦で金メダルを獲ったのは同じロシアのアデリナ・ソトニコワでした。さらにロシアでは次々に新しい選手が出てくることもあり、何となく、すごく消耗されている感じがしてしまって。

 ソチの頃、15歳だった彼女は、まだ少女の体型でした。このまま成長したらどんなスケートが観られるのだろう、と楽しみだった反面、体形の変化やプレッシャーを乗り越えることは、すごく難しい問題なんだろうなとも感じていました。この無言の重圧はロシアのみならず、あらゆる国籍のスケーターが本人も気づかないうちに体や心で感じています」

15歳の初経から意識した体形変化、「太ってはいけない」恐怖心から摂食障害に

 鈴木さん自身も体形の変化を意識するようになったのは、15歳。きっかけは、初経を迎えたことだった。当時の鈴木さんのベストは160センチ、48キロ。しかし、50キロに近づくときもあった。

「それでも私は、親がしっかり食事を整えてくれたので、大きな体重の変化はありませんでした。ただ、『女子選手は生理が始まると難しくなる』『あの子は太ったから跳べないんだ』という言葉は常日頃耳にした。実際、体重増加でなかなかよい成績が出せず、苦しむ先輩選手も目の当たりにしていたため、『太ってはいけない』という恐怖心と『自己管理をしっかりしなきゃ』という責任感が大きくなっていった」

 スケートを上達させるためという体重管理の本来の目的から、いつの間にか「体重を管理すること」が目的になった。この強い責任感が、後に摂食障害を発症する要因になる。

「1、2キロ増えても次の練習までには調整して臨んだので、いつも『鈴木さんは偉いね、ちゃんと体重を管理していて』と周囲から褒められていました。そのことで『鈴木明子という選手は、完璧に体形を維持できなければいけないんだ』と、勝手にプレッシャーを感じ、変化をすることをすごく恐れるようになったんです」

 さらに、「(体重は)47キロにしておきなさい」という指導者の一言が追い打ちをかける。「あと1キロ減らさないと」という想いは心の棘となり、次第に根深く根を張っていく。そして、大学に進学を機に一人暮らしを始めると、いよいよ「食べることが怖くなってしまった」(鈴木さん)。

 最初に「脂質は太る」と脂身のある肉を排除。次の段階は「油もダメ」。ドレッシングはノンオイル、油で調理した野菜も食べなくなり、炒め野菜が入ったスープさえも怖かった、という。口にできたのは、豆腐、野菜、ヨーグルト、果物。果物でもバナナは「糖質が多い」と口にできなかった。

「食べられない」以外の症状も現れた。頭では「何か食べなきゃダメだ」とわかっている。しかし、スーパーに行くものの、店内をただ、グルグルと歩き続けた。

「どうしよう、何を食べればいいのだろう? 何が食べられるのだろう? そう考えながら歩くだけで、お腹がいっぱいになるんですね。太るのが怖いから、食品のカロリーなども全部頭に入っていて、『これは何カロリーあって、脂質はこのぐらいで……』とすべて数字で見てしまう。結局、同じものしか食べられないんです」

 大学生活の1か月で、48キロあった体重は40キロに落ちた。38キロまで落ちたとき、見かねた大学側から自宅での静養を提案される。

「この病気の怖いところは、『私は拒食症かもしれない』と不安に思っているのに、体重が減っていると、『大丈夫、私は頑張れている』というプラスの評価を下してしまうことです。

 数字の減少は本人にとってはわかりやすい『成果』です。毎日が不安だった私は、手っ取り早く評価が得られるものに、執着してしまった。今なら冷静に分析できますが、当時は、スケートがうまくなるどころか、体が弱り、滑れなくなっていることにも気づけなかった」

 実家に戻り、精神科の治療も受けた。しかし、「お願いだから食べて」と懇願する母の姿に、親を悲しませる自分をさらに責めるようになったという。大学も行けない、起き上がることもできない。大好きなスケートもできない。

「私は何のために生きているのだろう」。食べられない日々は続き、6月下旬、体重はついに、32キロまで落ちた。

 起き上がれないほど衰弱しきった鈴木さんが回復するきっかけになったのは、「食べられるものから、食べればいいわよ」という母親の言葉だった。

「『口から栄養が摂れているんだから大丈夫! 食べられているじゃない!』という母親の言葉を聞き、あぁ、普通に食べることができず人に迷惑しかかけていない私でも、生きてていいんだと初めて思えました。

 それまでの私は、頑張ることで人に認めてもらいたかったし、子供の頃からずっと、いい子でいなきゃ、自慢の娘でいなくては、と強く思っていました。でも、母の愛情を感じ、『もう頑張らなくていいんだ』と自分自身を許すことができた。それが、回復のきっかけです」

「頑張らなくていい」という気づきは「人に頼ってもいいんだ」という気づきにもつながった。

「食べたら治るんでしょ?」の声に閉ざした口「理解されないから声を上げられない」

 一人暮らしに戻った後も、うまく食べられる日と食べられない日を繰り返した。また、「痩せ細った体を見られたくない」と人目を避けるように過ごした。エレベーターで他人が至近距離にいたり、買い物中、後ろから人が近づかれたりすることも怖い、という摂食障害からくる対人恐怖症とも闘った。

 それでも、うまくいかない日は、母に電話をしたり、信頼する近所の内科医の元に駆け込んだりしてSOSを発信。「誰にも弱みは見せられない」と歯を食いしばってきた鈴木さんにとって、これが、大きな変化だった。

「急に一つの食べ物に固執することもあり、食べ続けて過食になるんじゃないか、という恐怖心もありました。でも、病院の先生は『そのうち飽きるから大丈夫!』と言い、『ご飯を食べるのが怖い』と母に電話すると、『大丈夫。明日はきっとちゃんと食べられるわよ』と言われた。『大丈夫、大丈夫』。その言葉が、すごく心強かった」

「声を上げれば助けてくれる人はたくさんいる」と鈴木さんは言う。しかし、「摂食障害は理解されないからなかなか声を上げられない」とも話す。

「私は痩せていく間、自分が『おかしい』と思われたくなかったので、自分の状態を絶対に人に言えなかったし、気づかれたくありませんでした。

 はっきり覚えていることは、食べられなくなって、痩せてきて、体力がなくなり調子も悪くなってきた頃、不安を話した知人に『食べたら治るんでしょ? 食べればいいじゃん』って言われたこと。この一言で私は、口を閉ざしてしまった。

 食べなきゃいけないことはわかっている。だけど、食べる恐怖心が勝ってしまう。このことは、甘えだと思われるんだ、理解してもらえないんだ、と感じたからです。

 でも、赤ちゃんだって、お腹が空けば自分からおっぱいを飲みますよね。『食べる』って人として当たり前すぎて、理解してもらえない。今はその気持ちもわかります」

 人からの何気ない一言に打ちのめされたからこそ、鈴木さんは摂食障害を自分だけのこととして、帳を下ろすことはできなかった。

「私が自分の経験をお話しするのは、摂食障害を患っている人は、理解してもらえないことに苦しんでいることをわかってほしいからです。食べれば治る。でも、それさえも怖いという心情を、理解するのは難しくても知って欲しい。そのためには、伝え続けることが大事だと考えています」

 最近、鈴木さんは一冊の本と出会った。たまたまSNSでフォローしていた料理研究家・Mizukiさんが出版したエッセイ「ふつうのおいしいをつくる人」だ。Mizukiさんはそのなかで、体重が23キロまで落ちた、壮絶な摂食障害の経験を綴っていた。

「やはり自分のことを思い出すので、読み進めるのにすごく勇気がいりました。ましてや、著者のMizukiさんは、過去のすべてを思い返し、書いていくことは大変な作業だったと思います。

 完璧主義なところ、お母様との話、そのほか綴られていた様々なエピソードは、自分とすごくリンクする部分が多かった。なかでも衝撃的だったのが、『(体重が)23キロになっても死ななかった。死ねないのなら治るしかない』という言葉です。

 私もどうにもならなくて自暴自棄になっていたときに、何のために生きているのか、どう生きたらいいのかわからない、と考えていました。

 するとあるとき、体中に産毛が生えてきた。その時、病院の先生に『この産毛は、脂肪がないから体が冷えないよう、臓器を守るために生えてきたのよ。体は諦めていないの。生きたいって思っているんだよ』と言われたんです。

 生きようとする力が自分の体のなかにはまだある。それなのに自分から諦めちゃいけないんだよと、体から教えてもらった気がした。その時、必死に『生きよう』と思えたことが思い出されました」

 重度の摂食障害を経て、今、料理の仕事をしているMizukiさんの存在を、鈴木さんは「希望になる方」と表現する。

「摂食障害に苦しむ方を支える周囲の方、どうしたら支えられるのかわからない、という方に、是非、読んで頂きたい一冊です」

好転のきっかけは体重を「諦めた」こと「自分の感覚を信じればいい」

 摂食障害により、一時期リンクから離れることになった鈴木さんがリンクに復帰したのは約5か月後。翌年には国際大会にも出場するようになったが、肉を食べられるようになったのは、3年も後のことになる。その過程で大きかったのは、「体重を『諦めた』こと」だという。

「もうずーっと、朝起きたら計って、何か食べたら計って、を繰り返してきました。で、あるとき思ったんです。数字よりも、自分が動けていると感じれば、それがベストなんじゃない? もう今までこれだけ体重計に乗ったんだから、もういいやって。今日、体が軽いのか、重いのかという自分の感覚。そして、鏡に映る自分の姿を信じればいい、と」

 体重が減ること以外に目が向くようになると、段階的に食べられるものや、できることが増えていった。そして、体重も食べ物も数字でジャッジしてきた鈴木さんは自分の感覚を信じるようになり、ついには体重計を手放した。

「極端な例ですし、オススメはしません(笑)。ただ、体重を気にしすぎる私の場合、排除したことがよかった」

 以来、競技生活の間、年1回、国立スポーツ科学センター(JISS)でのアスリートチェックと、病院に診察などに行ったという以外、体重を計らなくなった。冬季五輪に出場した際も、一度も計測していない。

 今振り返っても、なぜ、あれほど体重に執着したのか、自分でもわからないところがあると言う。

「ベスト体重は人それぞれ。筋肉質で元々重めの人もいれば、ちょっと痩せると体力的に続かない人もいます。数字に振り回されないためには『自分の一番調子のいい状態』を普段から把握しておくことがとても大事です。変化がダメではなく、変化を受け止めたうえで、理想のアスリートに成長する。日々、自分は更新されているんだ、という考えを持ち、今の体で最高のコンディションを保てるよう、ベストを尽くすことが大切だと思います」

【「摂食障害」について語った鈴木明子さんが未来に望む「女性アスリートのニューノーマル」】

「女性アスリートはもっと欲張っていい。選手として頑張りたい。でも、女性としても幸せになりたい。それでいいと思います。体を犠牲にした結果、選手時代の一瞬が人生のハイライトでは寂しい。だからこそ、もっともっと、女性の体に対する理解が進み、選手たちが不安や疑問の声を上げやすい環境になってほしい。そして思春期の体の変化を受け止め、まさに『女の子』から『女性アスリート』へと成長し、競技を続けてほしいですね」

■鈴木 明子 / Akiko Suzuki

 1985年3月28日、愛知県生まれ。6歳からスケートを始め、2000年に15歳で初出場した全日本選手権で4位に入り、脚光を浴びる。東北福祉大入学後に摂食障害を患い、03-04年シーズンは休養。翌シーズンに復帰後は09年全日本選手権2位となり、24歳で初の表彰台。翌年、初出場となったバンクーバー五輪で8位入賞した。以降、12年世界選手権3位、13年全日本選手権優勝などの実績を残し、14年ソチ五輪で2大会連続8位入賞。同年の世界選手権を最後に29歳で引退した。現在はプロフィギュアスケーターとして活躍する傍ら、講演活動に力を入れている。「THE ANSWER的 国際女性ウィーク」では14日のオンラインイベントにも登場する。

<鈴木明子さん「THE ANSWER的 国際女性ウィーク」オンラインイベントに登場> 最終日の14日に女子選手のコンディショニングを考える「女性アスリートのカラダの学校」を開催。アスリートの月経問題について発信している元競泳五輪代表・伊藤華英さんがMC、月経周期を考慮したコンディショニングを研究する日体大・須永美歌子教授が講師を担当。第1部にはレスリングのリオデジャネイロ五輪48キロ級金メダリストの登坂絵莉さん、第2部には元フィギュアスケート五輪代表の鈴木明子さんをゲストに迎え、体重管理、月経、摂食障害など実体験をもとに議論する。参加無料。応募は「THE ANSWER」公式サイトから。

(「THE ANSWER的 国際女性ウィーク」4日目は「女性アスリートと恋愛」、プロマラソンランナー・下門美春さんが登場)(長島 恭子 / Kyoko Nagashima)

長島 恭子
編集・ライター。サッカー専門誌を経てフリーランスに。インタビュー記事、健康・ダイエット・トレーニング記事を軸に雑誌、書籍、会員誌で編集・執筆を行う。担当書籍に『世界一やせる走り方』『世界一伸びるストレッチ』(中野ジェームズ修一著)、『つけたいところに最速で筋肉をつける技術』(岡田隆著、以上サンマーク出版)、『走りがグンと軽くなる 金哲彦のランニング・メソッド完全版』(金哲彦著、高橋書店)など。