『特集:女性とスポーツ』第8回バレーボール大友愛 インタビュー(後編)中編から読む>> 2012年のロンドン五輪で銅メダル獲得に貢献した大友愛は、翌年に現役を引退。現在は4人の子どもたちと多くの時間を過ごしている。一番上の娘は中学校のバレー…

『特集:女性とスポーツ』第8回
バレーボール大友愛 インタビュー(後編)中編から読む>>

 2012年のロンドン五輪で銅メダル獲得に貢献した大友愛は、翌年に現役を引退。現在は4人の子どもたちと多くの時間を過ごしている。一番上の娘は中学校のバレー部に所属しているが、どのようにその成長を見守っているのか。


笑顔で子どもたちの成長について話す大友愛さん

 photo by Matsunaga Koki

――大きなケガを乗り越えて出場した2012年ロンドン五輪。準々決勝の中国戦が大きなヤマだったと思いますが、選手たちの様子はいかがでしたか?

「中国にリードを許して追いかける形だったので、見ている方はハラハラしたでしょうね。でも、あの時にコートに立っていたメンバーは、『負ける気がしない』と思っていたはずです。国際大会で中国にはほぼ勝てていませんでしたが、(2010年の)世界選手権で銅メダルを獲得した自信もあって、『絶対にメダルを取れる』という雰囲気ができていました。相手との駆け引きも楽しくて、『あぁ、試合が終わっちゃう』という感情が芽生えていましたね」

――中国をフルセットの末に下し、準決勝でブラジルに敗れ、韓国との3位決定戦に回ることになります。

「ブラジル戦はまったく覚えていないんですが(笑)、韓国とは対戦成績もよかったですし、高い確率でメダルが取れると思っていました。私自身は絶不調だったんですけどね。中国戦で力を出し切ってしまった感じがありました。でも、『交代させられるかな?』と思ってベンチを見ても、眞鍋(政義)監督は動かなかった。一度引退した私を現役復帰に導いてくれたのは眞鍋さんですし、この瞬間のために呼んだんだから最後までコートに立て、ということだったのかもしれません」

――メダルが決まった瞬間のことは覚えていますか?

「セットカウント3-0で勝ったので展開も早く、3セット目は涙をこらえていました。私は(Vリーグの2012-13シーズンで)引退すると決めていたので、『この試合が終わったら、このメンバーとは2度とバレーができないんだ』と。だから試合が終わった瞬間は、安堵感や寂しさなどいろんな感情がごちゃまぜになって、メダルのことは忘れていました。それがすごいことなんだと実感したのは、帰国して多くのファンの方の祝福を受けた時ですね」


ロンドン五輪で銅メダルを獲得した女子バレー日本代表

 photo by Ishijima Michi

――"ママさんアスリート"としての挑戦を、あらためて振り返っていかがですか?

「私は、自分のために頑張ることと、子どものために頑張ることは、まったく違うベクトルであることを感じました。練習などでも、常に子どもと一緒にいられることは親としてはすごく幸せではありますが、やはり子どものことを優先してしまうので、高いパフォーマンスを保つことが難しくなることもあると。練習後に『体のケアをしたいな』と思っても、練習の場に子どもがいれば、いち早く子どものところに行きたくなりますし。決して『邪魔』と思っているわけではなく、切り替えが難しくなる、というのが私の感覚でした。

 もちろん、一緒にいられることが力になる選手もいると思います。それぞれにとって競技に集中するためのベストな形があると思うので、それが可能になるような選択肢が増えるといいなと思いますし、より周囲の理解が進むといいですよね。プレーを諦めなくてもいい環境が整っていけば、妊娠・出産で一度プレーから離れても、トップレベルに戻れるアスリートが多くなるでしょう」

――現在はお子さん中心の生活ですか?

「今はもう、自分のことはどうでもいいです(笑)。自分の子どもたちもそうですが、バレー関係の仕事を通じて、夢を抱いて頑張っている子たちを後押ししていきたいです。関わったすべての子どもたちがバレーボール選手になるわけではないですが、競技の楽しさ、人と人とのつながりといったことを伝えていけたら嬉しいです」

――大友さんには4人のお子さんがいますが、このスポーツをしてもらいたい、といった思いはありますか?

「自分がやりたい競技でいいので、何かのスポーツはやってほしいと思っています。苦しい経験をすることもあるけど、そこで達成感や仲間の大切さなどが学べると思うので。私も、バレーを通してさまざまなことを経験できましたから、子どもたちもいろいろな刺激を受けてほしい。その経験を通して、いろんな人に気を遣える人になってほしいし、逆に困った時に手を差し伸べてもらえるような人に育ってほしいです」

――現役復帰後に、プレーをしながら育てていた娘さんは、現在何歳になりましたか?

「今は14歳で中学2年生です。共栄学園のバレー部に入っていて、身長も180cmくらいありますよ。まだ線は細いんですが、先輩たちが引退してからはスタメンで出場する機会が増えたみたいです」

――ポジションはどこですか? 大友さんの現役時代と同じミドルブロッカーでしょうか。

「どのポジションというのは、ちょっとわからなくて......。共栄学園では、ツーセッターは定番ですが、今はスリーセッターをやっているとも聞きました。いろんなポジションで経験を積ませてもらっているようです。

 以前は、私のように日本選手の中で背が高い(184cm)選手はミドルブロッカーになることが多かったですけど、今はサイドアタッカーにもサイズが大きい選手もいます。もしセッターになったとしたら、高い身長が武器になりますよね。今はあらゆる可能性を試してほしいです」

――共栄学園といえば、東京都の中でも屈指の名門です。どういった基準で選んだんですか?

「私が指定したわけではありません。何校か見学した娘が『共栄学園に行きたい』と言ったからです。今後も娘が何かを選択するときには、できるだけ多くの選択肢を用意してあげて、やると決めたことをとことん頑張ってほしいです。本当は、中学生になる段階で決断をさせるのは早いのかな、とも思ったんですけど、『自分の選択は間違っていなかった』と思えるように努力してほしかったので」

――大友さんもバレーを教えることはあるんですか?

「私がいろいろ教えるのは、指導者の方も嫌でしょうからやっていません。でも、プレーを見ちゃうと『下がるのが遅いよ』とかついつい言ってしまうので(笑)、なるべく試合は見ないようにしています。

 でも、これから"大友愛の娘"という目で見られることが多くなるだろうことは伝えていて、『比べられるのが嫌だったらバレーをやめてもいい。好きなことをやるなら応援するよ』とも言っています。自分のレベルが高くなるにつれて、私と比べられることが多くなるでしょうから。心も成長過程なので、いろいろな思いを抱くだろうことは覚悟しています。

 私も若い頃は誰かと比べられるのが嫌で、『私は私』と思っていました。注目してもらえるのは、アスリートにとっては幸せなことですけどね。それを重荷にせず、娘らしくバレーボールを楽しんでもらえたらと思っています」

■大友愛(おおとも・あい)
1982年3月24日生まれ。宮城県仙台市出身。中学校からバレーをはじめ、仙台育英学園3年生の時に世界ユース選手権優勝を経験。2000年にNECレッドロケッツに入団し、日本代表にも選出される。2006年に一度は引退するも2008年に復帰し、2012年のロンドン五輪で銅メダル獲得に貢献。2013年に引退し、現在は4児の母。