『羽生結弦は未来を創る〜絶対王者との対話』第Ⅴ部 プログラムの完成(7)数々の快挙を達成し、男子フィギュアスケートを牽引する羽生結弦。常に挑戦を続ける強靭な精神力と自らの理想を果敢に追い求める情熱を持つアスリートの進化の歩みを振り返る。世界…

『羽生結弦は未来を創る〜絶対王者との対話』
第Ⅴ部 プログラムの完成(7)

数々の快挙を達成し、男子フィギュアスケートを牽引する羽生結弦。常に挑戦を続ける強靭な精神力と自らの理想を果敢に追い求める情熱を持つアスリートの進化の歩みを振り返る。世界の好敵手との歴史に残る戦いや王者が切り拓いていく未来を、長年密着取材を続けるベテランジャーナリストが探っていく。



2017年世界選手権で『ホープ&レガシー』を演じる羽生結弦

 前年11月に右足首を痛め、2018年2月の平昌五輪はぶっつけ本番となった羽生結弦。それでも、冷静に"今できること"を見極めて、2連覇を果たすことができたのは、『バラード第1番』と『SEIMEI』という、羽生結弦そのものを表現できると信じるプログラムがあったからこそだ。

 そのふたつのプログラムの表現への意識をいっそう洗練させることができたのは、前シーズンに演じたフリーの『ホープ&レガシー』で、"らしさ"の表現に臨んだ経緯にあった。

『ホープ&レガシー』は羽生が「曲を感じるままに表現できたらいい」と話していたプログラム。16年夏、羽生はこう話していた。

「去年(15年)の『SEIMEI』を含め、『バラード第1番』やエキシビションの『天と地のレクイエム』は、それ以前にやっていたものとはまったく違うジャンルで、違った風景があるものでした。そのすべてがいろいろと考えるきっかけになった。特にどのようにメリハリをつけながら表現すれば伝わるかということを非常に意識しました。

 そのうえで、今季(2016ー17シーズン)のフリー(『ホープ&レガシー』)は曲からではなく、テーマから入ろうと思って考えました。その中で、15年のショートとフリー、エキシビションを全部合わせたら、もっと気持ちよくできるだろうなと思って。そうして行き着いたプログラムです」



世界選手権後の記者会見の羽生

『ホープ&レガシー』は久石譲氏のピアノ曲『ビュー・オブ・サイレンス』と『アジアン・ドリーム・ソング』を組み合わせて作った曲だ。

 2015ー16シーズン終了後、ケガによる2カ月の安静期間を経て、出だしが遅れた羽生。それでも、新たに4回転ループを取り入れ、後半には4回転2本と、トリプルアクセルからの連続ジャンプも2本組み込む難度の高い構成にした。そのプログラムの魅力の片鱗を、シーズン初戦のオータムクラシックで見せた。

 静かなピアノの音色に乗って滑り出して4回転ループと4回転サルコウを決めると、コンビネーションスピンとステップシークエンスをその静けさを持ったまま滑り、ステップの続きのように3回転フリップも決めた。4回転サルコウの連続ジャンプから始まる後半はミスを重ねたが、静謐(せいひつ)感のある演技は印象的だった。

 この2016ー17シーズン、羽生は4回転ループ、そして難度を高めた後半の演技に苦戦していたが、シーズン最後の大舞台である、フィンランド・ヘルシンキで開催された世界選手権は思いのままに表現するノーミスの演技にたどり着いた。この時は、ショートプログラム(SP)5位発進からの逆襲だった。羽生は大会後にこう振り返った。

「(SP後は)追い込まれたというより、"自信喪失"といったほうが近いですね。ミスの原因がすぐに見つかって『ここがダメだったから、次はこうしよう』というのがわかっていれば、多分そこまで落ち込まなかったのかもしれないですけど、やはり5位の結果も含めて、自分がどうしていい感覚の中にも関わらずミスをしてしまったのか、(演技の)最後までわからなかったです......」

 SPのミスは信じ難いものだった。当日の公式練習でも4回転サルコウ+3回転トーループは、曲かけを含めてすべてきれいに決め、6分間練習でも余裕を持って跳び、準備は万全だった。そのうえ、最終組1番滑走だった本番でも、最初の4回転ループは出来栄え点(GOE)加点2.43点を取り、気持ちも乗っていた。

 だが後半の4回転サルコウは着氷で左膝をつくミスとなり、連続ジャンプにできなかった。結果、GOEの4点減点となり、さらに演技開始時間遅れの減点もあって、SP1位のハビエル・フェルナンデス(スペイン)に10.66点の大差をつけられた。

 逆転を狙ったフリーで羽生は、静かな曲調の中に自身の感情をすべて出し尽くすような演技を披露した。気持ちの切り替えについて、羽生は語った。

「今回は自分で切り換えたというより、すごく"他力"をもらった感じです。(SPは)ジャンプの感覚がよかったからこその落ち込みでしたけど、その後のファンの方々やサポートしてくれる人たちの言葉をたくさん聞いたり、読んだりして。さらに今までやってきたことを振り返って、最後は『信じてやってみるしかない』と思って、何とか立て直せのではないかと思います」

 もちろん、逆転への思いは強かった。「自信はありました」と言って笑みを浮かべた羽生は、その思いをプレッシャーにすることがなく、無心で戦うことにつなげられたのだろう。だからこそ、プログラムを作った時に考えた「自分の情感や思いだけでなく、風や木や水などの風景も曲の中に埋め込み、観ている人にどう感じてもらえるか問いかけたい」という原点に戻れたのだ。

 さまざまな思いが詰まったフリーは、しなやかな動きの流れるような演技。途切れることはなかった。それまでミスを繰り返していた後半もスピードを上げて、4回転サルコウ+3回転トーループ、4回転トーループをともに余裕を持って決めるなど、ノーミスで演技を終えた。

 鋭い視線の羽生は、人指し指を1本だけ伸ばした右手を、真っ直ぐに天へ向かって差し上げた。

「今日は、自分の演技内容を忘れるくらいに集中していました。スピードはもっと出せたかもしれませんが、ジャンプのため、演技のため、そしてこのプログラムのすべてを完成させるためには、一番いいパターンだったのではないかと思います。特にトーループは、サルコウと同時に後半で決まることがこれまでなかったですからね。とにかく今回は、ジャンプを一本一本決めるごとに、何か自分が自然の中に溶け込んでいくような感覚になって、すごくいい集中状態だった」

 獲得した得点は当時のフリーの史上最高となる223.20点。合計得点は自身の自己最高得点には9点弱及ばなかったものの、321・59点という高得点を記録。羽生の後にはSP上位選手を含めて5人が演技を控えていたが、3年ぶり2度目の世界選手権制覇を決定づける結果だった。

「得点が出るのを待つ時は緊張していたし、怖さもありました。振り返ってみれば、自分が一番とらわれていたのは、過去の自分。2年前の(GPファイナルの)110点(SP)、219点(フリー)、330点(合計)という数字だった。それは本当に大きな壁のようなもので、ノーミスをしなければ超えられないというだけではなく、たとえ構成を上げたとしても、完璧に演じなければ超えられないほど高い壁でしたから。

 また、このプログラム(『ホープ&レガシー』)は『SEIMEI』に比べれば、圧倒的に評価されにくいですし、自分自身もこれまでは、ジャンプを決められないだけではなく、表現しきれていない部分を残してしまう演技を繰り返してきました。今回はクリーンに滑ることができましたが、ジャッジからどう評価されるかわからない、という怖さもあったんです」

 結果が出たこともあるが、羽生自身、フリーの演技には満足していた。

「世界最高得点を出した2年前のGPファイナルからずっと、後半のサルコウに泣かされていたし、自分の記録にも長い間とらわれてきたので、やっと一歩踏み出せたという感触です。

 コーチの反対を押し切って、言ってみれば僕が(コーチを)説得するような形でフリーに4回転を4本入れるプログラムにしました。ですから、そのプログラムで、実際にシーズンの最後になってノーミスができたのはよかった。でも、たとえできなかったとしても、前季の構成だったら、いつでもノーミスができる自信はついていたし、そのくらいの練習もしてきた。結果として、自分に限界を作らずに練習してこられたことが、一番の収穫だったと思います」

『ホープ&レガシー』は「自然の中に溶け込んでいくような感覚になった」と羽生が話したように、曲の中にどっぷりはまり込んだ、自然体と言える演技だった。のちに羽生自身が「沖縄の古民家のように、柱がないプログラム」と評したように、ゆったりと流れる時間や、空気や風、木、水が悠久の時を織りなすような空間で気持ちよく遊泳し、心地よさに浸りきる。戦うための曲でありながらも、心中の"平安"を表現するこれまでとは違う一面を見せたプログラムだった。

 18年の平昌五輪を見据えて、「金メダルを獲りたい」と思い戦ってきたという羽生。その思いが、この世界選手権の結果につながったことは間違いない。五輪本番へ向けては、プレッシャーや重圧がますます高まっていった。

「(世界選手権の結果を受けて)またノーミスをしたいと強く思ってしまうでしょうけど、僕はもともとノーミスを連発するような選手ではない。だから、多分、来季もまた、ノーミスができない自分にすごく苛立ちを覚えたり、悔しさを感じたりするでしょうね」

 そして、こう言って笑った。

「それでまた、必死に練習をしていくのだと思います」

 そう言えるのも、自分自身の壁をまたひとつ乗り越えられたからだ。劇的な逆転優勝は、羽生にとってタイトル獲得以上に、大きな意味を持つものになった。

*2017年4月の記事「羽生結弦 平昌への道『ヘルシンキの激闘』」(Sportiva)を再構成・一部加筆

【profile】
羽生結弦 はにゅう・ゆづる
1994年12月7日、宮城県仙台市生まれ。全日本空輸(ANA)所属。幼少期よりスケートを始める。2010年世界ジュニア選手権男子シングルで優勝。13〜16年のGPファイナルで4連覇。14年ソチ五輪、18年平昌五輪で、連続金メダル獲得の偉業を達成。2020年には四大陸選手権で優勝し、ジュニアとシニアの主要国際大会を完全制覇する「スーパースラム」を男子で初めて達成した。

折山淑美 おりやま・としみ
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。92年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、これまでに夏季・冬季合わせて14回の大会をリポートした。フィギュアスケート取材は94年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追っている。