【目次】・神奈川県の県立高校指導者としての苦悩から学びが始まった・日本の教育によって子どもたちの根幹が変化してきている・『the高校野球』とグローバルスタンダード・ドミニカ渡航のキッカケ神奈川県立瀬谷高等学校硬式野球部監督・平野太一と申しま…
【目次】
・神奈川県の県立高校指導者としての苦悩から学びが始まった
・日本の教育によって子どもたちの根幹が変化してきている
・『the高校野球』とグローバルスタンダード
・ドミニカ渡航のキッカケ
神奈川県立瀬谷高等学校硬式野球部監督・平野太一と申します。
この度、様々な想いや経緯があり、『ドミニカ共和国』に野球・文化を学びに行きました。その学びをぜひシェアしたいと考えていたところ、Timely!WEBさんにお声掛けいただき、このような掲載をさせていただく運びとなりました。よろしくお願いいたします。
神奈川県の県立高校指導者としての苦悩から学びが始まった私は高校、大学と全国大会とは無縁でしたが、野心や志は人一倍あったかと思います。大学では最下位ながら首位打者、ベストナインの受賞。私の出身大学初の現役教員採用合格。『前例にないことを成し遂げたい』ということがモチベーションでした。
野球大国・神奈川県で教員に採用され、60年以上遠ざかっている県立高校からの甲子園出場への挑戦が始まりました。そこで、驚いたのが県立高校の選手たちの『劣等感』や『諦め感』でした。
初任校でも「どうせ無理だろ」と平気で言ったり、現在勤めている高校でも「甲子園なんて目指していたらここにはいません。」と真顔で言われたりもしました。
神奈川県は私学優勢と言われています。だからこそ「県立高校で前例のないものを成し遂げよう」と考えればワクワクするはずなのに、なかなかそうは伝わりませんでした。
「なぜ自分の可能性を無下に扱うんだろう」と悩む毎日でした。しかし、この悩みこそが“学ばなければ”と自分を突き動かし始めるキッカケとなりました。
日本の教育によって子どもたちの根幹が変化してきている日本の教育は“考える力を育む”と言いながら“言い訳”“屁理屈”を許してしまうようなことが教育現場でとても増えてきました。野球の指導上でもそのようなことが増えてきたように思います。
理屈を追いかけすぎた故に“忍耐”や“根性”というような『日本人らしさ』が欠落してきたように感じます。
the高校野球とグローバルスタンダード私は“忍耐”“根性”のいわゆる『the高校野球』スタイルで育ち、誇りに感じています。『the高校野球』が大好きです。
しかし、かつて自分が育った昔のスタイルを突き通すだけではなかなか部員たちと心が通わず、うまくいかないジレンマが続いていました。
そんな中、スポーツ界では世界で活躍する選手が増えてきました。その世界を知る選手たちが日本の指導システムに苦言を呈したり、またテニスの錦織圭選手やサッカーの久保建英選手(FC東京)のように海外の育成システムに身を投じ、世界トップクラスの選手に成長する姿がありました。
「今までの日本の教育方法は日本人にとって最善だと思っていたが、それだけではダメなんじゃないのか。グローバルスタンダードとは一体何なんだろう。」と思うようになりました。
ドミニカ渡航のキッカケそんなとき、私の師匠であり、尊敬する横浜隼人高校・水谷哲也先生のご縁で、横浜DeNAベイスターズ筒香嘉智選手の恩師・堺ビッグボーイズ瀬野竜之介代表と阪長友仁氏(新潟明訓→立教大学)と出逢いました。その出逢いのキッカケは水谷先生がよく懸念し、おっしゃっている「野球人口が減ってきている。野球界を何とかしなくてはいけない」という主旨の会合でした。
瀬野竜之介代表は、全国大会の常連、名門・堺ビッグボーイズで“目の前の勝利でなく、子どもたちの成長に主眼を置いた育成システム”を誰よりも早くチームに浸透させようと動き始めたパイオニアです。強豪チームを育成中心に切り替えていくのは相当な覚悟や確信的なものがなければなかなかできないことだと思いますが、そこに着手していました。
阪長氏は自身が主将として甲子園を経験し、また東京六大学の名門・立教大学で主将を務めた野球エリートです。阪長氏はご自身のJICAでの中南米野球指導の経験からドミニカの野球と出会い、その素晴らしい野球をぜひ日本に伝えたいと活動を始めた方です。
このお二人が取り組んでいることに今後私の、また日本の野球指導のヒントがあるのではないかと思うようになりました。
その後、瀬野代表、阪長氏が主催するセミナーにも参加しました。ドミニカの野球指導システムの話を聞き、確かに素晴らしいが、どう日本に導入していくのか想像もつかず、批判的とまではいきませんが少し懐疑的に捉えていました。そのセミナーの最後に「私は日本の『the高校野球』が好きですし、このシステムだからこそ日本球界はここまで成長してきたのだと考えます。」と発言させていただきました。
だからこそグローバルスタンダードを“自分の目で観て、自分の身体で感じなければ自分の固定観念は打開できず、何も始まらない”と考え、阪長氏にお願いをしてドミニカに渡航する決意をしました。
それでは次回は私がドミニカに渡航し、現地で見たこと、感じたことなどをお伝えさせていただければと思います。
平野太一
1985.5.23(31歳)
大分県立別府鶴見丘高等学校 → 川崎医療福祉大学(中国地区大学野球連盟1部リーグ)
大学3年秋季1部リーグ戦にて首位打者(.471)、ベストナイン(三塁手)を獲得。
【監督歴】
神奈川県立津久井浜高等学校 → 神奈川県立瀬谷高等学校