ヤンキースの田中将大投手が24日、仙台市立岡田小学校を訪れた。「MASAHIRO TANAKA BASEBALL SCHOOL」と銘打ち、ともに自主トレを行っている楽天・則本昂大投手、辛島航投手、釜田佳直投手、松井裕樹投手と訪問。児童とキャ…
ヤンキースの田中将大投手が24日、仙台市立岡田小学校を訪れた。「MASAHIRO TANAKA BASEBALL SCHOOL」と銘打ち、ともに自主トレを行っている楽天・則本昂大投手、辛島航投手、釜田佳直投手、松井裕樹投手と訪問。児童とキャッチボールをしたり、一緒に給食を食べたりし、交流を図った。
■なぜ田中は野球教室を発案? 「自然と笑顔になれました」
ヤンキースの田中将大投手が24日、仙台市立岡田小学校を訪れた。「MASAHIRO TANAKA BASEBALL SCHOOL」と銘打ち、ともに自主トレを行っている楽天・則本昂大投手、辛島航投手、釜田佳直投手、松井裕樹投手と訪問。児童とキャッチボールをしたり、一緒に給食を食べたりし、交流を図った。
選手たちは体育館に集まった4~6年生の大きな拍手を受けて入場した。まずは自己紹介をし、松井が「寒さを吹き飛ばすくらい、みんな、元気を出していきましょう」と言えば、釜田も「今日は雪が降っていますが、寒さを吹き飛ばすくらいの元気を出して楽しみましょう」とあいさつ。田中の番では、司会進行を務めた元楽天投手の永井怜ジュニアコーチが「今シーズンから楽天イーグルスに戻ってくることになりました、田中将大投手です!」とジョークを飛ばすと「ちょい、ちょい、ちょい!」と田中。会場も和み、改めて「ニューヨークヤンキースの田中投手です」と紹介されると「今日はよろしくお願いします」と笑顔を見せた。
質問タイムの後、選手も一緒に体操し、各グループを回って全員とキャッチボールをした。グループごとにキャッチボールによる競争も行われ、優勝した永井ジュニアコーチのチームには、田中のサイン入りボールが本人から手渡され、児童は大喜び。優勝チームの児童は「プロ野球選手」や「サッカー選手」、「看護師」、「漫画家」といった将来の夢も発表した。
■田中らの心を打った児童の言葉
「MASAHIRO TANAKA BASEBALL SCHOOL」は田中が発案した。近年、問題になっている野球離れや野球人口減少、そして、東日本大震災の被災地を気にかけ、子どもたちと触れ合う場の必要性を感じたという。実際に子どもたちと交流し、「楽しかったです。選手のみんなも楽しんでいたと思いますし、自然と笑顔になれましたね」とほおを緩めた。そして、「野球を通じて触れ合うことできっかけになれば。今回、こういう形で楽天イーグルスの後輩選手や職員の方々に協力いただいてできてよかったと思う」と感謝した。
今回、訪れた岡田小は海から約3キロ内陸にあり、東日本大震災の津波で校庭が25センチ、冠水した。児童代表のあいさつでは、6年生の男子児童が「今日は岡田小学校児童193名のために来ていただき、ありがとうございます。おかげで全校が野球に親しみ、触れることができました」と感謝し、被災体験を交えて選手にエールを送った。
「震災で被害を受け、ライフラインが使えず、ろうそくでの生活が続きました。また、家が流されたり、住めない状況になったりし、しばらく親戚の家などで過ごす人が多くいました。僕もその1人でした。しかし、震災を経験したことで成長したこともありました。大人から子供までみんなでバケツリレーで水を運んだり、自衛隊の方が炊き出しをしてくださるなど人の温かさを感じました。
また、今日のように実際にいろんな方に来てもらい、一緒に体を動かしたりし、勇気をもらいました。特に嶋選手が震災後に言った『見せましょう、東北の底力を』という言葉にすごく勇気付けられました。それを生かして、去年の熊本地震では全校で募金をしました。今日の授業ではニューヨークヤンキースの田中将大選手や楽天イーグルスの則本選手、松井選手、辛島選手、釜田選手、永井コーチに来ていただき、とても嬉しく思います。
僕も野球を習っていて、中学校でも野球を続けるつもりなので、今日の授業はこれからの人生でとても役立つと思います。これからも岡田復興のために自分のできることを頑張っていきます。また、今年もテレビや球場でヤンキースや楽天イーグルスを応援するので頑張ってください」
■田中自身も震災経験「後世に伝えていかないといけない」
これには田中も「彼のスピーチに心を打たれた。あれくらいのことをあの年で言えるのはすごい」と感心。田中自身が阪神淡路大震災を経験した時、6歳だったことから、「ちょうど彼らと同じ年齢の頃。(震災の)印象はすごく残っていると思う」と気遣った。そして、「そういう経験したことを後世に伝えていかないといけないですよね。伝えていけるのが日本の良さだと思う。自然災害はこれからも大きさはどうであれ、起きるのは僕らにとってはどうしようもないこと。起きた時にどう対処するか。みんなで一致団結できるのが日本人の良さだと思う。下の年代に伝えていくことが大事だと思います」と、震災の記憶と経験を後世に残していく大切さも説いた。
子どもたちに「これからみんなが大人になって、震災のことを知らない人たちが出てくるから、みんなが経験したことを下の人たちに伝えてほしいと思います。(キャッチボール競争の)優勝チームの子たちが将来の夢を言いましたが、これから先の日本を支えていくみんなは希望だと思うので、みなさん、勉強も運動もして、夢に向かって頑張ってください」と話し、励ました田中。昼には、3年生と「小学校以来」という給食を食べ、「美味しかったですよ。気を遣ってくれたようで、量を多くよそって出してくれて、お腹がパンパンです」と笑った。高卒で楽天に入団し、7年間を過ごした宮城を「自分が育ててもらった地」と表現し、「時間が許す限り、継続していくことが大事。何か自分のできることがあれば、可能な限りやりたいと思います」と、今後の継続も約束した。
Koboパークに戻るとブルペンに入った田中。捕手役の釜田を座らせ、変化球も交えて30球を投じた。その1球、1球には、“復興地”の子どもたちの想いも乗っているかのように勢いがあった。
高橋昌江●文 text by Masae Takahashi