2010年バンクーバー五輪でフィギュア日本男子初のメダルを獲得した髙橋大輔 2010年2月に行なわれたバンクーバー五輪、髙橋大輔はフィギュアスケート日本男子で史上初のメダルを獲得している。歴史を作る。乗り越えるべき試練は、尋常ではなかった。…



2010年バンクーバー五輪でフィギュア日本男子初のメダルを獲得した髙橋大輔

 2010年2月に行なわれたバンクーバー五輪、髙橋大輔はフィギュアスケート日本男子で史上初のメダルを獲得している。歴史を作る。乗り越えるべき試練は、尋常ではなかった。

「ケガした時はスケートがしんどかったので、"少し休める"と気が楽になりましたね」

 髙橋は当時を振り返って、人懐こく笑った。

 08年10月、髙橋は練習中に右膝前十字靭帯を損傷。競技復帰には1年近くがかかると言われ、リハビリは過酷、元に戻る保証もなかった。彼はその暗闇を駆け抜け、輝くメダルを手にしたのだ。

「リハビリは大変でしたけど、『あー』って暗くなるわけではなかったです。なんでかわからないですけど、"ケガしてオリンピックに出る復活劇を作っている"みたいな。その時は"絶対に復活劇を作る!"という根拠のない自信があって。そう思っていたから、頑張れました。バネに、というのではなくて、導かれるというか。周りの人に手を差し伸べてもらって、手を引いてもらっていたんです」

 その心境は、髙橋の競技生活に通じる。彼にとって、意味のないことはないのだろう。降りかかった火の粉も味方とし、復活を遂げた時、スケーティングは深淵に近づいた。

 歴史を変えた「髙橋劇場」を再現するーー。



バンクーバー五輪で演技する髙橋

 2月18日、フリースケーティングの演技は終盤に差し掛かっていた。

 スイス人スケーター、ステファン・ランビエールはキスアンドクライで得点を待つ間、ペットボトルの水に何度も口をつけた。心のざわめきを隠せない。そして出たスコアに、無念さから肩をすくめ、こめかみを指でかいた。3人を残し、2位の総合得点だったが、メダル圏内にはギリギリだった。

 ショートプログラムが終わって3位だった髙橋は、その状況でリンクに登場した。スタンドには日の丸の旗が大小いくつもはためき、「DAISUKE」というおなじみのバナーも掲げられる。名前がコールされると、ひと際大きな歓声が上がった。

 髙橋は決然とした表情から目を閉じ、眠りに入ったポーズになっている。イタリアの名作映画「La Strada(道)」のテーマ曲、主人公のジェルソミーナが憑依したか。曲が流れ出した途端、愛嬌と明るさに満ちた顔でステップを踏み始めた。

 そして冒頭のジャンプ、髙橋は4回転トーループに挑み、派手に転倒している。堅実に滑ることで、メダルは十分に射程圏内に入っていた。しかし、彼は立ち向かうことをためらわなかった。

「昔からそうでしたけど、高いところを目指していないと、そこには絶対にたどり着けない」

 髙橋は言う。それは彼の生き方で、スケートそのものなのだろう。

 スケーターとしての矜持が伝わったのか。スタンドは一度、落胆でどよめいた後、どっと押し返すような歓声が沸く。そこには、交わされる呼吸があった。

 立ち上がった髙橋は、笑みを洩らしていた。何の後悔も見えない。むしろ、挑戦した自分を称えているようでもあった。そこからは止まらない。トリプルアクセル+2回転トーループの連続ジャンプを完ぺきに決め、3回転ループも成功。得意としたアクセルは滞空時間が長く、美しかった。スピンはレベル4。膝をケガした選手にとって、それは静かな快挙だ。

 髙橋は速くなったテンポでおどけ、見る人を楽しませる。五輪という舞台で、難しいステップをしているのに、ひたすら楽しそうに映った。3回転フリップ+3回転トーループは2つ目がぐらついたが、3回転サルコウ、トリプルアクセル、3回転ルッツ、3回転ルッツ+2回転トーループと、優雅な曲調に乗って立て続けに降りている。

 フィナーレ、髙橋はリンクを突っ切って、"今生のステップ"を見せる。待ち切れずに湧き上がる歓声を全身に受け止めながら、愛を乞うように両手を差し出し、最後のポーズを飾った。そして腕を二度、三度と突き上げ、感極まった表情を浮かべた。

〈自分だけが知る楽しい瞬間があれば、人は強く生きていける〉

 映画にはそんなメッセージが滲むが、スケート人生に導かれた髙橋の演技も、人を励ます熱があった。それは彼自身が、"これで最期"と錯覚させる気迫で臨んでいたからだろう。志すスケートを裏切らず、諦めずに挑み続ける。4回転挑戦は、一つの象徴だったかもしれない。志を貫くことで、勝負の一瞬、決意を燃やせたのだ。

 フリーは156.98点で5位。総合は247.23点で、3位に入っている。ランビエールとは0.51点差だった。

 そのメダルはもしかすると、冒険的な生き方がもたらした恩恵だったかもしれない。

 日本男子フィギュアスケートにおいて初となった五輪表彰台では、電光掲示板で「APPLAUDISSEZ!!」と出た。フランス語で「拍手を!!」。それは祝福すべき瞬間だった。

「自分に負けたくなかった」

 髙橋はそう振り返っている。彼が作った劇場で、日本男子フィギュアの人気は定着し、新時代の開幕につながった。対峙したのはケガというより、運命だったのかもしれない。