選手、チームとファンの関係は難しい時もある。しかし、お互いに強い絆を持ち続けることも可能だ。それを見せてくれているのが千葉ロッテマリーンズ。そこには昨年、亡くなった熱い元監督の存在も大きい。■安打を打つと沸き起こるコールとベース上で必ず応え…

選手、チームとファンの関係は難しい時もある。しかし、お互いに強い絆を持ち続けることも可能だ。それを見せてくれているのが千葉ロッテマリーンズ。そこには昨年、亡くなった熱い元監督の存在も大きい。

■安打を打つと沸き起こるコールとベース上で必ず応える選手

 選手、チームとファンの関係は難しい時もある。しかし、お互いに強い絆を持ち続けることも可能だ。それを見せてくれているのが千葉ロッテマリーンズ。そこには昨年、亡くなった熱い元監督の存在も大きい。

 チームが得点した次の回、守備に就く。スタンドのファンは、タイムリーやホームランを打った選手の名前をコール。すると選手は帽子を取って一礼、もしくは手を振る。これは各球団で行われている、ある意味、ルーティーンである。

 しかし、マリーンズの場合は大きく異なる。もちろん、他球団と同様、得点時のルーティーンも行う。違うのは得点関係なく、安打を打った際に選手の名前をコール。すると、ベース上から全選手が必ずスタンドに向かって手を挙げる。移籍してきた選手、入団したてのルーキー、誰もがこの慣習を行っている。ホームのみでなく、ビジターでも同様。球場に足を運んだ際には、注目して欲しい。

 山本功児さん。ジャイアンツとマリーンズの前身オリオンズで、通算13年プレー。勝負強い打撃と柔らかい守備で活躍した。あの王貞治氏が「あいつの一塁守備はうまい」と褒めたたえていたという。また珍プレー集でもおなじみの、元ドラゴンズ・宇野勝氏のヘディング。高く打ち上げたショートフライを捕球しようとしたが、なんと頭に当てる。それが、あわやランニング本塁打(打者走者は本塁でタッチアウト)になった。その打球を放ったのも山本さんである(ちなみにその時にマウンドにいたのは星野仙一氏)。

 89年にマリーンズ打撃コーチに就任。その後、2軍打撃コーチや2軍監督などを歴任し、99年にマリーンズ監督に就任した。今も現役でプレーしている福浦和也の打者としての才能を見抜き、投手から野手にさせた。「山本さんに無理矢理、転向させられたのかも(笑)」と本人は語っている。だが、福浦は25歳で首位打者を獲得。リーグを代表するヒットメーカーに成長した。

■18連敗…暗黒時代に掲げた「フォア・ザ・チーム」の真意とは

 16年、飛躍的に観客動員数を増やしたマリーンズ。だが、山本さんが監督就任した99年は「暗黒」の時代だった。前年の98年には未だ記録に残る公式戦18連敗(※1)。当時の近藤昭仁監督が「もっと強いチームの監督がやりたかった……」と語ったほど。ただ、皮肉にも連敗時は負けるほど客が増えていった。

 しかし、連敗ストップとともに元の千葉マリン(現・ZOZOマリン)スタジアムに戻った。週末は客が多少増えるが、平日ナイターは惨憺たる状況。ライトスタンドの一部を除いて、まさに閑古鳥が泣いていた。

 そのチームを引き受けた山本さんが掲げたのが「フォア・ザ・チーム」。内容は今までの額面通りのものではなかった。

「選手だけではない。チーム、フロント、そしてファン。みんなが一緒になろう」

 そして、選手に語りかけた。

「こんな勝てないチームでも応援してくれるファンがいる。できるだけファンに気持ちを還元しよう。自分の名前が呼ばれたら、必ず手を挙げるなり、対応しよう」

 そこから今のマリーンズのスタイルが生まれ、現在まで受け継がれている。

■昨年4月に死去、今もマリーンズを見守っていてくれる

 16年4月23日、長い闘病生活の末、山本さんは亡くなられてしまった。

「フォア・ザ・チーム」を掲げてから15年以上経つ。

 くしくも息子・武白志(むさし、※2)がプロ野球界に足を踏み入れたばかりだった。だが今でも、マリーンズのことをずっと見守っていてくれるはず。

「カモメたちよ、はばたけ高く、はばたけ強く」

 シーズンが始まる。今年も選手たちはヒットを打つたびに手を挙げる。

◆山本功児(やまもと・こうじ)
 1951年12月25日、大阪府出身。左投左打。75年ドラフト5位でジャイアンツ入団。84年オリオンズ移籍。コーチ兼任を務めた88年限り現役で引退。コーチ、監督として89~03年はオリオンズ、マリーンズ、04-05年はジャイアンツで指導した。

※1:公式戦18連敗
 98年6月13日から7月8日まで引き分けを挟んで18連敗。この記録はいまだに破られていない。マリン正面玄関で「おはらい」まで行われ、社会現象となった。

※2:山本武白志
 九州国際大付属高から15年育成ドラフト2位でベイスターズ入団。188センチ、92キロの恵まれた体格を活かしたスケールの大きいプレーで支配下登録を目指す。

山岡則夫●文 text by Norio Yamaoka