火曜日の夜、「全豪オープン」(オーストラリア・メルボルン/本戦1月16~29日/ハードコート)の男子シングルス1回戦で、イボ・カルロビッチ(クロアチア)とホレイショ・ゼバロス(アルゼンチン)が第5セットで深みに嵌っているとき、ファンたち…

 火曜日の夜、「全豪オープン」(オーストラリア・メルボルン/本戦1月16~29日/ハードコート)の男子シングルス1回戦で、イボ・カルロビッチ(クロアチア)とホレイショ・ゼバロス(アルゼンチン)が第5セットで深みに嵌っているとき、ファンたちは大きな記録が成し遂げられる瞬間を見ようと、離れた19番コートに向けて群れをなして急いだ。

 観客席は超満員となり、何人かの観客は何とか試合を見られないかと机や椅子の上に立ったり、隣のコートのフェンスによじ上ってその上でバランスをとったりしていた。また、何人かは地面に這いつくばり、フェンスを覆った黒い風よけの幕の下から手を入れて、携帯電話で試合の様子を録画しようと試みたりしていた。

 5時間15分の戦いの末、84ゲーム目でついにゼバロスが崩れた。カルロビッチの2つ目のマッチポイントでロブを追って走った彼は、フォアハンドを打ち損ね、それがアウトとなった瞬間にカルロビッチが6-7(6) 3-6 7-5 6-2 22-20と、2セットダウンからの逆転勝ちで“ヒーロー”になったのだ。

 ツアーでも最年長組のひとりである37歳のカルロビッチは、勝利をもぎ取った喜びに高揚していた----たとえ少しばかり体に堪えていたとしても----。

 「腕は大丈夫だ」とカルロビッチは放った75本のエースについて言った。「でも僕の膝や背中は、それほどいい状態じゃないね」。

 ファイナルセットだけでも2時間37分を要した。そして、ほとんどのポイントは短いものだったとはいえ、質が低かったわけではない。ふたりは合わせて237本のウィナーを記録し、アンフォーストエラーは94本だったのだ。

 「これはキャリアを終えたあとにも記憶に残る試合だよ」とカルロビッチ。「簡単に勝ったり、簡単に負けたりしたら憶えてはいないだろう。でもこの試合のことは間違いなく、一生忘れはしないだろうね」。

 スコアという面では、2010年ウィンブルドン1回戦でジョン・イズナー(アメリカ)とニコラ・マウ(フランス)が見せた有名なマラソン・マッチには遠くおよばない。11時間以上かかったその試合で、イズナーは最終的に第5セットを70-68で獲得した。

 「実際、イズナーとマウの試合のことを考えていたんだよ」と試合後にカルロビッチはジョークを飛ばした。「記録を打ち立てられるよう、あのくらい長くなるように願っていたんだ」。

 この試合はまた、時間という意味で最長である2012年全豪オープン決勝、ノバク・ジョコビッチ(セルビア)とラファエル・ナダル(スペイン)の5時間53分にもおよばない。

 それでもカルロビッチとゼバロスは、いくつかの記録を打ち立てた。

 まず、合計84ゲームは、2003年全豪準々決勝でアンディ・ロディック(アメリカ)とユーネス・エルアノーウィ(モロッコ)が記録した83ゲームを破る数だった。その試合はロディックが第5セットを21-19で獲得している。

 また、カルロビッチは76本(※)のサービスエースを決め、2005年にヨアキム・ヨハンソン(スウェーデン)がアンドレ・アガシ(アメリカ)に対して記録した、一試合での最多エース数51本の記録を粉砕した。 

 身長211cmのカルロビッチはビッグサービスで知られ、対戦相手は頻繁に、ただ立ち尽くしてサービスが通り過ぎていくのを見送ることになる。ゼバロスもカルロビッチのサービスに対して無力だった。彼はこの試合でわずか4つのブレークポイントしか手にできておらず、ものにできたのはたった一度だけだったのである。

 それでもゼバロスは、あらゆる機会で水色と白の旗を振り歌う、騒々しいアルゼンチン人ファンたちに勇気づけられ、第5セットが延々と続く中で踏ん張り、食い下がり続けた。

 ゼバロスの最後のショットが浮いてアウトとなったあと、カルロビッチは両手を空に突き上げ、彼のサポーターたちは「イボ、イボ」と歌いながら飛び上がって狂喜した。

 彼らとともに喜びに浸ったカルロビッチは、それから少し落ち着くと、ワイルドカード(主催者推薦)で出場したアンドリュー・ウィッティントン(オーストラリア)との次の試合に向けての体力回復について考え始めた。

「僕には2日あるはずだ」とカルロビッチ。「氷風呂に入り、いい練習をするように努め、早めに寝るようにするよ。回復にはそれで十分であるように願うばかりだ」。(C)AP(テニスマガジン)

※主審が記録したUmpire Match Summaryに基づいたエース数