日本の競泳界を牽引する瀬戸大也(TEAM DAIYA)と萩野公介(ブリヂストン)が、2月4日から東京アクアティクスセンターにて開催されていたジャパンオープンで、1年3カ月ぶりに対戦を果たした。 200m個人メドレーのレース後…

 日本の競泳界を牽引する瀬戸大也(TEAM DAIYA)と萩野公介(ブリヂストン)が、2月4日から東京アクアティクスセンターにて開催されていたジャパンオープンで、1年3カ月ぶりに対戦を果たした。



200m個人メドレーのレース後に健闘を称えあった瀬戸大也(左)と萩野公介(右)

 結果は、400m個人メドレーで瀬戸が勝ち、200m個人メドレーでは萩野が勝利を収め、1勝を分け合あった。

 瀬戸は、昨年10月に日本水泳連盟から年内の活動停止処分を受け、今大会が5カ月ぶりの復帰レースだった。施設を使っての練習を再開したのは年が明けてからで、民間のプールを転々としながら練習をしていたという。

 そんな瀬戸は、一時ベストよりも6kgほどオーバーしていた体重を戻して、初日に臨んだ。400m個人メドレーの予選を2位で通過し、決勝では最初のバタフライでトップに立つと、次の背泳ぎではさらにその差を広げ、2番手に上がってきた萩野に2秒54差と実力を見せつけた。

 だが後半は、「まだ7割くらいの復調状態」というようにスピードが落ちて追いかけられる展開に。最後の自由形では大学2年の井狩裕貴(イトマン近大)に2秒51あった差を0秒34差まで縮められながらも、4分12秒57で逃げ切った。

 目標にしていたのは4分10秒切りだったが、「最低限」と考えていた4分12秒台をクリアした瀬戸は、「後半はかなりバテましたが、応援してくれる人たちのためにもいい結果を出したかった。前半から積極的にいって、1回も1位を譲らずに泳ぎ切りたいと思っていたので、最後まで全力で泳ぎ切りました」と前向きなコメントとは裏腹に、笑顔はなかった。

 瀬戸が最も実感したのは"持久力"と"耐乳酸能力"が低下しているということだった。3日目は、バラフライ決勝の20分後に個人メドレーの決勝がある厳しいスケジュールが結果にも影響を及ぼした。

「正直、今の体力やコンディションを考えれば、予選は省エネでいったほうが決勝で、もっといい結果が出せたと思います。でも今は試合数も少ないので、予選は流すというのをやりたくなかったんです。予選から好記録で泳ぎ、決勝ではさらに上げるというのをやっていかないと、世界の舞台に出た時に予選落ちや準決勝敗退もありうるので、最初から攻めていこうと考えました」

 午後の200mバタフライ決勝は、最初の50mを0秒23差の中で7人が折り返す接戦となり、100mの時点で瀬戸は6番手だった。それでも150mで3位に上げると、予選よりわずかに記録を上げる1分56秒32で3位に入った。

しかし、そのあとに出場した200m個人メドレー決勝は、「飛び込んだ瞬間に体が重く感じ、全然動かなかった」という状態。最初のバタフライを7番手で折り返すと背泳ぎでは8番手に落ちてしまい、そのままの順位で終わった。

「できなかったということは体力がなかったということだし、現状を知る大会になりました。ただ、技術的なものや水の感覚は、400m個人メドレーの平泳ぎの時に感じた点を、今日の200m個人メドレーの予選では修正できたように、衰えてはいないと確認することができました。

 とにかく今は、持久トレーニングと耐乳酸トレーニングが必要というのはわかっています。そこをしっかりできれば一気にタイムも上がると思うし、4月の日本選手権では日本記録を狙えるようにしていけると思います」

 こう話す瀬戸に対し、萩野は昨年12月の日本選手権の200m個人メドレーで、1分57秒67、400m個人メドレーも4分13秒32と、ともに東京五輪派遣標準記録IIを上回ったものの、まだ迷いもあるようだ。

 最初の400m個人メドレーでは、「左の腹筋にうまく力が入らなくて、腕で調整して泳いでいる感じ」と振り返り、バタフライは瀬戸に1秒91離される3番手。次の背泳ぎで2位に上げて平泳ぎも2位を維持したが、最後の自由形でスピードが上がらず、4分16秒38で6位という結果に終わった。

 それでも200m個人メドレーに向けては、「ウォーミングアップをしっかりして決勝の1本だけを意識して泳ごう」と気持ちを切り替えた。

 こう話す萩野の200メートル個人メドレー決勝は、最初のバタフライを2番手で折り返すと、背泳ぎで抜け出して2番手に0秒46差をつけた。最後はその差をさらに広げ、2位に0秒68差の1分58秒14で優勝した。東京五輪の派遣標準記録Iは突破できなかったものの、手ごたえを感じていた。

「いい泳ぎができている時は、腕に力が入っていなくて、お腹で搔いているような感覚なんです。昨日までは体幹の中に支点がなくて、腕ばかりで掻いているような感じでした。最後のクロールは浮いてしまってスパートできなかったのは反省点ですが、練習の中ではいい泳ぎができているので、『ここをこうすればいい泳ぎができる』というのを感じられたのはよかったです」

 今後の活躍に期待が膨らむ2人だが、関係性としては小学生の頃から刺激しあってきたライバルであり友人だ。

 萩野が高校3年生で2012年ロンドン五輪に出場したころまでは、瀬戸を圧倒していたが、瀬戸も2015年の世界選手権400m個人メドレー連覇をするなど、力をつけてきていた。

 それでも記録は萩野が上位で、2016年リオデジャネイロ五輪の400m個人メドレーで日本記録(4分06秒05)を出して金メダルを獲得している。瀬戸は銅メダルだったものの、萩野と2位のチェイス・カリシュ(アメリカ)には大きく水を開けられる4分09秒71という記録だった。

 それ以降、瀬戸は悔しさをバネに萩野が不調に陥った中でも記録を伸ばし、東京五輪の内定をいち早く掴み取っていた。そんな状況の中で起きたのが昨年の謹慎だった。

 瀬戸は今大会、萩野との戦いについて、こう振り返った。

「最初の4個メの予選が同じ組だったので、公介とは招集所でグータッチをしました。久しぶりのレースで緊張していたのですが、公介と泳げるということで気合が入りました」

 また萩野も瀬戸の存在の重要さを口にする。

「一緒に泳いでいて大也はスタートやターンがすごいなと思った。それで僕も今日はターンの前後の伸びを意識して蹴りを少し遅らせたりして、うまく泳ぎにつなげていこうと意識しました。一緒に泳ぎながら、いいところを吸収できているなと思います」

 ともに本調子ではない中での戦いだったが、瀬戸が五輪代表に内定している個人メドレー2種目の出場枠の残りは1。200mでは1歳下の砂間敬太(イトマン東進)が12月の日本選手権でも1分57秒98を出しているほか、学生勢も記録を上げている。

 また400mでは大学1年の本田灯(日大)だけではなく、今回は大学2年の井狩が4分12秒91で2位と、代表争いに割り込んできた。

 若手急追の中で、ここ数年は止まっていたふたりのライバル意識が、今後互いにどのような進化をもたらすのか。これは、東京五輪のメダル獲得を占う意味で、重要になってきそうだ。