『羽生結弦は未来を創る〜絶対王者との対話』 第Ⅴ部 プログラムの完成(4) 数々の快挙を達成し、男子フィギュアスケートを牽引する羽生結弦。常に挑戦を続ける強靭な精神力と自らの理想を果敢に追い求める情熱を持つアスリートの進化の歩みを振…

『羽生結弦は未来を創る〜絶対王者との対話』
第Ⅴ部 プログラムの完成(4)

数々の快挙を達成し、男子フィギュアスケートを牽引する羽生結弦。常に挑戦を続ける強靭な精神力と自らの理想を果敢に追い求める情熱を持つアスリートの進化の歩みを振り返る。世界の好敵手との歴史に残る戦いや王者が切り拓いていく未来を、長年密着取材を続けるベテランジャーナリストが探っていく。



2015年GPファイナルで『SEIMEI』を披露する羽生結弦

 2015ー16シーズン、羽生結弦は3戦目でノーミスの演技を達成した。それは『SEIMEI』というプログラムに対する羽生の思いの強さが現れたものだろう。シーズン2戦目のスケートカナダで思うような演技ができず味わった屈辱は、その思いをより強固なものにした。のちに彼自身、「スケートカナダから(3戦目の)NHK杯までの練習は、自分史上初めてと言っていいくらい追い込むことができた」と話したほどだった。

 だが、それはまだ到達点ではなかった。次のグランプリ(GP)ファイナルのフリーでは、最初の4回転サルコウと4回転トーループでGOE(出来栄え点)満点の3点を得るジャンプで滑り出すという、NHK杯よりさらに高い完成度を見せた。ステップシークエンスこそレベル3となったが、ジャンプは8本中5本でジャッジのGOE加点3点。技術点はNHK杯を2.05点上回る120.92点。演技構成点もスケーティングスキルとトランジション以外の3項目は、9人のジャッジ中6、7人が満点の10点をつけて98.56点で世界最高得点を更新。世界中に「これが羽生結弦のSEIMEIだ」と認めさせるプログラムに仕上げていた。

 2戦連続の総合300点超えの偉業を達成した後、羽生はこう話していた。

「以前は点数にこだわっている時期がなくはなかった。(練習拠点の)カナダへ行ってそれ(300点超え)を狙える構成があると知って、もっと点数をもらえる構成にしなければいけないと考えていました。ただ、今この『SEIMEI』を作ってもらい、(ショートプログラムの)ショパン(の『バラード第1番』)を延長してやってみての感想としては、やっぱり難易度だけがすべてというわけじゃないと思うんです。そういう演技を常に目指していけたらいいな、と。



GPファイナルで優勝し、笑顔を見せた羽生

『SEIMEI』を演技するにあたって(狂言師の)野村萬斎さんと話をさせていただく機会がありましたが、フィギュアスケートの芸術という面においてはジャンプが決まってこそだと思います。ジャンプがやっとプログラムの中で決まるようになってきて、芸術性というものに関しても、自分が自分らしく表現できるようになってきたかなと思います。まだまだ先はありますけど......」

 NHK杯が終わり、次のGPファイナルの開催地バルセロナへ向けて出発するまでわずか8日間だった。その間、羽生は「調整をしっかりしなければ」との意識に集中していて、NHK杯の結果を自分の中で消化できるほどの時間はなかった。

 GPファイナル開幕前日の公式練習後に羽生は「高揚感のようなものはもう関係ないですね。短い期間だったからなのか、NHK杯直後には『これからあの得点を意識するだろう』とは思っていましたけど、今は特に最高点も意識していないし、演技に対する期待感もあまり感じてないです。どこか吹っ切れているような気がします」と話していた。

 しかし、動きは見るからにこれまでのGPシリーズの2戦とは異なり、絶好調とは言えないコンディションだった。さらに、この大会ではSP翌日ではなく、中1日置いてフリーという日程。SPは110.95点と再び歴代世界最高を更新したが、NHK杯のように、その勢いでフリーを乗り切れる状態ではなかった。

 中日の公式練習は疲労が一気に噴き出してきたのか、必死に体に刺激を入れるような様子も見えた。さらにフリー当日の朝は、のちに本人が「連戦の疲労がピークに達していた」と吐露したほど。さらに直前の6分間練習も、ジャンプに出た不安要素を修正できないまま終わってしまった。

 そんな羽生に火をつけたのは前に滑った宇野昌磨や、羽生に続く史上2人目のフリー200点超えを果たしたハビエル・フェルナンデス(スペイン)の演技だった。そして、羽生にはSPに続く世界最高得点を期待されていた。

「いっぱいいっぱいだった」と羽生本人が振り返ったフリー演技だったが、一つひとつの要素を丁寧にこなして羽生結弦にしかできない『SEIMEI』の世界を表現しきったのだ。

 その2日前のSP後に、羽生はこう話していた。

「NHK杯のショートはNHK杯のものでしかないし、今回のショートも今回のものでしかないんです。そこは自分の中でも、観ている方も『ああ、成長したな』とか『あっちのほうがよかったな』『今回のほうがよかったな』といろいろ比較すると思います。でもそれ以前にまず、自分自身が『今日はこういう風にできた』『今日はこういう思いでできた』というものを一つひとつ感じながら、思い出として残しながら滑っていけたらすごく幸せじゃないかなと思います」

 自分が納得でき、高く評価される演技ができたからこその思いでもあるだろうが、演技自体はその時々の体調や気持ちで変化するもの。自分にとっても観客にとっても、その演技は「一期一会」という思いに至ったのだろう。

 歴代世界最高得点連発の王者としての実績とともに、SPとフリー両方のプログラムへの信頼感を持って臨んだシーズン最後の世界選手権は2位に終わった。左足甲靭帯損傷の影響もあったうえ、リンクに水が浮くところもあるバッドコンディションだった。羽生は「優勝できなかったことに悔しさも悲しさも感じる」と言いながら、こうも話した。

「NHK杯とファイナルは、ふたつとも自分のプログラムとして達成できた部分があったと思います。自信になりましたし、そのうえで『これを目標にしていきたい』『こういう道をたどりたい』というのが具体的に見えてきました」

 演技後半の4回転など、技術的なすごさだけで観客を沸かせるのではなく、もっと幅広い視点から「これはすごい」と思わせるプログラムを目指したいとも語っていた。

「技術の進歩で体への負担も大きくなっているのは事実だと思う。でも自分の感覚としては、そういうリスクのある中で難易度をどんどん高くしていったことに誇りを持っていますし、現在、世界記録を持っているスケーターとして、新しい扉を開けるような存在になりたいです」

 ひとつの目標を達成したことで、新たな世界が羽生の目の前に広がってきたのだ。

【profile】
羽生結弦 はにゅう・ゆづる 
1994年12月7日、宮城県仙台市生まれ。全日本空輸(ANA)所属。幼少期よりスケートを始める。2010年世界ジュニア選手権男子シングルで優勝。13〜16年のGPファイナルで4連覇。14年ソチ五輪、18年平昌五輪で、連続金メダル獲得の偉業を達成。2020年には四大陸選手権で優勝し、ジュニアとシニアの主要国際大会を完全制覇する「スーパースラム」を男子で初めて達成した。

折山淑美 おりやま・としみ
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。92年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、これまでに夏季・冬季合わせて14回の大会をリポートした。フィギュアスケート取材は94年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追っている。