2021年シーズンのF1は3月28日、中東・バーレーンで開幕する。他のスポーツと同様に、F1は新型コロナウイルス感染防止のため、昨年から厳しい規制が敷かれている。そんな中で日本人として唯一、現地で取材をしたのが熱田護氏だ。約30年間500戦…

2021年シーズンのF1は3月28日、中東・バーレーンで開幕する。他のスポーツと同様に、F1は新型コロナウイルス感染防止のため、昨年から厳しい規制が敷かれている。そんな中で日本人として唯一、現地で取材をしたのが熱田護氏だ。約30年間500戦以上のグランプリを撮影してきたベテランフォトグラファーは昨年、ヨーロッパと中東での合計4戦に帯同。コロナ禍のF1取材はどのようなものだったのか。熱田氏にF1のコロナ対策の実情を聞いた。



2020年11月の第15戦バーレーンGP。サーキットではPCR検査やマスク着用などの感染対策が施された

ーーコロナ禍での最初の取材は2020年10月にイタリアで開催された第13戦エミリア・ロマーニャGPとのことですが、事前にどんな準備が必要だったのですか?

熱田 イタリアに入国する際には本来、現地到着後に2週間の自主隔離が必要になります。それを免除するためにイタリアの保健相から特別許可を得る必要があったので、事前にF1を主催する国際自動車連盟(FIA)に提出する書類がすごく多かったんです。それが大変でしたね。しかも保健相からOKの返事がなかなか来ない。結局、最終的に許可が降りたという連絡が来たのは、出発の数時間前。本当に焦りました(笑)。

 もうひとつ大変だったのは、イタリア渡航時には到着の72時間前までに受けたPCR検査の新型コロナウイルス陰性証明書を持っていくことでした。その頃は東京都内でもPCR検査をしてすぐに証明書を出せるところはあまりなかったですし、料金もすごく高かった。結局、飛行機に搭乗する直前にメールで証明書を送ってもらうという、非常に慌ただしい出発になってしまいました。飛行機の中ではちゃんと入国できるか心配していましたが、いざ行ってみると、普段よりもあっさり入国できてしまいました。それは、イタリアらしいなぁって(笑)。



アブダビでPCR検査を受けるフォトグラファーの熱田護氏(右)

ーーサーキットでのPCR検査の体制はどうなっていたのですか? 

熱田 サーキットに到着した初日に1回目のPCR検査を受け、以降は5日に1回のペースで受けるのがFIAの原則でした。サーキットに入るところに主催者が検査場を設けており、そこは僕たちメディアやマーシャル(コース係員)などの専用の検査場で、無料で検査できました。だから受けようと思えば、毎日できましたよ。ドライバーやメカニックなどのチーム関係者はパドックの中に設けられた検査場で行なっていました。



サーキットのプレスルームは密を避けるため隣の席との空間は大きく確保されていた

ーーサーキット内での移動に関してはどんな制限がされているのですか? 

熱田 各レースのメディア関係者は50〜60人で、ジャーナリストとフォトグラファーの比率が半々でした。フォトグラファーはコースとピットの2チームに分けられ、感染防止のために行き来することはできません。だから表彰台はコースから撮影していました。

 コースに出るフォトグラファーは大人数で移動するのを避けるために3、4人のグループに分けられ、決められた番号のミニバンに乗って移動。ところが、あるセッションの前に移動しようと思ったら、僕の番号のミニバンがいないんです。慌てて担当者に連絡してもらったら、「今ミニバンのドライバーが昼食をとっているので1時間待ってくれ」と。「それじゃあ、セッションが始まってしまう」と文句を言ったら、結局、どのミニバンに乗ってもいいということになりました。それもイタリアらしいですよね(笑)。

ーー現場も混乱していたんですね。帰国は問題ありませんでしたか? 

熱田 取材が終わって、ようやく日本に帰れると思ったら、フライトが突然キャンセル。旅行者が少ないので、航空会社はどんどん便を間引いていくんです。結局、チケットを新たに探して購入することになり、余計な出費がかさんでしまいました。それでも何とか帰国したのですが、その後が一番辛かったかもしれません。

 新橋のホテルで2週間の自主隔離をしていましたが、外出は近所のコンビニかお弁当店ぐらい。狭い部屋に何日もこもっていると、運動不足になるし、退屈ですし、お金もかかるし......。おまけに隔離用の部屋なのでルームサービスはないし、掃除もしてくれません。タオルやシーツなど何日かに1回、ドアの前に置いてあって、それを自分で交換する。部屋が汚れてきたので、掃除機を貸してほしいとお願いしたら、それもダメだと。「汚れた部屋にこのままいろってことですか......」と言ったら、粘着クリーナーの「コロコロ」を貸しますって(笑)。

ーーそんな苦労があったんですね。でも、帰国して1カ月半後には中東に3週間滞在して、バーレーンでの2連戦と最終戦のアブダビGPを取材しています。感染対策にはイタリアとの違いはありましたか?

熱田 バーレーンはPCR検査の管理体制がしっかりしていました。事前検査は必要なかったのですが、空港に着くと、すぐに施設内でPCR検査を受けました。その際に専用アプリをスマートフォンにインストールする必要があるのですが、このアプリが本当によくできていました。バーレーンでも基本的に5日に1回、必ずPCR検査を受けなければならなかったのですが、その都度、結果がアプリ内に蓄積されます。アプリから陰性証明書もダウンロードできて、スムーズに取材ができました。また、アブダビへ移動する際にはそれを入国審査にも使用しました。

ーーサーキット内の感染対策はいかがでしたか?

熱田 すごく厳格で、フォトグラファーは決められた番号のミニバンでしか移動することができませんでした。イタリアのようなことはなかったです(笑)。でもバーレーンではメディアから感染者が出ました。2連戦の1戦目にロシア人のフォトグラファーが新型コロナに感染し、途中でいなくなってしまいました。そのロシア人は僕の隣で表彰式を撮影していたので、かなりビビりましたね。

ーーバーレーンの2連戦の後は、最終戦のアブダビGPです。同じ中東とはいえ、国境を超えることになりますが、本来はアブダビで2週間の隔離が必要となりますよね。

熱田 それを回避するためにF1のチーム関係者、メディア、スタッフがFIAのチャーター便でアブダビまで大移動しました。バーレーンのレースが終わった翌日に12機のチャーター便で飛びました。飛行機を降りると専用の通路ができていて、そこで五月雨式にPCR検査を受けていきます。

 その後、通路を通って外に出ると、チャーターしたバスがたくさん並んでいました。チーム用、メディア用、運営スタッフ用などに分かれていて、指定されたバスに乗り込むと、警察車両の先導で隔離されているエリアにあるホテルにそれぞれ向かいました。

ーーいったん隔離されたエリアの中に入ると、外からは出られなかったのですか?

熱田 そうですね。サーキットとホテルがあるエリア周辺はフェンスで覆われていて、出入口にはセキュリティがいます。基本的に外には出られませんし、逆もそうです。そこまで徹底していました。僕はホテルに10日間いました。部屋にこもっていると運動不足になるので、「何時から何時まではサーキットを開放するので、その時間はそこで運動してもいい」という案内がありました。でも感染のリスクがあるので出歩くことはなかったです。

ーーF1は関わっているスタッフ数が多く、国境を越えて大人数が移動していきます。そこが他のスポーツイベントに比べて大変なところですが、2020年の17戦を開催して、最後までシーズンをやり遂げました。

熱田 そこはすごいと思います。コロナ対策は国によって状況や法律なども異なりますので、取材の際に事前に用意する書類や現地に入ってからの動き方がまったく違います。しかも感染状況は刻々と変わっていく。それをFIAはしっかりと把握しながら、ドライバー、チームのメカニックやエンジニア、メディア、運営スタッフなど、F1に関わるすべての人間の動きをコントロールしていかなければなりません。

 どれくらいの人数がイベントに関わっているのか、正確にはわかりません。でもバーレーンからアブダビへ移動した際、チャーター機に搭乗した人数を数えたら約1200人でした。バーレーンやアブダビの時にはすでにタイトルが決まっており、いつもよりチームやメディアなどの人数は少なかったと思いますが、それほどの人の動きを管理していたFIAの担当者は本当に大変だったと思います。

ーー話を伺うと、コロナ禍の取材は本当に大変だったと思いますが、中でも一番キツかったことは?

熱田 日本でコロナに感染することと、海外でかかるのでは恐怖感が比較になりません。きちんと治療を受けられるのか、治療代はいくらかかるのか......。心配は尽きません。またイベント前後に書類を作ったりする事務作業や、帰国した後の自主隔離もすごく負担が大きい。そういったことを考えると、「次の取材はどうしようかな......」と躊躇してしまいます。だから最終的にはモチベーションを保つことが一番大変だったかもしれないですね。

ーーそれでも、今年は全戦を取材するつもりですか?

熱田 もちろん許可が出れば、ですけどね。出入国の際の2週間の隔離をどうクリアするのかが課題になると思いますが、まだFIAからの指示はありません。いずれにせよ今年も大変になると覚悟していますが、ホンダF1の最後の年ですし、角田裕毅選手もアルファタウリからデビューしますので、感染に十分に注意しながら、できるだけ多くのレースを取材したいです。

【profile】 
熱田護 あつた・まもる 
1963年、三重県鈴鹿市生まれ。二輪の世界GPを転戦した後、91年よりフリーフォトグラファーとしてF1の撮影を開始し、2019年のベルギーGPでF1取材が500戦を達成した。19年末に刊行した写真集『500GP フォーミュラ1の記憶』(インプレス)は好評で、完売間近。