Juju・野田英樹 親子インタビュー 前編 後編はこちら>>元F1ドライバーの野田英樹氏を父に持つ、中学生のレーシングドライバーJuju(野田樹潤)、15歳。2020年から海外での活動をスタートさせ、デンマークF4選手権はデビュー戦でいきな…

Juju・野田英樹 親子インタビュー 前編 

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元F1ドライバーの野田英樹氏を父に持つ、中学生のレーシングドライバーJuju(野田樹潤)、15歳。2020年から海外での活動をスタートさせ、デンマークF4選手権はデビュー戦でいきなりポール・トゥ・ウインを飾る活躍を見せた。今シーズンはアメリカに戦いの場を移し、新たにF4 USに参戦する。
世界のトップカテゴリーで勝つことを目指し、父と娘の二人三脚で走り続ける野田親子に、今シーズンの抱負を聞いた!



2020年6月、デンマークF4でデビューウインを飾ったJuju(NODA RACING CONSULTANTS=写真提供)

ーー2021年、戦いの場所をデンマークからアメリカに移したのはどうしてですか?

野田英樹(以下、野田) 当初はアメリカだけでなく、イギリス、イタリア、スペインあたりでF4を走るという選択肢はありましたが、やはり新型コロナの影響が大きかったです。昨年、デンマークでは結局、当初予定していたレース数の約3分の1(9戦)しか開催されませんでした。現在のヨーロッパの感染状況を見ていると、果たして今年はどうだろうか、と不安を感じました。一方、アメリカも感染者はたくさん出ていますが、昨年はどこよりも早くレースを再開し、観客を入れたレースを開始しています。その実績を考慮すると、アメリカのほうが走れるチャンスが多いのではないか、という判断がひとつありました。

 それから、Jujuをこれまで支援してくれている日本のスポンサーに加えて、今回、F1などのスポンサーをしているグローバルIT企業の「ROKiT(ロキット)」がJujuを支援してくれることになりました。ROKiT本社がアメリカにあり、「(Jujuが)アメリカでレースしてくれたら、こんなに喜ばしいことはない」とおっしゃっていました。求められるところで走り、結果を出すことがプロのドライバーにとっては大事だと思います。そういうことを本人と相談して、アメリカ行きを最終的に決断しました。

Juju 去年、デンマークに行くことを選択したのは自分の年齢(当時14歳)で走れるのがデンマークだったからですが、15歳になれば(*2月2日に誕生日を迎え、現在15歳)、ヨーロッパの多くの国々やアメリカでも走れるようになり、選択肢はどんどん広がっていきます。

 今シーズンは最終的にアメリカでの参戦が決まり、すでに何度か現地のサーキットを走ってみましたが、ヨーロッパとは印象が全然違いました。いろんな経験ができるだろうと楽しみにしています。

ーー同じF4とはいえ、昨年のデンマークとアメリカのシリーズでは使用するシャシー(車体)、エンジン、タイヤが異なりますが、マシンに乗ってみていかがですか?

Juju いくつかのサーキットでテストを走ってみたのですが、マシンはそれほどの違いは感じませんでした。いいフィーリングで走ることができたと思います。タイム的にも去年のレースと比較して、悪くないと思います。

ーーデンマークF4では、時には相手からぶつけられるほどの厳しいバトルがあったようですね。初めての海外のレースで印象に残っているのは、やはりそのことですか?

Juju そうですね。日本ではそういう激しい抜き合いをしたことがなかったので、すごく刺激になり、いい経験にもなりました。

野田 デンマークに日の丸を掲げて「NODAレーシング」と日本人の14歳の女の子が乗り込んできて、開幕戦からポールを取って、いきなり優勝してしまいました。その後は、やっぱり本人だけじゃなく、チームに対してもかなりマークがきつくなったんです。



1994年、F1参戦時の野田英樹(熱田護=撮影)

ーーそんな中でもJuju選手は非常に前向きな姿勢で、お父さんとしては頼もしいんじゃないですか?

野田 レースだけに限りませんが、どんな世界でも政治的な部分の駆け引きがあります。自分が現役時代にヨーロッパで経験したようなことは、Jujuのようにトップを目指してレースをやっている次世代の子どもたちには経験させたくありません。そのために我々がしっかりとマネジメントをして、もっといい体制の中で走らせてあげたいと思っています。Juju本人と同じようにマネジメントサイドも「負けても負けても諦めない!」という気持ちで一緒に立ち向かっています。

ーー昨年のデンマークでは野田さんがチーム監督でしたが、今年はエンジニアを担当されるということですよね。

野田 それはやっぱり昨年の経験が影響しています。優勝した後にマークがかなりきつくなり、今後、日本人だけで戦うのは厳しいだろうなぁと感じました。だから今年はアメリカのトップチーム「ジェイ・ハワード・ドライバー・デベロップメント」とアライアンスを組み、少しでも火の粉を払いのけてくれるチームの屋根の下にいたほうが戦いやすくなるだろうと判断しました。私自身も監督として名前を出さず、現場で実際にクルマを作り上げるところのサポートをしてあげればいいんじゃないかなと考え、この体制にしました。

ーーお父さんがエンジニアというのは頼もしいものですか?

Juju お父さんは私のドライビングスタイルや、どういうセットにすれば速く走れるかということをわかってくれています。それに実際にドライバーとしてレースを戦った経験があるので、ドライバーの気持ちを理解していてすごくやりやすいです。セットを決める時などは、お父さんは自分の経験からどんな方向にいけばいいとわかっていても、すぐに答えを教えるのではなく、まずは私に考えさせます。それで、もし間違った方向にいったら、すぐに引き戻してくれる役割をしてくれて、そういった面でもすごく戦いやすいです。

 レース以外の部分でも、家族のみんなが一緒に来てくれているので、安心してレースに集中できます。チームの方々とずっと一緒にいると、レースのスイッチが入ったままになってしまい、気が抜けません。家族みんなが来てくれるので切り替えができますし、すごく頼もしいです(笑)。

ーーデンマークF4ではデビューシーズンに1勝を挙げ、ポールポジション3回、ランキング6位の結果を残しました。野田さんから見て、Juju選手がドライバーとして成長したと感じる部分は?

野田 いきなりヨーロッパへ行って、あれだけの結果だったのは立派だと思います。昨年はデンマーク国内だけでなく、フランスやスペインなどのサーキットにも遠征しました。でも、最初は同じクラスのドライバーに全く歯が立たず悔しい思いをして、そこから努力して追いついていって、トップに立つところまでいきました。途中、悔しくて泣いたこともありますし、プレッシャーもあったと思いますが、いくつもの壁を乗り越えて、やり遂げました。そばで見ていても、人間的にも精神的にもすごく成長したと思いますね。

 デンマークで厳しいマークが続いている時も、本人は途中から開き直って、軽く受け流していました。「このレベルで精神的に参っていたら上へは行けない」と自分自身に言い聞かせながら戦っていました。それは私が教えたわけでなく、自分で気がついてやり始めました。そこが一番成長したポイントだと思います。

Juju 自分でもメンタル面は強くなったと思います。やっぱり日本だと、自己主張する場面がなかなかなかったのですが、海外では自己主張しないと戦っていけません。デンマークでの1年間で、そこは成長できました。



アメリカからオンラインでインタビューに応じる野田親子

【profile】 
野田樹潤 Juju 
2006年2月2日生まれ。3歳の頃に父からプレゼントされたカートに乗り始め、4歳でレースデビュー。9歳からF4マシンをドライブし、2020年はデンマークF4選手権に参戦。デビューウィンを飾った。今季は「ジェイ・ハワード・ドライバー・デベロップメント」からアメリカのF4選手権に挑む。趣味は料理。「レースを離れると、アニメも見ますし、普通の中学生っぽいことが好きです(笑)」

野田英樹 のだ・ひでき 
1969年3月7日生まれ。82年にカートデビューし、87年にフォーミュラカーレースにステップアップ。89年に渡欧し、イギリスF3や国際F3000で活躍。94年にラルースからF1デビューを果たす。その後、アメリカのインディ・ライツやインディカー選手権、国内最高峰のスーパーフォーミュラやスーパーGT、ルマン24時間レースにも出場。2010年限りで現役を引退し、13年から「NODAレーシングアカデミー」を開校し、世界で活躍するレーサーを育てることに力を注いでいる。