今年3月には第4回WBCが開幕、2020年の東京五輪では野球が正式種目に採用されるなど、球界では再び国際大会への注目度が高まっている。アマチュアの選手で構成されていた日本代表チームが初めてプロ・アマ混合で戦ったのは2000年シドニー五輪予選…

今年3月には第4回WBCが開幕、2020年の東京五輪では野球が正式種目に採用されるなど、球界では再び国際大会への注目度が高まっている。アマチュアの選手で構成されていた日本代表チームが初めてプロ・アマ混合で戦ったのは2000年シドニー五輪予選を兼ねた1999年のアジア野球選手権だった。当時のチームを率いたのが、現在、日本野球連盟の役員を務める大田垣耕造さんだ。日本代表チームの大きな転換期を経験した67歳の元代表監督に日の丸でプレーすることの意義や代表チームへの思いを語ってもらった。

■日本代表の転換期で指揮した大田垣耕造さん、現在の「侍ジャパン」をどう見る?

 今年3月には第4回WBCが開幕、2020年の東京五輪では野球が正式種目に採用されるなど、球界では再び国際大会への注目度が高まっている。アマチュアの選手で構成されていた日本代表チームが初めてプロ・アマ混合で戦ったのは2000年シドニー五輪予選を兼ねた1999年のアジア野球選手権だった。当時のチームを率いたのが、現在、日本野球連盟の役員を務める大田垣耕造さんだ。日本代表チームの大きな転換期を経験した67歳の元代表監督に日の丸でプレーすることの意義や代表チームへの思いを語ってもらった。

 大田垣さんが日本代表監督に就任したのは1997年のこと。同年、スペインで行われたインターコンチネンタルカップの決勝戦で強豪キューバに11-2と圧勝し、12大会ぶり2度目の優勝を成し遂げた。キューバの連勝を「151」で止める快挙だった。

「予選は4勝3敗と苦戦しましたが、幸運にも他力本願で決勝トーナメントに進出できました。この勢いに乗り準決勝でオーストラリアを破り、決勝でもキューバに勝ちました。

 試合後にキューバは公式戦151連勝中だったと聞きました。正直、そこまで勝っているとは思いませんでしたね。アトランタでも追い詰めたのですが勝てなかった。キューバに勝ちたいという思いが非常に強かっただけに、この1勝は嬉しかったですね」

 日本代表メンバーには当時、大阪体育大学の上原浩治(現カブス)や慶応義塾大学の高橋由伸(現巨人監督)、日本生命の福留孝介(現阪神)らがいた。福留はPL学園を卒業してすぐの社会人1年目で、1996年のアトランタ五輪も経験していた。

■日の丸を背負う意義、「上原はベテランから学んだことも多いと思う」

「福留はすでに五輪も経験していて、国際大会にも慣れていました。上原や高橋、二岡(智宏、当時近畿大)は、学生のトップクラスでした。高橋はアトランタ五輪の後に頭角を現してきましたね。振りは当時からすごかったですよ。上原は杉浦投手など社会人のベテランピッチャーと色々な話をしていましたから、ベテランから学んだことも多いと思います。

 国際大会は、他の国の野球がどのようなものか、どんな環境で野球をしているのか、など日本の常識が通用しないこともありますので、学生にとっては非常にいい経験になります。当時は日本人のメジャーリーガー自体が少なかったですから、まさか上原、福留がメジャー入りをする、そこで活躍するとは思ってもいませんでした」

 シドニー五輪で4位に終わり、日本野球史上初めてメダル獲得を逃す屈辱を味わった当時のチームの選手たちが国際大会の経験を経て大きく成長していく姿を目の当たりにした大田垣さんだからこそ、「代表として戦える機会があるなら、諸事情をクリアしてぜひ積極的に参加してほしい」との思いを口にする。

 今年のWBCメンバーにはメジャーリーガーとして青木宣親(アストロズ)が代表入りする一方、上原はチーム事情もあり出場を辞退した。大田垣さんは「チームを編成する側としては、メジャーリーガーにも参加して欲しいと思いますが、所属球団の考え方もありますから仕方ないですね」と話しつつ、「日の丸を付けて戦うと、日の丸の重さは染みつくんだと思います。『選ばれて来た。選ばれたことに対して精いっぱい頑張ろう』という気持ちが強くなると思います。この気持ちは、実際に代表として公式国際大会で戦わないと、なかなか感じられないと思います」と、代表チームの一員としてプレーする意義を訴える。

 日本代表は近年、「侍ジャパン」としてU-12からトップチームまでプロ・アマが結束する体制が整備された。こうした活動により、少しずつ代表チームの意識付けができてきたと大田垣さんは感じている。昨年行われた各カテゴリーの国際大会では全て決勝進出を果たし、侍ジャパンU-15代表以外はU-12、U-18、U-23、女子(W杯5連覇)とも頂点に立った。大学代表も日米大学野球選手権で優勝しており、計6大会で金メダル5個、銀メダル1個を獲得している。

■東京五輪ではアマチュア選手が代表入りする可能性も?

「U-12の仁志敏久監督は、U-12でやらなければいけない基本的なことを指導しています。勝ちへのこだわりもありますが、その前に必要な日本独特の礼儀やしつけの指導に重点をおいています。またU-15の鹿取義隆監督は、体ができつつある15歳という時に、故障やけがをさせないことを第一に、基本はもちろん個々の特性に合った、伸びしろが広がるような指導をしています。こうした指導で野球選手としての基礎部分ができ、徐々に野球が上手くなるのだと思います。各世代における連携がトップチームの底上げに繋がるといいですね」

 大田垣さんはそう話し、現在の取り組みを高く評価する。

 プロ・アマが結束し、着実に強化されている日本代表チーム。その中で侍ジャパンのトップチームに関しては現在、プロ選手だけで構成されている。ただ、2020年東京五輪でアマチュアの選手に出場の権利がないわけではなく、トッププロに並ぶようないい成績を残せば、代表候補に入る可能性はあると大田垣さんは話す。

「1988年、公開競技として行われたソウル五輪で新日本製鐵堺(1994年休部)から20歳で代表入りした野茂英雄、松下電器(現パナソニック)から19歳で代表入りした潮崎哲也(現西武2軍監督)のような選手がいれば、代表入りも可能だと思います。東京五輪は皆さんの期待も大きいですから、プロ・アマ問わずいい選手が出てきて最強のチームを作って欲しいですね。」

 東京五輪でプロに混じりアマチュア選手が日の丸を背負うことはあるのか。日本代表を率いて数々の国際大会を戦ってきた大田垣さんは代表チームのさらなる躍進を願いつつ、力のあるアマチュア選手の出現に期待を寄せている。

篠崎有理枝●文 text by Yurie Shinozaki