池江璃花子(ルネサンス/日本大学)が、2021年に入って復帰3戦目を迎える。  2019年、2月に白血病を公表した池江は、約1年にも及ぶ闘病の末、病を克服。2020年8月29日、東京都特別水泳大会の50m自由形で、594日ぶりにレー…

 池江璃花子(ルネサンス/日本大学)が、2021年に入って復帰3戦目を迎える。

 2019年、2月に白血病を公表した池江は、約1年にも及ぶ闘病の末、病を克服。2020年8月29日、東京都特別水泳大会の50m自由形で、594日ぶりにレース復帰を果たした。



10月のインカレでは4位ながらも、晴々とした表情を見せた池江璃花子

 その姿はどこか初々しい。日本選手権も、世界選手権も、五輪も経験してきた彼女が、世界のトップスイマー相手にも見せたことのないこわばった表情を見せていた。

 だが、水に入ってしまえば復帰したばかりとはいえ"選手"だった。

 大きく伸びやかな泳ぎに、軸のぶれない姿勢。ゆったりと見えるストロークは、水を捉えている証拠だ。

 記録は26秒32。24秒21の自己ベストから比べたら平凡なタイムかもしれない。だが、彼女にとっては「不安もありましたが、楽しかったです。第二の水泳人生が始まったんだな、と感じました」と、心より待ち望んだ瞬間に喜びを噛みしめるレースとなった。

 このとき、彼女の周りの誰もが『プールに帰ってこられただけでも十分ではないか』と思っていた。関係者も、ファンも、メディアも、だ。しかし、そう思っていない人がひとりだけいた。池江本人である。

「ラスト15mで呼吸をしたんですけど、自分が周りより少し前に出ているのがわかりました。身体もきつくて思うように動かなかったんですけど、このまま負けたくない、という気持ちが出てきて最後まで頑張れました」

 自分でも無理をする時期ではないことはわかっている。それほど高いレベルの結果を求めている訳でもない。それでも、『負けたくなかった』のだ。池江のアスリートとしての魂がそこにはあった。

 この結果によって、日本学生選手権水泳競技大会(インカレ)の制限タイムも突破。「ずっと出場したかった」と目標にしていた大会にエントリーした。

 そのインカレでは、8月のタイムを0秒5も上回る25秒87の6位で50m自由形の予選を通過した。決勝では、8月に見せたような初々しさはなく、過去の大きな大会で見せてきた、目の前のレースに集中する池江の姿があった。

 決勝はさらに記録を上げて、25秒62。3位だったチームメイトの山本茉由佳(ルネサンス/日本大学)との差は、たった0秒04。「第二の水泳人生のベスト。満足しています」と笑顔を見せながらも、同時に「4位はやっぱり悔しい」と、はっきり力強く口にした。

「今振り返ると、8月の試合前は不安のほうが大きかった。身体もまだ細くて、以前の自分とは違う姿を人に見せるのは、恥ずかしいという気持ちもありました。でもこのままじゃダメだとも思えたので、あのレース以降はすごくいい練習がこなせました。だから今回は自信もありましたし、心からレースを楽しむことができました」

 もうひとつ、このレースで池江が私たちに見せつけたアスリートとしての気質があった。隣の8レーンを泳いだ荒川葵(神奈川大学)との勝負に、0秒02差で競り勝つ勝負強さだ。

 レースを振り返ると、スタートは荒川がリード。25m付近では池江が逆転し、手の平ひとつ分ほど前に出る。だが、ラスト5mで池江のスピードが少し鈍ったところで荒川がグッと伸びてきたが、それをかわし切った。

 上を見れば、3位に競り負けたとも言える。だが右側を向いて呼吸をする7レーンの池江には、8レーンの荒川が見えていたはず。隣で並んでいることはわかっていただろう。その状況で諦めることなく泳ぎ切るには、トレーニングに裏付けされた自信が必要だ。

 8月の復帰戦は、文字どおり復帰のためのレースだった。自分がどこまでできるのか、思うような泳ぎができるのか。何もかもが手探りだったために、池江の心は、不安と迷いで覆い尽くされていたことだろう。

 しかし、ひとつレースをこなし、インカレの参加標準記録突破という目標を達成できたことで池江は大きな変貌を遂げる。

 白血病と戦っているときも忘れることなく、自分の心の奥で小さな炎を燃やし続けた、アスリートの魂を呼び覚ますことができたのだ。

 もう、池江の心に迷いはない。目標を達成するための努力もできるし、高い緊張感のなかでも自分の力をレースで発揮できる力もある。練習すれば、自分はできる。"今までと同じように"。

 インカレのレース後、今後の課題を聞かれた池江はこう答えた。

「課題はありません。今は全力で水泳を楽しみながら、タイムを出すために頑張るだけです」

 当時の彼女にとって、課題をあえて言うならば体力作りだ。1日に予選と決勝の2回、全力で泳げる体力。筋力をつけるトレーニングをするための体力。練習を継続するための体力。質の高い練習をこなすための体力。そのためには、一に練習、二に練習、三四も練習、五も練習。ひたすら泳ぎ続けることでしか、水泳の体力を養う方法はない。

 そして、体力作りのための練習ほど、面白くないものはない。すぐに結果に結びつくわけでもなく、成果が目に見えてわかるものでもない。体力作りという基礎を構築するためには、地味で辛く厳しい練習を、来る日も来る日もこなさなければならない。そんな地味な練習だからこそ、心が折れないように全力で楽しむことが大事なのである。

 それを池江は感覚で理解しているのだろう。だから、「全力で水泳を楽しんで、頑張るだけ」という言葉が口をついて出たのだ。

 インカレ後、じっくりと力をため込むために、池江はレースには出場せず、トレーニングに勤しむ日々をすごしている。さなぎが蝶となって美しく飛び立つために、力を蓄えるように――。

 1月23日。Kosuke Kitajima Cup2021の2日目、女子100m自由形で復帰3戦目を迎える。

 ここでの過度な期待は禁物だが、それでも、池江という選手はなぜか期待してしまう。間違いなく、8月の復帰戦よりも、10月のインカレよりも、はるかに成長した姿を見せてくれるはずだ。