『羽生結弦は未来を創る〜絶対王者との対話』 第Ⅴ部 プログラムの完成形(1) 数々の快挙を達成し、男子フィギュアスケートを牽引する羽生結弦。常に挑戦を続ける桁外れの精神力と自らの理想を果敢に追い求める情熱を持つアスリートの進化の歩み…

『羽生結弦は未来を創る〜絶対王者との対話』
第Ⅴ部 プログラムの完成形(1)

数々の快挙を達成し、男子フィギュアスケートを牽引する羽生結弦。常に挑戦を続ける桁外れの精神力と自らの理想を果敢に追い求める情熱を持つアスリートの進化の歩みを振り返る。世界の好敵手との歴史に残る戦いや王者が切り拓いていく未来を、長年密着取材を続けるベテランジャーナリストが探っていく。



2014年ソチ五輪SPで『パリの散歩道』を演じる羽生結弦

 羽生結弦が完成形を見せた、数々のプログラム。最初に大きな印象を残したのは、『パリの散歩道』。2014年のソチ五輪で、男子では史上3人目の五輪初出場・初優勝の大きな要因となったショートプログラム(SP)だ。

 08年世界王者のジェフリー・バトル氏が初めて羽生のプログラムの振り付けをした、ロック・ギタリストのゲイリー・ムーア作の曲。その独特なギターの音色は、情感を幻影のように残しながら滑る羽生のイメージとマッチした。

 シニア2シーズン目の2011ー12からフリーだけでなくSPにも入れていた4回転トーループの精度が上がり、12年のグランプリ(GP)シリーズのスケートアメリカとNHK杯ではSPで『パリの散歩道』を演じて、それぞれ95.07点、95.32点と当時の歴代世界最高得点を連発した。

 それほどまで完成度を上げていながら、シーズン最後の13年世界選手権は直前の膝のケガもあって崩れた。「悔しかった。まだ(『パリの散歩道』は)本当に完成はしていない」との思いもあって、ソチ五輪シーズンでも使うことを決め、シーズン前のアイスショーでも滑っていた。

 そのアイスショーでの『パリの散歩道』の滑りについて、羽生はのちにこう振り返っている。

「お客さんに見てもらうことをすごく意識したプログラムでした。(その意識が)その後も生きていて、表情を柔らかくしながら、ジャンプに集中できている」

 そして、勝負の2013ー14シーズン。GPシリーズ2戦目のエリック・ボンパール杯で自己記録をわずかに更新する95.37点を出した羽生は、その後のGPファイナルでパトリック・チャン(カナダ)に塗り替えられていた世界最高得点を1.32点更新する99.84点をマーク。その自信と勢いをそのままぶつけたのが、ソチ五輪だった。

 ソチ五輪SP、最初の4回転トーループはGOE(出来栄え点)満点に迫る2.86点を獲得する完ぺきなジャンプ。チェンジフットシットスピンのみレベル3と取りこぼしたが、自信と余裕がにじみ出る表情のまま滑り切り、国際スケート連盟(ISU)公認大会では初となる100点台に乗せる101.45点でトップに立った。

 2分50秒の中で7つの要素をこなすSPは、ひとつのミスが大きな得点差となって表われ、命取りになる。どの選手も「ミスは許されない」という緊張感を強いられ、逆にミスを呼び込んでしまうこともある。

「ショートに余裕を持つことで、フリーの完成度を高めることに集中できるメリットは大きい」

 羽生はそうした精神状態で臨んでいたシーズンだったからこそ、プレッシャーを強いられる五輪の大舞台でも、自分を信じて力を出し切る演技ができたのだろう。羽生は『パリの散歩道』への強い信頼感を貫き、五輪初制覇への足掛かりを作ったのだ。



2014年6月のドリーム・オン・アイスで『バラード第1番』を初披露した羽生

 そんな羽生が次に挑んだのが、シンプルなピアノ曲だった。

 五輪後、14年6月から始まったアイスショー「ドリーム・オン・アイス」で、新しいSPを披露した。

「僕自身、たぶん(13ー14)シーズンが終わった後は燃え尽きていたと思います。でも、(14年3月の)世界選手権の数日後からアイスショーもありましたし、(イベントなどの)仕事も立て込んでいたから、燃え尽きていることに全然気づかなかった。

 アイスショーでは、たくさんの観客の皆さんが五輪チャンピオンとして迎えてくれて......。『頑張ろう』という意欲が湧いてきました。そこで初めて、自分がいかに抜け殻だったかということに気づきました」

 ショーで一緒になったエフゲニー・プルシェンコ(ロシア)ら、トップスケーターと一緒に過ごしたことも、「元の自分」に戻れた要因のひとつだという。「スケートに集中して本気で打ち込めている」と話す羽生が、新たにSPに選んだのは、ショパンの『バラード第1番ト短調』だ。

「ピアノの曲はジュニアの時にフリーで2年間使ったけれど、その時の感覚がすごく好きだったから、試合でもう一回使いたいと思っていたんです。クラシックは、物語性が明確ではないから、伝えるという面ですごく難しい。だからこそ、自分の表現の幅を広げたいという意味もあって」

 振り付けをしたのは、『パリの散歩道』と同じバトル氏。「ピアノの曲を」とだけ伝えて依頼したところ、第1候補と提案されてできあがったのがこのプログラムだったという。

『パリの散歩道』とはまったく違う、静かな滑り出し。羽生は冒頭のジャンプをトリプルアクセルにし、得点が高くなる後半に4回転トーループを持ってきた。さらに、最後に3回転ルッツと3回転トーループのコンビネーションジャンプを跳ぶ難しい構成にしていた。羽生はこう説明した。

「僕自身は進化したいというのがあります。前年までのSP(『パリの散歩道』)は完成させたと思っていますから、さらに進化し続けるために、何か新しいことをやりたいと思いました。4回転サルコウを入れることも頭にあったけど、今の僕では、そこまでのリスクはまだ負えない。確率が高くなってきた4回転トーループを後半に入れようと思ったんです」

 このアイスショー直前に練習を始めたばかりで、プログラムを通しての練習もしていなかったという。羽生は初披露に「不安もあって緊張した」と話したが、力強い滑りで4回転トーループもきれいに降りた。

「自信はついたけど、あくまでショーのショートとしての自信でしかないですね。(ショーは競技リンクより)リンクが小さいので、しっかりステップを踏めていないところもたくさんあった。まだ大きなリンクで滑っているわけではないですし、試合は試合ですから。課題もたくさんあるから、完成させられるようにこれから頑張っていきたいです。お客さんに見てもらうということはすごく大切なことなので、ショーも練習の場のひとつだと思っています」

 こう話していた羽生は7月上旬の「ファンタジー・オン・アイス」でも、五輪サイズより狭いリンクでSPを披露。トリプルアクセルと4回転トーループ、3回転ルッツ+3回転トーループをきれいに決め、さらなる進化への強い決意が伝わってきた。

 羽生は13ー14シーズン、SP、フリーの両方で完璧な演技をそろえた試合がなかったことへの悔しさがあった。それも進化への強い気持ちにつながったのだろう。14ー15シーズンの目標についてこう口にした。

「いろんな意味でスタートの年になると思います。五輪が終わって、冒険ができる年という捉え方もあるけど、僕自身はやはり五輪チャンピオンになった今だからこそ、これからの成績や実力というのが、ものすごく試されるようになると思っています。五輪チャンピオンらしい結果と演技を、このシーズンでしっかり印象づけていかなければいけない」

 また技術面では、SPの最初はゆったりしたテンポのため「いかに動きにメリハリをつけるかが課題で、指先の一本一本まで意識して丁寧に動かしていかなくてはいけない」と分析。「後半に入れた4回転トーループを確実に跳ぶためには、自分の体の状況を把握するなど、ひとつひとつ神経を研ぎ澄まさなくてはいけない」と、修正すべきポイントを冷静に見きわめていた。

 練習では、難易度の高い4回転ループや4回転ルッツにも取り組んでいた。

「ループは練習では成功しているけど、プログラムに入れるかどうかといえば、たぶんまだ入れないでしょう。ただ、今までの自分の道のりを振り返れば、限界と思うものまでプログラムに詰め込んでやってきた。今、プログラムに入れる最も高度なジャンプは4回転サルコウになると思います。その確率を上げるために、自分の実力や限界点を高めていくことが必要です。だからこそ練習でループやルッツにもチャレンジしているんです」

 タイトルを独占しても、おごりは一切なし。挑戦者としての姿勢を持ち続けていた羽生。アイスショーもプログラムを完成させるための貴重な一歩。ここから、シーズンインへ向けての本格的な準備が始まったのだ。

*2014年7月の記事「新シーズンへ。羽生結弦が語ったソチ五輪後の『葛藤』」(web Sportiva)を再構成・一部加筆

【profile】 
羽生結弦 はにゅう・ゆづる 
1994年12月7日、宮城県仙台市生まれ。全日本空輸(ANA)所属。幼少期よりスケートを始める。2010年世界ジュニア選手権男子シングルで優勝。13〜16年のGPファイナルで4連覇。14年ソチ五輪、18年平昌五輪で、連続金メダル獲得の偉業を達成。2020年には四大陸選手権で優勝し、ジュニアとシニアの主要国際大会を完全制覇する「スーパースラム」を男子で初めて達成した。

折山淑美 おりやま・としみ 
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。92年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、これまでに夏季・冬季合わせて14回の大会をリポートした。フィギュアスケート取材は94年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追っている。