2021年1月2日、3日に開催された第97回箱根駅伝は、新型コロナウイルス感染拡大の予防対策として沿道での応援自粛が呼び掛けられ、静かな大会となった。 4区で東海大を抜いて1位で襷を繋いだ創価大の嶋津雄大(左) しかし、レースは最後まで…
2021年1月2日、3日に開催された第97回箱根駅伝は、新型コロナウイルス感染拡大の予防対策として沿道での応援自粛が呼び掛けられ、静かな大会となった。
4区で東海大を抜いて1位で襷を繋いだ創価大の嶋津雄大(左)
しかし、レースは最後まで熱く盛り上がる展開となった。その中心にいたのは、4回目の出場で往路優勝を果たし総合2位になった創価大(前回9位)だ。
一方、活躍が期待されていた前年優勝の青学大や2位の東海大、全日本大学駅伝優勝の駒澤大の3強や、全日本3位の明治大など有力校は往路からミスを連発した。
1区は17km過ぎまで大集団で走るスローペース。18km手前からスパート合戦になると、明治大は児玉真輝(1年)が16位と出遅れしまい、2区でも順位を17位に下げてしまい優勝争いからは完全に脱落した。
駒澤大も1区の白鳥哲汰(1年)が15位と明治大と同じように出遅れたが、2区の田澤廉(2年)が8位に上げると、3区の小林歩(4年)が3位まで上げて流れを取り戻す。
青学大は1区6位でつないだものの、中村唯翔(2年)は集団がバラけた10km過ぎから遅れて区間14位の13位に後退。疲労骨折で走れなかった主将・神林勇太(4年)の代わりに起用された3区の湯原慶吾(3年)も挽回できず、5区の竹石尚人(4年)の失速が決定打となって往路12位と、総合優勝は絶望的になった。
前回5区で区間賞の飯田貴之(3年)が復路の9区で区間2位の走りをして追い上げただけに、5区で彼の起用があれば2位争いにも加わり、総合でも逆転優勝が可能だったのではないかと惜しまれる。
東海大は1区に主将の塩澤稀夕(4年)を使ったことで、4区は佐伯陽生(1年)の起用となった。今回はハイレベルな1年生たちに注目が集まっていたが、向かい風が吹く厳しいコンディションの中、活躍できたのは3区で東海大を1位に押し上げた石原翔太郎のみ。結局、佐伯は区間19位と苦しんだ。
そんな有力校の失速に乗じて結果を出したのが創価大だった。1区の福田悠一(4年)が区間3位で滑り出すと、2区のフィリップ・ムルワ(2年)は区間6位の走りで2位に順位を上げた。3区の葛西潤(2年)が2位を維持して、4区では前回10区で区間賞の嶋津雄大(3年)がトップに立つと、2位の駒澤大に1分42秒差をつけて5区の三上雄太(3年)につないだ。そして、三上も焦ることなく区間2位の走りをすると、出場4回目にして往路優勝を果たした。
創価大就任2年目になる榎木和貴監督は、2020年の新チーム発足時に箱根3位以内を目標に掲げていた。9位だった前回の取りこぼした区間を考えれば、3位争いに加わることは十分可能と判断したからだ。選手たちは初め、その目標達成は難しいのではと信じていなかったが、シーズンが深まるにつれて手応えを掴んでいった。
春先には5000mの自己新を記録する選手が続出。だが、出雲駅伝の中止や、主力のひとりである嶋津が休学していた影響で、夏までの1万m上位8名の記録合計が反映される全日本大学駅伝の出場審査に落選してしまう。
試合に出場できない不安な時期を過ごしていたが、夏合宿の成果は秋になって表われた。
日本人エースの福田は10月に28分38秒01、11月には28分19秒26と1万mの自己記録を更新。9月に復帰した嶋津も、自己新となる29分01秒84を出すまで調子を戻してきた。また実業団チームのタイムトライアルに参加した三上、葛西と石津佳晃(4年)も、非公認ながら28分30秒台まで記録を伸ばしていた。
さらに、11月に気温20度のなかチームで行なったハーフマラソンのトライアルでは、1時間3分台が10人以上と、他校と同等に戦える実力があると選手たちも自覚するようになった。
特に、前回は当日変更で出番なしという悔しさを味わった三上の成長は大きかった。5区を志望していた彼は、11月21日に箱根で行なわれた激坂最速王決定戦で優勝し、上りのスペシャリストとしての自信を深めていた。
榎木監督は、往路3位以内へ向けてチームのトップ5を起用することを決めていた。
1区には、どんな展開になっても冷静に対応する福田。2区は1万mを27分50秒43に伸ばしたムルワを置くことで、先頭争い加わる構想だった。4区に嶋津を起用したのは、3区の葛西とともに4~5番手を維持して5区の三上につなぐことができれば、確実に3位以内に入れるという計算があった。しかも大会本番は、有力校の失速に加えて、葛西の区間3位、嶋津の区間2位の激走もあって予想以上の展開になり、往路優勝を手に入れたのだ。
翌日の復路で創価大を逆転する可能性があるのは、2分21秒差の3位だった駒澤大と、3分27秒差で5位の東海大と見られていた。「総合優勝は考えていなかったですが、復路スタートの朝に他校の監督から『優勝のチャンスは少ないから、できるときに(優勝)しておいた方がいい』と言われて、少し意識しました」という榎木監督。復路にもそれなりの自信を持っていて、「9区の石津が終わった時点で2分差なら逃げ切れるかもしれない」と考えていた。
復路はその榎木監督の狙いどおりの展開となった。6区の濱野将基(2年)は自分の走りだけに集中して区間7位の58分49秒。駒澤大には1分13秒詰められたが、原富慶季(4年)が7区で再び差を広げた。
そして、8区の永井大育(3年)が区間8位の走りながらも駒澤大に22秒詰められるだけで粘り、9区につなぐ。9区の石津は区間賞獲得の走りで、区間新記録にはあと13秒にまで迫っていた。その石津にはこんな思いがあった。
「前回は前の選手と5秒差でスタートしたにもかかわらず、なかなか差が詰まらないので弱気になってしまい、逆に55秒差まで開かれてしまいました。その悔しさを晴らすために今回は最初から突っ込まなければいけないと思い、この1年間は数字には表われない勝負強さを身につけようと練習をしてきました」
この時点で2位の駒澤大とは3分19秒差。初の総合優勝は確実かと思われた。しかし、ゴールテープを切る役目を持つアンカーのプレッシャーは、9区までの選手よりもはるかに大きく、ミスを補ってくれる存在はいないという緊張感もある。
「9区の石津は去年の箱根で悔しい走りをしたことを、最後の箱根で晴らそうと集中していた。8区の永井も前回は当日変更で外された悔しさを持っていたので、それを生かす走りができた。でも10区の小野寺勇樹(3年)は、前回16人のエントリーにも入ってなくて初めてだったので、そこが違いました。
朝の体調もよかったし練習も順調に積めていたので、(ペースが落ちたのは)優勝のプレッシャーという精神的な部分だと思う。そこに勝ち慣れているチームとのプライドや、気持ちの差が出たのかなと思います」(榎木監督)
16人のエントリー時点での創価大の唯一の誤算は、練習も順調でメンバー入り確実と思われていた鈴木大海(4年)がケガ(打撲)で外れたことだった。最後の最後でその影響が出てしまったのだ。10km過ぎから失速した小野寺は、区間賞の走りをした駒澤大の石川拓慎(3年)に21km手前で追いつかれて突き放され、52秒差の2位でゴールした。
「2区のムルワが終盤に伸びなくて想定より30秒遅かったのですが、それがあっても最後は52秒差だったので、優勝はきつかったでしょうね」とさっぱりした表情で話す榎木監督は、来年へ向けてこう話す。
「強い4年生が卒業するので、(新しいチームには)来年の優勝を意識させるのではなく、目標は3番くらいでいいと思います。その代わりに出雲や全日本では確実に3番以内に入ることを狙っていきたい。それが実現すれば、選手たちも箱根の優勝を意識するようになると思います。今回の目標3位は自分が言い出したことでしたが、次は学生たちの口から目標が出てくるようになって欲しい」
石津も「結果は悔しいですが、ここで一気に優勝してしまうのではなく、課題を残してゴールできたのは、後輩たちのためになるかなと思いました」と明るい表情で言う。
旋風を巻き起こした創価大の、うれしくもあり悔しくもある2位。それは創価大だけではなく、他の中堅校にも勇気を与える結果だった。